森の案内人 田所清

自然観察「独り言」

角田尾根道

2006年03月31日 | 風景
 平成17年度の締めくくりの日。私も、人生の大きな締めくくりを迎えた。急展開で迎えた締めくくりの日は、まだ3日前からの冬景色が続く。
 明日以降、絵のような自然豊かな山行を日課にすることを夢見ながら、新年度の計画を練っている。多くの夢や希望があり、いくつかの誘いや依頼もあるから、のんびりとしたものにはなりそうに無いが、マイペースで進むことにしたい。
 絵は角田の尾根道で早春の明るい雑木林。可憐な花々が咲き始めている。今は、舞い戻った冬将軍に震えているかもしれないが、それも長くは無いだろう。まもなく越後は、少し遅いけれど豊かな春の自然があふれ出す。

小宇宙

2006年03月30日 | 自然観察日記
 さてこれは?
ケヤキの樹皮を拡大したものである。物事は視野の広さで見方や感じ方が違うものだ。ケヤキなど何処でもある樹木でその樹皮も見覚えがあるはずなのだが、拡大するととたんに何か判らなくなったり、あるいは気づかなかったことを新たに発見し感動を覚えたりする。
 月の表面のクレーターを連想させる穴や、風紋のような波状の突起。さらに、小さな突起が点在するのは何の群れだろうかなどと思い描くかも知れない。(この突起は皮目という呼吸のために利用されるもので、葉の気孔と同じ働きをする)
 拡大鏡の世界は、神秘に満ちている。顕微鏡の世界でなく、拡大鏡の世界が私は面白いと思う。目のいい人は、じっと凝らせば見えるかもしれないけれど、ほとんどの場合そこまではしない。ついついやり過ごしてしまう。それをカメラや拡大鏡を使って人間と等身大の世界にして見ると、美しい造詣や不思議な造詣が現われる。そこに、新しい感動があるものだ。そんな小宇宙をこれからも探して生きたい。

夏に枯れる滝

2006年03月29日 | 自然観察日記
 今日は再び冬。季節風が吹きまくり、時々吹雪き混じりになる。夕方にはとうとう積雪を記録する。明日の朝には夏用タイヤに履き替えた車は動けないかもしれない。西日本でも雪が舞い、桜が咲いた後に雪を見たのは十数年ぶりとか。概して、最近は異常気象なのだろう。2・3日は寒さとの付き合いになる。
 気を取り直し暖かな先日の散策のことを思い出して、日記を綴ることにする。今日は、シーサイドラインの間瀬近くで見たこの時期にしか見れない海岸端の小滝。雪解けの時期はどの滝も水量が多いので見ごたえがある。流れ落ちる水をじっと見つめていると、異次元の世界に引き込まれる行くような感覚になる。水そのものも不思議な存在で、命があるわけではないがあたかも命のごとく、大きな塊になったりばらばらに砕けたり、変幻自在なのだ。水なくしては命はありえないし、水なくしては自然はありえない。水の変化に何かを感じ一喜一憂するのは人としての極当たり前の感情なのでろうか。

スプリングエフェメラル その4

2006年03月28日 | 自然観察日記
 キクザキイチリンソウ(キンポウゲ科)。青い花も普通に生育するが、今回は白い花しか見なかった。行動した範囲がごく限られていたせいであろう。先日取り上げたアズマイチゲに極似するが、花の下に付く包葉の形を見れば違いが判る。越後でも最もポピュラーなスプリングエフェメラルである。
 気温に反応し暖かくなると花が開くから、朝の早いうちは日が差していてもまだうつむいたままの個体が多かった。一般的に、植物が示す反応のうち刺激源に方向性があってそれに対するものを屈性といい、刺激源に方向性の無いものに対する反応を傾性という。例えば光は方向性を持つから屈性であり、芽が光の方向へ伸びるものを屈光性(+)などという。一方、熱や明るさは方向性が無いから傾性であり、例えば熱に対しては傾熱性といいうことになる。したがって、キクザキイチリンソウの開花は傾熱性によって起こるということになる。

スプリングエフェメラル その3

2006年03月27日 | 自然観察日記
 カタクリ(ユリ科)。早春の花の代表、越後にも各所に大きな群落が残っている。とはいっても、年々開発の手が伸びることと、里山の放置が原因で、以前あった見事な群落がみすぼらしい状態になってしまったところもある。
 春、雑木林で林床に陽の光がたっぷりと当たるところで、初夏には雑木の葉が茂って林床が薄暗くなるような環境でないといい状態にならない。カタクリにはギフチョウが良く似合う。吸蜜にギフチョウが来て花に止まっている写真を見かけるが、今回はギフチョウの姿を確認できなかった。
 種子を運ぶのはアリだという。その現場を見たことは無いけれど、一つの植物は多くの昆虫や動物との関係で生存していることを学ぼう。その種子が発芽し、開花するのに10年以上はかかるというから、山菜として摘みムシャムシャ食べるというのはやはり控えたほうがいいだろう。食するならほんの一掴みの春を感ずるくらいにして欲しいものだ。
 今年もカタクリの花を堪能できるシーズンが始まった。しばらくは思い切り春を感じて過ごすことにしよう。

