サナトリ村、不協和音、ピタゴラス:イカれたBGMの解析から、人間の構造把握まで

2024-09-16 17:24:42 | 音楽関係

 

 

ちゃかぽこちゃかぽこから始まり、音程の外れた主旋律で理不尽にも精神攻撃を喰らう、それが伝説のサナトリ村BGMであることは周知の事実である(過言)。

 

一般的な紳士淑女は、その不協和音に眉をひそめながらも、それをカオスのまま愉しむようになったり、あるいは謎アレンジにまで手を出すようになるのだが、しかしよくよく考えてみると、サナトリ村という怪異傑作を生み出したアンシャントロマンには、これ以外にも

 

 

 

 

 

 

など基地外独創的なBGMが様々あり、それらに触れていると、ふとした瞬間に「てかハーモニーとか不協和音とか言うけど、それってどういう構造で成り立っているんだろうか?」という疑問も湧いてくるのである(SPKといったノイズミュージックの存在を思い起こすこともできる)。

 

 

 

 

 

そしてこのような疑問から万物の根源(厨二秒的表現w)に遡っていくと、一つの体系としてピタゴラス(教団)に行きつくわけだが、「万物の根源は数である」というテーゼから、音の数値化・体系化へと繋がり、それが音階になっていった、というのは「フーリエ変換、音楽、人間性の変化」という記事でも述べた通りである(まあつまりは、日常に全く関係ないように思える数学の三角関数や物理の波といった分野は、実は極めて深く我々の生活に影響を与えていると言える)。

 

そしてこの疑問は、「人はなぜ美しいがわかるのか」、言い換えると「人が美しいと思うものにはどのような特徴があるのか」という問いと同じであり(まあこれは客観=絶対的真理というより、間主観的=いくつかの頻出パターンの集成というのが正確だけど)、冒頭の動画でも触れられているように認知科学などと結節していくのである。それは「19世紀末のフランス絵画:印象派・ボヘミアン・アンチセミズム」という記事でも述べたように、後期印象派のスーラがその画法を完成していくにあたり、ヘルムホルツなど当時の自然科学の知見を活かしていたことはよく知られている通りで、ここに絵画(芸術)と科学の深い関係を見て取ることが可能である。そしてここからは、Sable Diffusionや「不気味の谷」などへと問題意識は連結していくことだろう。

 

つまり、音楽における快ー不快原理の解明や、絵画における美醜の感覚の解明は、人間というレセプターの構造解明・解体へと繋がり、それは人間社会の生ー権力的な支配構造や、あるいはAIによる良質なコンテンツの提供に結実していくものと思われる(これが人間社会の複雑化・多様化に伴うコミュニケーションコストの上昇と合わさると、AIの「進化」と人間の「劣化」という話につながっていく)。

 

ま、その社会が今より「幸福」なものかどうかなんて、わっちは知りませんけどね(・∀・)


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