フラグメント237:社会の複雑化→ノイズ排除とレッテル貼り→もはやVRとbotの時代!?

2020-05-18 17:00:00 | フラグメント
検察庁法改正論争とも繋がる案件なのでここで2018年の覚書を挟んでみようと思う。前回のフラグメントで「あえて異なる(ように見える)要素を併記する理由」について述べたが、これはその続きと言っていい。
 
 
非常に単純化すれば、それはレッテル貼りや二項思考を安易に受け入れれば、その先に待つのは閉塞と死でしかないということである(もっと言えば、そういう志向性がナチス・ドイツ的であることにも触れている)。
 
 
注意すべき点として、これは日本に限らず多くの国で見られる現象であるため、日本の宿痾のように捉えるのは誤りで、時代の特徴や人間の行動原理といったレベルから分析して対策を考える必要があるということだ。
 
 
ただ、これもしばしば言っていることだが、現状ではこの傾向に掉さすのは極めて困難であり、国防や外交上の理由で今の国民国家的な枠組みをそのまま残すのであれば、実質的には粉々に分断した社会の共生方法について、VR幻想への耽溺とbotでの代替という方策が日々現実味を帯びていくであろう(要するに体面でのコミュニケーションの工夫は日々難易度を上げていき、まして熟義など望むべくもない状態が招来する可能性が高い、ということ)。
 
 
 
 
〈crazy noisy bizarre blog〉 2018/12/8
 
「同時」なのは事実。しかしそれをフィルターかけずにアウトプットするのは意図的。色々な記事をごちゃご混ぜ。まあ日本の無宗教を検証しながらふたなりダイスキー!(・∀・)と書いてるのはここだけ、かもねw
 
死刑の話。私もまた凶悪犯罪には圧倒的な怒りを抱く。普通は「だから殺すべき」と死刑肯定に直結させてしまう。私はそうならない。怒り(殺意)を持ちながらも、その有効性に合理的な疑議も呈す。
 
死刑が犯罪率減少に貢献してるというエビデンスは?無くしたら犯罪が増えたという複数の(国や地域の)証拠は?
 
問題は死刑というものの不可逆性(だから冤罪の温床となる代用監獄制度とかが問題)。
これでも死刑オーケーというなら何で?「被害者の感情的回復」。ならばなぜ、被害者のグリーフケアのプログラムの充実には言及しないのか?被害者を体よく利用してんじゃねーよ。
 
自分のガス抜きのため?だったら炎上を喜ぶやつらと同じやな。というか、そいつらを私刑にしていって最後は自分もまた私刑(リンチ)となり、「君たちに応報感情ある限り、第二第三の私はいつでも表れるだろう」とラスボスのように死んでいくならそこに痺れたり憧れたりせんでもないがw
 
あるいは経済的合理性の問題。だったら死刑制度自体を変えた方がいい。中国みたいに人体実験に使えば、殺せる上に大いなる「社会貢献」をしてくれるであろう。あるいはとっとと殺して臓器移植。反省がどうとか、事実かどうかよくわからん理由でダラダラ生き続けさせてる今こそ、時間と金の無駄の最たるもの。ほんと、不徹底すぎてアクビが出ちゃうよジャパニーズ!(ホーク並感)
 
 
丸山真男平泉澄の併記も意図的。
 
「保守」の多くがただの懐古廚と化していること。歴史を含め広範な知識やそもそも人間という必謬性を備えた存在をどうコントロールするかという智慧・知性がないと、漸進主義やその合理性は語れない。
 
何でそんなに過去のことを知らんの?てか過去について平気で出鱈目を言うわけ?あんたらが大事にしてるのは、壊れやすい社会(とその手当て)でもなく、また でもなく、単に「三丁目の夕日」的な心地よい過去にしがみついてるだけでしょ→オトナ帝国の逆襲?言ってみれば蓑田胸喜の劣化コピーだ。こうしてみてくると、自由からの逃走で書かれたナチス・ドイツと類型的だなあという分析になるのは必然。

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