山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

栄枯盛衰 寺の跡

2011-01-11 19:17:26 | 歴史・文化財

 一昨日、磐田市の岩室寺跡を訪ねた。 駐車場前には迫力ある獅子のトイレがあった。 トイレにこれだけ予算をつけるとはたいしたものだと感心しながら、すぐ近くの観音堂を見に行った。

                             

  この近くの昔の地名は「比丘尼」(ビクニ)谷と言って、国分尼寺があったらしい。また、岩室寺は奈良時代以降、「遠州の高野山」と言われるほどの七つの伽藍がある広大な寺だったようだ。 

 しかし、比叡山と対立したことで、敵の僧兵により寺が焼かれたり、次いで信長軍によっても焼かれるなど、戦災被害の歴史だったようだ。 

                       

 お堂の中には戦乱の中で土中に隠したという大日如来の藤原様式らしき木彫坐像が置かれていた。

  また、そのとなりに「東照大権現」(徳川家康)の「台徳院」(2代将軍家忠)、「崇源院」(家忠の正室)の位牌があるらしいが、外からは見えないし真偽のほどはわからない。

  それにしても、これだけ由緒深い場所にもかかわらず、人が常駐していないのは残念。 この観音堂がいつごろのものかもわからない。

 雨ざらしの建物や付近のようすがもったいない。 というより、よくぞここまで管理運営してきてくれたと評価するほうがいいのかもしれない。 断片的で不十分な解説板があるものの、系統的な説明・案内板がないのが惜しい。

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