10月23日(火)
鶴ヶ城の見学を終えて車で15分
会津若松の大正ロマン調の繁華街「七日町」にやってきた。
ここ七日町は歴史がある。
今は取り壊されているが歴史の舞台「清水屋旅館」があった。
この旅館には多くの歴史的人物が宿泊した。

吉田松陰は二度にわたり会津を訪ずれこの七日町の清水屋旅館に
宿泊している。
松陰が会津を去ってから16年後に戊辰戦争は勃発した。
会津藩と運命を共にした土方歳三は戊辰戦争で負傷したのち
清水屋旅館に運び込まれ治療を受けている。
その後函館五稜郭まで転戦し西軍に徹底抗戦したのである。
同志社大学の創設者新島襄は会津出身の妻八重と
会津を訪ずれ清水屋旅館に一ヶ月逗留した。
来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は新島襄夫妻の物語である。
木造三階建ての純日本旅館は幕末から明治・大正にわたって
会津を見つめ続け昭和初期惜しまれながら取り壊された。

ながい炭成館 炭のインテリア・オーナメントから日用品まで
長門屋 小さい和菓子がいっぱい 和風カフェも楽しそう
民芸小物 「もめん 縫」伝統の会津木綿の手造りの店
「やまでら茶屋」古民具・骨董が興味をひく
「はしばん絵ろうそく店」元祖会津ろうそく製造販売元
菓子司 「熊野屋」創業120年余の老舗 笹だんごも美味
民芸-古布 「笑笑(わらわら)」
会津の民芸品「赤べこ」の製造販売を行っている。

希望者には赤べこの絵付けを行わしてくれる
ミセスマスダは15センチほどのおおきさの「赤べこ」を旅の記念にゲット
昔は呉服店だったが今は「バンダイスポーツ店」となっている。
高校野球を専門に野球用品ならなんでも扱う。
グラブの修理もOK。

この町では明治・大正時代の建物も大事に使われている

鶴乃江酒造株式会社官制年創業の造り酒屋 試飲販売実施中
「小野屋夢蔵」 明治19年建築の蔵でお香や漆器の販売
「南蛮館」石工が造る石の小物と天然石アクセサリーの店
白木屋 会津漆器の展示販売
木履庵 下駄 特に会津桐が良い
昭和なつかし館 少し偏屈な店主がド~ンと座っている
店内はガラクタに近い骨董品
ここも漆器店


大変地味に見えるが「花屋さん」種も売っている
一時間ほど七日町を散策し町はずれの渋川問屋に
到着。ミセスマスダがインターネットで捜した今日の昼飯どころである。
明治時代の海産物問屋の大店をそっくり利用した郷土料理店
大正ロマンムード満点
中庭も手入れが良く行き届いている
中庭の奥は旅篭と云うか宿泊設備
囲炉裏の前で食前酒を楽しむミスターマスダ
店の歴史を感じさせるキリンビールの看板の前で
ランチ付きの会津若松の大正ロマン調の繁華街「七日町」
の散策は2時間ぐらいで終了。
ここから少し山の方向にドライブ会津本郷窯の窯元を目指す。
鶴ヶ城の見学を終えて車で15分
会津若松の大正ロマン調の繁華街「七日町」にやってきた。
ここ七日町は歴史がある。
今は取り壊されているが歴史の舞台「清水屋旅館」があった。
この旅館には多くの歴史的人物が宿泊した。

吉田松陰は二度にわたり会津を訪ずれこの七日町の清水屋旅館に
宿泊している。
松陰が会津を去ってから16年後に戊辰戦争は勃発した。
会津藩と運命を共にした土方歳三は戊辰戦争で負傷したのち
清水屋旅館に運び込まれ治療を受けている。
その後函館五稜郭まで転戦し西軍に徹底抗戦したのである。
同志社大学の創設者新島襄は会津出身の妻八重と
会津を訪ずれ清水屋旅館に一ヶ月逗留した。
来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は新島襄夫妻の物語である。
木造三階建ての純日本旅館は幕末から明治・大正にわたって
会津を見つめ続け昭和初期惜しまれながら取り壊された。







民芸-古布 「笑笑(わらわら)」
会津の民芸品「赤べこ」の製造販売を行っている。



昔は呉服店だったが今は「バンダイスポーツ店」となっている。
高校野球を専門に野球用品ならなんでも扱う。
グラブの修理もOK。














一時間ほど七日町を散策し町はずれの渋川問屋に
到着。ミセスマスダがインターネットで捜した今日の昼飯どころである。

大正ロマンムード満点




ランチ付きの会津若松の大正ロマン調の繁華街「七日町」
の散策は2時間ぐらいで終了。
ここから少し山の方向にドライブ会津本郷窯の窯元を目指す。
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