スプリングエフェメラル その2

2006年03月26日 | 自然観察日記
 ミチノクエンゴサク(ケシ科)、もう少し存在感を主張する色彩を示す個体もあるが角田の山には控えめなものが多いのか、淡い紫色の花を咲かせていた。エンゴサク(延胡索)は漢方薬の名称なのだろうか、その由来は知らないが、越後にはエゾエンゴサクとこのミチノクエンゴサクが野生する。いずれも、スプリングエフェメラルとしての仲間に入れておいて欲しい種である。
 ケシの仲間は花の形がユニークで、眺めていても見飽きない。他に、ケマンの仲間や、高山種のコマクサもケシの仲間だ。多くは有毒種でもあるから、逆に薬草として利用されていて価値の高いものが多い。
 変異の多い種でその分布を調べてみたらという先輩の助言もかつて頂いたことがあるが手付かずのままである。どなたかがある程度まとめられて論文にでも発表されているのかもしれないが、最近はそういう活動に縁遠くなったので新鮮な情報が入ってこなくなった。そろそろ時間的な余裕も出来る見込みになったから、再び調査活動に手を染めてみることにしようか。

スプリングエフェメラル その1

2006年03月25日 | 自然観察日記
 雪解けを待って、一斉に咲き出す可憐な草花をスプリングエフェメラル(春の妖精)という。今日は全国的な快晴。友を誘って角田の山麓を散策した。こぼれるような陽春の光の中、波音が聞こえ、ほのかな潮の香りも感ずるくらいの高台に点々と咲き始めた妖精たち。この上ない至福の時間を過ごすことが出来た。
 アズマイチゲ(キンポウゲ科)。イチゲは一花のこと。ごく似たものにクザキイチリンソウがあり、これも咲き始めていたが花の下に付く葉の形が違うから、細かな点まで観察できる人は混同しないだろう。イチリンソウの仲間は越後には多くまた量もあるから山好きの人間にはなじみの花であるが、毒草が多いから気をつけて欲しい。特にニリンソウを山菜とする人がいて、一緒に生育するトリカブトを混入させ中毒事件を起こした例がある。アブマイチゲも有毒とされる。

森の四季 * シロキツネノサカズキ(ベニチャワンタケ科)

2006年03月25日 | 自然観察日記
 図鑑では眼にしていたが、実物との初対面は角田山の山麓であった。早春の暖かい陽の光の中、スプリングエフェメラル(春の妖精)といわれる可憐な花々に会い、今年の山行の初日にするつもりで出かけた。メダケが茂る麓を過ぎて明るい雑木林に差し掛かるあたりに、宝石のようなシロキツネノサカズキが顔をだしていた。それほど珍しいものでもないと思うのだが、なかなか私の前に現われてくれないきのこだったから、小躍りしながらカメラのシャッターを切った。赤いきのこなのに「シロ」というのも気になるが、キツネノサカズキなどといわずに「妖精の杯」と名付けてくれれば、待ちに待った春の到来を「妖精」と一緒に過ごした今日の日にぴったりの名前なのだが。シロキツネノサカズキはしのう菌類のベニチャワンタケ科に分類され、枯れ枝な どから出る木材腐朽菌の一種である。(H18.3.25)

ぶり返し

2006年03月13日 | 自然観察日記
 我が家の庭にもフクジュソウの路地植えがある。ご覧の通り雪が消えた木の下から芽吹いてきた。他の地域ではもうとっくに福寿草の花を堪能し、既に散ってしまったところが多いだろうが、雪深い越後はこれからというところ。
 春先に見る上州当たりのフクジュソウの群落は日当たりの良い明るい環境にあるように思うのだが、私が越後の山野で見かけるものは、ほとんど夏場の葉だけの季節だからか、鬱蒼とした林や森の下草としての群落である。
 多くの野草がそうであるようにフクジュソウも自然の群落が減っているのであろう。しかし、まだ人知れず大きな群落になっている場所に何回か遭遇している。残念ながら花の時期でないから、どういう光景になるのか判らないが、個体数の多さからそれなりの見事さがあるかもしれない。とはいえ、もう何年も訪れていないから、以前の状態がそのまま保存されているか判らない。今年あたり花の時期にでも訪れてみたいものだ。


フクジュソウ(キンポウゲ科)

2006年03月12日 | 自然観察日記
 我が家の庭にもフクジュソウの路地植えがある。ご覧の通り雪が消えた木の下から芽吹いてきた。他の地域ではもうとっくに福寿草の花を堪能し、既に散ってしまったところが多いだろうが、雪深い越後はこれからというところ。
 春先に見る上州当たりのフクジュソウの群落は日当たりの良い明るい環境にあるように思うのだが、私が越後の山野で見かけるものは、ほとんど夏場の葉だけの季節だからか、鬱蒼とした林や森の下草としての群落である。
 多くの野草がそうであるようにフクジュソウも自然の群落が減っているのであろう。しかし、まだ人知れず大きな群落になっている場所に何回か遭遇している。残念ながら花の時期でないから、どういう光景になるのか判らないが、個体数の多さからそれなりの見事さがあるかもしれない。とはいえ、もう何年も訪れていないから、以前の状態がそのまま保存されているか判らない。今年あたり花の時期にでも訪れてみたいものだ。


オウレン(キンポウゲ科)

2006年03月11日 | 自然観察日記
 我が家の庭で一番の早起きの草である。オウレン、まだ屋敷には40~50cmの積雪があるが、庭木の周囲や植え込みのところは雪が無くなって地面が露出しているところが目立つようになったのだが、そんな場所に住み着いている。
 早春の陽の光を浴びるやいなや、たちまちうのうちに起き上がり、体制もしっかりしていないのにもう開花である。やっと、遅い春が我が家にも来たようだが、雪消えはまだまだ先である。
 オウレンは薬草としても知られている。健胃剤だ。試したことは無いけれど、かなり苦いという。根が黄色で、キハダという健胃剤に良く似ている。これは口にしたことがあるから、その苦さは想像がつく。黄色の根がたくさん出るから「黄連(おうれん)」というのだそうだ。越後の特に海岸に近い西山の丘陵にたくさん自生している。

ロウバイ(ロウバイ科)

2006年03月10日 | 自然観察日記
 昨年の冬、少々冒険をする機会があって、計画も立てずに上京し新宿御苑で時間を過ごすときがあった。寒々とした日で御苑には人影もまばらであった。温室が目当てで出向いたのだが、途中にロウバイという木があった。
 中国原産の時々庭木として植栽されるものらしいが、長岡では見たことが無い。図鑑では承知していたのだが、現物は初めてでカメラに収めた。花期には良い香りがするということが後で判り、香りを嗅ぐことをしなかった。柵がしてあったとはいえ、香りを嗅ぐこと位は許されるはずだから、本当に心残りである。花がろう細工のような感じがするというのでこの名があるのだが、大して花の価値は高いとは思えないが、冬枯れに咲く点が珍重されるくらいにしか考えていなかったのが浅はかであった。
 しかし、思いつきの冒険旅行はいろいろな思い出が出来、それはそれは充実したものであった。また、いつかスケジュールのない旅でもしてみよう。

突然の訃報

2006年03月09日 | 自然観察日記
 人生にはいくつもの屈折点があり喜びや悲しみの衝撃が襲ってくるものだ。予期していたり、徐々に近づいてくるものならある程度の心の構えも出来ようものだが、不意に襲ってくるものに対してはその精神はもろい。
 妻の親友の一人が自ら命を絶った。そうなる理由はあったにせよ、彼女を知る私にとっても妻ならずも驚きである。気丈な妻の落胆振りが、普段見せたことがないだけに、その事実の大きさを伺わせる。
 本当に悲しいときは涙も出ないとある人が言った。そういえば、中越大震災のときの家や財産を失った人が、その惨状を見ながらつぶやく姿に、今日の妻の姿が似ているような気がする。
 しかし、それも大きな意味で一つの常態。命あるものの宿命。どういう形をとろうと、同じ帰結になる。そういうことを考えながら、生きていくうえでの数々の「終わり」や「締めくくり」をどう演出しようか考えてみる。今後訪れるであろう自らの節目の終焉を自分なりの美学でくくりたい。

フッキソウ(ツゲ科)

2006年03月08日 | 自然観察日記
 我が家は病院と縁が深い。私自身は縁遠いのだが、家内が特にご厄介になっている。長岡の日赤病院は一時自宅化したことがあるから、病院の隅々まで頭に入っている。
 入り口の日陰の坪庭にフッキソウが植えられている。造園された当時はそれでも見られる状態ではあったが、数年後の今は少々みっともない状態である。建物寄りの一角は機嫌が良い状態で生育しているが、そのほかの場所は雑草が入り込んだりゼニコケが蔓延り見る影が無い。
 もともと、日本に自生する植物で、花は大したことはないが観葉植物として寒さにも日陰にも強いためグランドカバーに利用される。結構強そうな植物だが日赤病院の庭の状態を見ていると、それなりのデリカシーを持っている植物である。写真は地震の被災地である蓬平温泉の片隅に生育していたものである。もうしばらく雪の下で春を待つことになるのであろう。