「身の丈」から抜けられない教育格差を放置してはいけない

2020-06-09 12:18:18 | 生活

 

 

 

日本の衰退や格差拡大に言及し、「ただよび」の紹介をしていたところに、videonewscomの教育格差に関する動画がフルで公表されたので、絶好の機会ということで掲載しておきたい。

 

これから翻訳機能が向上して機械が代替できるようになっていくのに、「四技能」なるものに今さら飛びつく文科省と教育業界。そもそも、それが実現できるよう綿密に計算した上での発表ではないことは、昨年それこそ「身の丈」という失言程度のことで、あっさり導入の動きが止まってしまったことからもよくわかるところだろう(とにかくビジネスチャンスを作り出してそこに乗っかることが目的だから、受験者たちの利便性やシステムの実現可能性は二の次ってことである)。

 

もちろん、本編でも触れられている専門領域の件やregister(今年の京大英作文でも問われていた使用領域)の問題は残るものの、前者に関しては四技能じゃなくてむしろこれまでの(英語)評論文を読む訓練の方がよほど適してるわけでね。

 

それとは別の問題として、本編でも言及されているように、今の学生たちは奨学金を借りて借金まみれの状態から社会人生活をスタートせねばならないケースが多々ある。日本の経済状況が衰退して格差が開き、さらに少子高齢化が進む中では、これに対する手当ては喫緊の課題だろう。

 

そんなに苦しいなら、「身の丈」にあった教育だけ受けて、高卒で仕事につけばいいじゃないかと考える向きもあるかもしれないが、そういう人はそもそも大卒と高卒の生涯賃金の差を知っているのだろうか(あるいは貧困の再生産というタームは?)?あるいは大卒と高卒でそもそも仕事が全然違ってくるという点は??そして、これからAIの発達で単純労働がどんどん減っていくという点についてはどうか(これはまあホワイトカラーも同じだけどね)???

 

以前はリスクヘッジに関して批判的に書いたけれども、そりゃこんだけ先行きが厳しい見通しだったら、よほど自分に自信がある人を除いて、こぞって高等教育受けようとしますわ(まあ正確に言うとまず「大卒」って資格が欲しくて、次に就職で有利になると思える名門大学に行きたがるよと)。むしろ取り立てて突出した才能がない人にとっても、超合理的な生存戦略だと言えるだろう(ちなみに戦前でも大学に行ったであろう優秀で意識も高い人材は、この日本に見切りをつけて海外に行くようになっていく割合が増えるだろう)。

 

そして、繰り返しになるが、少子高齢化になっていく日本においては少ない子どもに優秀な人材に育ってほしいわけでしょ?それでこんなお粗末な教育システムとか頭が悪すぎやろと思うわけである(まあ教育っていうのは一般的に変化が最も遅い分野と言われているので、その意味でも鈍足に定評のある日本政府の動きには大して期待をしておらず、ゆえにこそ「ただよび」などを応援するわけだが)。仮に教育周りのシステムをこのまま放置して大学に行けない人間が増え、かつAIが発達して仕事が激減した場合、大量の高卒失業者が世に溢れることもありえるわけだ(もちろん、そもそもそういう産業構造や雇用の変化をどう学びに取り入れていくのかというも極めて重要なのだが)。

 

そこを生き延びれる人材を育成できるよう努めるか、はたまた疎外された大量の「死骸」を生み出し、お得意の自己責任論をもって自殺者と「無敵の人」を量産し、この国の「ウリ」の一つである治安すら地の底に叩き落すか、そこが問題だ。仮に後者だとすると、優秀な人材はますます国外へ脱出し、さらに国外からも人が来なくなるわな。ここにおいて、高技能労働者は国内から激減し、途上国的なインバウンド経済もオワコンとなり、破滅の凱歌が鳴り響くってな話である(まあ日本よりすさまじい勢いで死亡する国が外にあればまた話は別だが)。

 

教育立国として苦しくても再生の道を歩むか、それとも途上国に逆戻りする道を選ぶか。今の教育のあり方を見る限り、全く弥縫策の極みであって、先を見据えているようには全く思えないことだけは確かである。


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