なるほど「なぜ自由恋愛は地獄になるのか?」ねえ。いや~、ホロライブの下りとか喩えがキレキレ過ぎて思わず爆笑してしまったわ🤣まあ「推し活ビジネス」ってつまるところ新たなお布施と同じやからねえ(そのわかりやすい形態が「頂き女子」だったわけで)。それを理解して「ゲーム」であるうちはいいけど、それが生活を圧迫するようになったり、さらにその見返りとして相手を拘束する(権利を持っていると主張する)みたいなことをやり始めると、もうお互いに不幸になる道しかないのではないか、と俺なんかは思ったりする。ま、ご利用は計画的にってことですな(・∀・)
おっといきなり話が横に逸れてもうた。まあこの動画で言われている前半2/3の現状分析編をどっかの講談師風に一言で表せば、「自由選択ができまぁす(手に入れられるとは言ってない)」てところになるやろね。多くの人が望む者は数が限られていたり高価だったりして多くの人には手に入らないけど、それを手に入れた者がいることはSNSなどで日々アピールされ、欠乏や嫉妬の昏い感情は常に刺激され続けるってわけだ(例えば婚活で女性はハイスぺ男性に集中し、男性は若い女性に集中した結果、アンマッチやミスマッチが大量に生じるのなんかはその典型だろう)。
で、「一体いつから、自由選択が幸福を保証するなどと錯覚していた?」とばかりに鋭く成熟社会の構造とそのねじれを暴き出すわけだが、一方で後半1/3の解決策パートには全くといいほど説得力がなく、別の意味で笑ってしまった🤣
こう言うとディスってるみたいに聞こえるかもしれないがそうではなく、「多分すごい真剣にシステムとしての実現可能性を考えたんだろうなあ(トオイメ)」てのは理解できるんだけど、その結果として、聞いてるだけでも無理ゲー過ぎでしょ(笑)な結論が出たのが、非常に皮肉な感じがするわけよ(喩えとしては雑だが、問題を制度設計的に乗り越えようとすると、どうしても「ソイレントグリーン」とか『1984』みたいな「あれ?それもっとディストピアになってんじゃね?」て解決策になりがちなんよねえ。まあこれこそウェーバーが『職業としての政治』で、善意と政治における善き結果を短絡させようとする発想を「政治的未熟児」と喝破したことに繋がると思えば大変興味深いのだが、こういうものを歴史で実践した結果はどうだったかと言えば、ナチス・ドイツやクメール・ルージュの大量虐殺なんかを想起すれば十分だろう)。
まあ要するに、動画主の示すアクロバティックな「解決策」は、「国家レベルでの安定的な家族形成」という観点で自由選択と平等を両立させることがいかに困難かを、かえって明確に示したと言えますよと。
じゃあどんな解決策があるのか?まず大前提は、「家族を形成すること」を人間の当然の営みに設定せず、よってそこにおける「平等」を目指さないことだろうね。より正確に言えば、「生身のパートナーと子孫を残すことを無理やりスタンダードに据えない」ようにするのだ。
例えば「平等」を軸に明治~昭和のような皆婚社会へ戻そうとしてみるのは、「自由」の観念的にも不可能だろう(だいたいそんな仕組みが通用したのはせいぜい100年程度であり、その前の260年続いた江戸時代は未婚率も離婚率も高かったことはよく知られている通りである)。そもそもそのようにして無理やり家族を作ったとて、パートナーや子供との関係性が適切に続けられる訳ではないのは、数多くの虐待事例をいちいち取り上げるまでもない。「つがわせれば解決」なんて発想はまさに愚の骨頂と言えよう。
じゃあ「自由」のままでいくよとなった場合、当たり前だが「結婚により家族を形成する」という枠に入らない人間が大量に出てくる。これは自由選択であり、わざわざ酷いと思う物をコストをかけて購入しないのと同じだから、決して免れることができない現象だ。またそもそも、アセクシャルやLGBTQに「ノーマル」を強いることにもなるだろう(cf.朝井リョウ『正欲』)。そのような構造的問題を無視して、「家族を構成するのがスタンダードである」という理念を掲げてそれを軸にシステムを作り続けた場合、実態とシステムが乖離して維持できなくなるし、また理念にそぐわない大量の人間たちのルサンチマンや脱社会化傾向をどう手当てするのか?という問題が常につきまとうのである(そんな人間たちは捨て置けばいい、という発想が生じさせるリスクについてはすでに何度も示してきた通りである。その他、例えば日本に限らず男余りが様々な国で生じており、特に中国や韓国の状況は急速に悪化している。これらを放置するとインセル化するリスクが当然あるわけだが、そういったものにどういう対策を講じるつもりでいるのだろうか?)。
