うみねこ第三話に関するちょっとした話。推理そのものというよりは推理の準備のような感じで。完全にネタバレです。 . . . 本文を読む
さて今回は、表題の問題を作者がどのように処理しているか、そこにどんな問題意識が働いているのかを考えてみたい。
<残虐性の扱い>
うみねこ第三話において、戦人がベアトの残虐性を厳しく批判しているのが記憶に残っている人も多いと思う。まあ残虐行為を楽しんでいることへの批判なので、違和感を持たなかった人が大半だとは思うが、俺はというと、第一話の直後くらいに公式掲示板に書かれたある記事を思い出した。それ . . . 本文を読む
最近胃に何か詰まったような感覚が続いていて、さすがに一度病院へ行こうかと思っていたところ、一昨日くらいにようやく復活の兆しが見えた。ウイダーインゼリー中心の生活にうんざりしていたんで、久しぶりに油そばを食ったり酒を飲んだりしつつ幸せを噛みしめている。まあ今の状態は、飲み過ぎて舌に口内炎ができた→よくしゃべる仕事なので(?)治らない→胃薬を飲む→薬が去年の12月で期限切れ→常態的うぷり、というすてき . . . 本文を読む
木曜と入れ替わりで休みだけど、なんか落ち着かないぎとぎとですがみなさんいかがお過ごしでしょうか。
うみねこ3rdのプレイを終了してからしばらく経ち、少しづつ落ち着いてきたのでそろりそろりと気になった部分について書いていきたいと思います。さすがに三話目ともなると、様々な共通点が出てきたりあるいは逆に否定されたりと問題がつきませんが、今回はかなり限定して熊沢の話です(なお、混乱しないようにベアトリ . . . 本文を読む
高校時代に最も印象に残った小説が漱石の「こころ」なら、中学時代のそれは志賀直哉の「城の崎にて」である。
そこに描かれているのは、死という極限状況に対してどう望むか…についてどう考えるかである。死に対してこう対峙する、というのは様々な作品で描かれている(それを凝縮したものが筒井康隆の「死に方」である)。しかしながら「城の崎にて」では、死に対してどう向かい合うか、について考える姿を中心に描くという . . . 本文を読む
前回「YU-NOエンディング批評」で述べた一貫性の問題は、ひぐらしやうみねこにも深く関連する。
こう書けばすぐに作者が提示する「ルール」が想起されるだろうが、このブログではお疲れ様会で提示されたキャラクターの一貫性に対する疑問、あるいは戦闘力への批判、最も大きなものとしては皆殺し編の批判などがそれにあたる。
そして「ルール」の解釈の多様性に対する批判は、うみねこの「ルール」へのこだわりへと . . . 本文を読む
着メロDLサイトの攻略も終わり、あとは連休を待つばかり。しかし外は雨…しかし今回は問題ない。何せ件のうみねこが終わっておらず、しかもその後はひぐらし祭編をやろうというところまでゲーム熱が高まっており、遠出しなくても全く問題なさそうな勢いなのだ。YU-NOのエンディングに関する記事もほとんど最後の詰めの段階に入っているし、ついでに他の傑作どもについても何か書いてやろうか…とまあ家でやることが山積みな . . . 本文を読む