今年最後の散髪でQBハウスに行ったら、故村下孝蔵の「初恋」が流れていた。
久しぶりに聞いた哀愁漂う歌詞と透き通った声を反芻しつつ、同じく小学生頃に聞いた「踊り子」も思い出しながら、
かつては、こういう「煩悶」などが人間性の証であるかのようにみなされきた。しかし、あまりに情報と娯楽が世界に溢れかえり、コスパ・タイパを重視する傾向が強まったがゆえに、回り道をしながら関係性を築いていくよりも、結論の決まったAIなどとの「ゲーム」に興じることを優先し、心の安寧を決して手放さない人間が多くなっていけば、今述べたような、強い情念の元で他者にコミットしようとする意識は、「あなたはそういうのが好きなんですね」と単なる「趣味」の一環として処理されるようになるだろうな、と思いましたとさ(・∀・)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます