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木曜と入れ替わりで休みだけど、なんか落ち着かないぎとぎとですがみなさんいかがお過ごしでしょうか。
うみねこ3rdのプレイを終了してからしばらく経ち、少しづつ落ち着いてきたのでそろりそろりと気になった部分について書いていきたいと思います。さすがに三話目ともなると、様々な共通点が出てきたりあるいは逆に否定されたりと問題がつきませんが、今回はかなり限定して熊沢の話です(なお、混乱しないようにベアトリーチェはベアトと表記します)。
かつて私は、「うみねこep1/2における南条と熊沢の類似点」において杭の打たれる場所に共通点が見られ、しかもそれが意図して作り出されたものであると書きました。しかし今回の話により熊沢は最初の生贄となったため、この見立ては崩壊してしまいました(ついでに言うなら、「一人でいる時は死なない?」だとか「屋外だと安全?」といった推論も否定されたわけですが)。
このように法則性を否定する部分が多く、ますます混迷の度合が深まりそうなところですが、(今まで気付いた限りで)一点だけ非常に大きなヒントとなりえる部分があります。それが熊沢の死体です。これは第一の殺害の性質も合わせて考えるべきところですが、とりあえず重要なのは、熊沢が「槍か槍状のもの」で殺されており、決して「蜂の巣」などにはなっていなかったことでしょう。くだくだしく説明はしませんが、ベアトと熊沢の対決は周知の通りであり、そこで熊沢は敗れたことになっています。その死因は塔から発射される何か(名称とか全然覚えてませんw)をまともに食らったことですが、あの説明を見る限り、何かで一突きするような死に方にはなりません。それがああなったということは…ワルギリアの言うような「解釈の問題」という見方(というかベアトの引っ掛け)が肯定され、「熊沢は抵抗したが殺されてしまった」という状況を魔女側から見たらああなる、ということなのでしょうか?もちろん、ベアト側の殺害方法が現実を反映していないことは源次たちの死因からも推測できるのですが、彼らはあの描写で死んだ後にTIPSで出てくるような装飾を施された、と考えることも不可能ではないため、決定的な証拠とはなりえません。しかし、熊沢の場合はそもそもTIPSにある以外の無数の傷が必要であり、それさえ存在しないということは、魔法関連の描写の虚構性が(本編中における整合性という観点から)現実味を帯びてきます。蜂の巣になった身体を綺麗な状態にするなど、それこそ現実には不可能なことなのですから。また、多重人格などでも説明不可能なことは言うまでもありません。とするならば、魔法関連の描写は、魔法の側からの解釈ではなく、やはり虚構性の強いものと考えたほうが妥当であるように思います(こうなると、一見アドバイスのようなワルギリアの発言はかえってミスリードとなりえます。さて、ワルギリアは「悪ギリア」なのか…)。
以上から魔法関連の描写の虚構性へと一歩近づいたわけですが、この結論がどう本編の考察に繋がっていくかはまだわかりません。ただ、人為100%といった極端な結論に繋げるのはあまりに短絡的であること、また本編から遊離した考察(ex.薬品談義を始めて談義そのものが目的となってしまう)に走らないようにすべきこと、という二点だけは意識すべきだと思っています。
蛇足ながら…
うみねこで厄介なのは、ひぐらしより意図的に「無意味をばら撒いている」ことに他なりません(三億円事件…)。登場人物の名前、魔法の内容etc...その中でプレイヤーは瑣末な事に意味を見出そうと躍起になって色々と「疑い」始め、肝心の本編中における不自然さや不整合といった考察のとっかかり(違和感の萌芽)を見落としてしまう(例えば、この記事がいつもと違って敬語になっていることには何の理由もない[赤字宣言]が、それが気になって読む作業が疎かになってしまう、といった風に)。無意味がばら撒かれており本当に意味があるもの=「ルール」が見つけ辛くなっている点もまた、ベルンカステルの言うように戦いを厳しいものにしているんでしょうね。
うみねこ3rdのプレイを終了してからしばらく経ち、少しづつ落ち着いてきたのでそろりそろりと気になった部分について書いていきたいと思います。さすがに三話目ともなると、様々な共通点が出てきたりあるいは逆に否定されたりと問題がつきませんが、今回はかなり限定して熊沢の話です(なお、混乱しないようにベアトリーチェはベアトと表記します)。
かつて私は、「うみねこep1/2における南条と熊沢の類似点」において杭の打たれる場所に共通点が見られ、しかもそれが意図して作り出されたものであると書きました。しかし今回の話により熊沢は最初の生贄となったため、この見立ては崩壊してしまいました(ついでに言うなら、「一人でいる時は死なない?」だとか「屋外だと安全?」といった推論も否定されたわけですが)。
このように法則性を否定する部分が多く、ますます混迷の度合が深まりそうなところですが、(今まで気付いた限りで)一点だけ非常に大きなヒントとなりえる部分があります。それが熊沢の死体です。これは第一の殺害の性質も合わせて考えるべきところですが、とりあえず重要なのは、熊沢が「槍か槍状のもの」で殺されており、決して「蜂の巣」などにはなっていなかったことでしょう。くだくだしく説明はしませんが、ベアトと熊沢の対決は周知の通りであり、そこで熊沢は敗れたことになっています。その死因は塔から発射される何か(名称とか全然覚えてませんw)をまともに食らったことですが、あの説明を見る限り、何かで一突きするような死に方にはなりません。それがああなったということは…ワルギリアの言うような「解釈の問題」という見方(というかベアトの引っ掛け)が肯定され、「熊沢は抵抗したが殺されてしまった」という状況を魔女側から見たらああなる、ということなのでしょうか?もちろん、ベアト側の殺害方法が現実を反映していないことは源次たちの死因からも推測できるのですが、彼らはあの描写で死んだ後にTIPSで出てくるような装飾を施された、と考えることも不可能ではないため、決定的な証拠とはなりえません。しかし、熊沢の場合はそもそもTIPSにある以外の無数の傷が必要であり、それさえ存在しないということは、魔法関連の描写の虚構性が(本編中における整合性という観点から)現実味を帯びてきます。蜂の巣になった身体を綺麗な状態にするなど、それこそ現実には不可能なことなのですから。また、多重人格などでも説明不可能なことは言うまでもありません。とするならば、魔法関連の描写は、魔法の側からの解釈ではなく、やはり虚構性の強いものと考えたほうが妥当であるように思います(こうなると、一見アドバイスのようなワルギリアの発言はかえってミスリードとなりえます。さて、ワルギリアは「悪ギリア」なのか…)。
以上から魔法関連の描写の虚構性へと一歩近づいたわけですが、この結論がどう本編の考察に繋がっていくかはまだわかりません。ただ、人為100%といった極端な結論に繋げるのはあまりに短絡的であること、また本編から遊離した考察(ex.薬品談義を始めて談義そのものが目的となってしまう)に走らないようにすべきこと、という二点だけは意識すべきだと思っています。
蛇足ながら…
うみねこで厄介なのは、ひぐらしより意図的に「無意味をばら撒いている」ことに他なりません(三億円事件…)。登場人物の名前、魔法の内容etc...その中でプレイヤーは瑣末な事に意味を見出そうと躍起になって色々と「疑い」始め、肝心の本編中における不自然さや不整合といった考察のとっかかり(違和感の萌芽)を見落としてしまう(例えば、この記事がいつもと違って敬語になっていることには何の理由もない[赤字宣言]が、それが気になって読む作業が疎かになってしまう、といった風に)。無意味がばら撒かれており本当に意味があるもの=「ルール」が見つけ辛くなっている点もまた、ベルンカステルの言うように戦いを厳しいものにしているんでしょうね。
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