もちろん、未婚・非婚の人がみな結婚を望んでいるわけでは全くない。また、結婚願望があっても果たせなかった人たちが即座に社会的リスクとなるなんて見立ても噴飯物でもある。しかし少なくとも、社会のモデルケース(というか「自由」と「平等」というねじれを抱え込んだままのぼんやりとした理念)を変えずにおけば、その枠に入れなかった人々のルサンチマンが社会的リスクとして拡大し続けるリスクは理解しておくべきだし、またその手当てを考えてしかるべきだという話である(例えば、共産主義が広がるのを防ぐため「アメ」として社会福祉を充実させたビスマルクによる社会保険導入や、あるいは第二次大戦後のマーシャル・プランなどを想起したい。それらを単なる「思いやり」や「恩恵」などとみなすのは、戦略的思考を欠いた、まさしく「お花畑」そのものの発想と言える)。
とまあここまで偉そうに書いてて何か策はあんのか?ってなった時に、最も単純でありそうな施策だと私が思うのは、「AIペットやAIパートナーを承認する」・「AIペットやAIパートナーをあてがう」というものである(孤独担当相の悪魔的発想!!てかwww)。要するに、生身の人間がいい人はそちらに行けばよろしい。それを望まない人や、あるいは生身のパートナーを望んでもそれが難しい人のオルタナティブとして「進化」したAIを積極的に活用し、もってその人たちの所属欲求や承認欲求を満たすことで社会的に包摂する(それでどの程度満足するかは個人差があるだろうけど)、というわけだ(この点については「Neruo-sama、沙耶の唄、『共感』という名の病」などを参照)。
もちろん、そうやってAIに「甘やかされた」人間が、ますます人間とのコミュニケーションにおいて「劣化」を見せるというリスクや、あるいはそもそもグレーゾーンで福祉が届かない人々がいることの解決策にはならないなど、問題点は多々残っている。ただ少なくとも、「平等」と「自由」の共存が限界点に達しつつあることで新しい仕組みを模索する必要に迫られている状況において、AIの活用はかなり有効な手段である、と述べておきたい(まあそういう人間が一種の禁治産者のまま社会に生存し続けることを許せん!とする向きもあるだろうが、そこにはリスク教育を行うとともに、その人たちは高確率で子孫を残さないので、疎外されない生は送れているかもしれないが、「種の保存」という意味では結果的に淘汰されていくよ、というロジックで納得してもらうのがよいだろう)。
結局冒頭の動画は自由恋愛を少子高齢化の問題と絡ませて論じている点が一つのキーなのだが、なるほど少子高齢化は成熟社会の宿痾としてしばしば問題に取り上げられるけれども、あくまで地球規模で見た場合、人口は相変わらず増え続けているので、このまま一国レベルの人口ボーナス・人口オーナスに着目して人口を維持・増加する努力を各国がした場合、合成の誤謬が生じてそう遠くない将来に「減らさないとまずい状態」が起こる可能性は十分ある。しかしその時、人権思想がここまで広がった今日において、「間引き」という施策は極めて採用が難しいし、まして「大量に単身者を葬る目的での安楽死」などを制定するのはどだい不可能である(まあもちろん、人口爆発により大規模な食糧飢餓などが生じたら、絶滅したら元も子もないわということで、トリアージ的施策が取られる可能性も当然ゼロではないが)。
となってくれば、むしろ前述したような「人々に生き方を強制しない」&「強制を伴わない形で人口を減らしていく方策」が両立できる、有効なリバタリアンパターナリズム的方策という意味でも、AIをパートナーとして活用するってのは結構いい案だと思うがどうだろうか?
と提起しつつ、この稿を終えたい。
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