A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

裏磐梯小旅行(6)

2012年11月16日 12時12分05秒 | 陶芸
11月23日(火)

会津若松から一時間ぐらいのドライブで夕暮れの大内宿に到着。
夕暮れで小雨、既に観光客は大方帰りかけている。
7~8年前我々は大内宿にゴルフの帰りに立ち寄った事がある。

江戸時代、関東と会津を結ぶ下野街道の交通の要衝だった大内宿は、
宿場として、また荷駄運送の駅所として栄えていた。
会津藩主の参勤交代の際もこの街道は使われていた。

戊辰戦争の際には、大内は会津軍と新政府軍の激戦の場となった。
会津軍後退のときには、あわや焼きはらいに遭うところでしたが、
当時の名主による死を覚悟の抵抗によってまぬがれたといわれている。

時代は幕末から明治と代わり、新しい時代を迎えても大内宿は
江戸時代のままだったし人馬の往来にも大きな変化は無かった。

ところが明治17年、日光街道が大川沿いに開通すると、
人、物の流れが新しい道路に移り、大内宿は時代に取り残されていった。
新しく開通した日光街道は関東と会津の最短距離であったばかりでなく、
道幅も広く、到底、大内宿の下野街道が対抗できるものでは無かった。
大内宿は山間の僻村として以後の時代の波に取り残されたことによって、
奇跡的に茅葺きの家並みを残すこととなった。

昭和56年4月、重要伝統的建造物群保存地区に選定されてからは、
江戸時代の家並みや郷愁を望む観光客が訪れるようになった。

久し振りの大内宿 昔と全然変わっていない

夕暮れで小雨 甘酒を片手に散策。寒い時の甘酒はホッとする

大内宿の記念に棗の木で出来た「湯のみ」をゲット
手にした感じが軽く瀬戸物と違った使い良さがある

早々に大内宿を退出 一路横浜鶴見へ。
2日間で770キロメーターの安全運転であった。