人生にはいくつもの屈折点があり喜びや悲しみの衝撃が襲ってくるものだ。予期していたり、徐々に近づいてくるものならある程度の心の構えも出来ようものだが、不意に襲ってくるものに対してはその精神はもろい。
妻の親友の一人が自ら命を絶った。そうなる理由はあったにせよ、彼女を知る私にとっても妻ならずも驚きである。気丈な妻の落胆振りが、普段見せたことがないだけに、その事実の大きさを伺わせる。
本当に悲しいときは涙も出ないとある人が言った。そういえば、中越大震災のときの家や財産を失った人が、その惨状を見ながらつぶやく姿に、今日の妻の姿が似ているような気がする。
しかし、それも大きな意味で一つの常態。命あるものの宿命。どういう形をとろうと、同じ帰結になる。そういうことを考えながら、生きていくうえでの数々の「終わり」や「締めくくり」をどう演出しようか考えてみる。今後訪れるであろう自らの節目の終焉を自分なりの美学でくくりたい。
妻の親友の一人が自ら命を絶った。そうなる理由はあったにせよ、彼女を知る私にとっても妻ならずも驚きである。気丈な妻の落胆振りが、普段見せたことがないだけに、その事実の大きさを伺わせる。
本当に悲しいときは涙も出ないとある人が言った。そういえば、中越大震災のときの家や財産を失った人が、その惨状を見ながらつぶやく姿に、今日の妻の姿が似ているような気がする。
しかし、それも大きな意味で一つの常態。命あるものの宿命。どういう形をとろうと、同じ帰結になる。そういうことを考えながら、生きていくうえでの数々の「終わり」や「締めくくり」をどう演出しようか考えてみる。今後訪れるであろう自らの節目の終焉を自分なりの美学でくくりたい。