山深い眺望の良い春野町の廃屋で「祖霊舎」らしきものを見た。
神道では死者の魂は子孫を見守るものとして家に残り、「霊代(ミタマシロ)」という位牌(仏教でいう)のような器に移され、この神棚に納められるという。
現在この立派な家屋敷を守っているのは、この小さな「祖霊舎」だけである。
これが玄関頭上に配置されるべきものかは定かではないが、とりあえずそれで荒廃を防ぎ、静かなたたずまいと威厳とを保持している。

街なかではこうした標識を見ることはなかなか少なくなった。
時代という押し寄せる波は、ときに津波となって過去を清算してしまう。
そんなときどういうものを構築するべきかが我々に問われている。
それを受け止められる感性を研かなければならない。
と思いながら、きょうもよだれをたらしながらうたたね寝をしてしまう。
神道では死者の魂は子孫を見守るものとして家に残り、「霊代(ミタマシロ)」という位牌(仏教でいう)のような器に移され、この神棚に納められるという。
現在この立派な家屋敷を守っているのは、この小さな「祖霊舎」だけである。
これが玄関頭上に配置されるべきものかは定かではないが、とりあえずそれで荒廃を防ぎ、静かなたたずまいと威厳とを保持している。

街なかではこうした標識を見ることはなかなか少なくなった。
時代という押し寄せる波は、ときに津波となって過去を清算してしまう。
そんなときどういうものを構築するべきかが我々に問われている。
それを受け止められる感性を研かなければならない。
と思いながら、きょうもよだれをたらしながらうたたね寝をしてしまう。