今使っている丸い金属製のお盆がある。それは奥春野の集落にバスが開通したとき(昭和44年、1969年)の記念品なのだった。
王子製紙が寒村だった「気田(ケタ)」にパルプ工場を操業開始したのが明治23年(1890年)。突然、山間地に街が形成されていった。そこから、木材運搬の道路建設が山間地へ向けて開削されていったのが大正2年(1913年)。したがって、55年の悲願がこの素朴なお盆に刻まれている。
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この県道が国道に昇格したのが、昭和50年(1975年)。杉・川上地内の道路舗装が完了したのが昭和53年(1978年)。つまり65年かかって道路が舗装に至ったわけだ。この「観光案内」のお盆には、鮎・シイタケ・お茶・木材のイラストとまわりの山並みが描かれている。どこが「観光地」かと言われると返答に窮する。この状況は50年前とほとんど変わらない。しかし、変わらない景観・風土というものは、変らない珠玉の価値を内包しているともいえる。日本が置き忘れた正倉院がここには埋まっている。朴訥なこのお盆はその証左ではないだろうか。
王子製紙が寒村だった「気田(ケタ)」にパルプ工場を操業開始したのが明治23年(1890年)。突然、山間地に街が形成されていった。そこから、木材運搬の道路建設が山間地へ向けて開削されていったのが大正2年(1913年)。したがって、55年の悲願がこの素朴なお盆に刻まれている。
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この県道が国道に昇格したのが、昭和50年(1975年)。杉・川上地内の道路舗装が完了したのが昭和53年(1978年)。つまり65年かかって道路が舗装に至ったわけだ。この「観光案内」のお盆には、鮎・シイタケ・お茶・木材のイラストとまわりの山並みが描かれている。どこが「観光地」かと言われると返答に窮する。この状況は50年前とほとんど変わらない。しかし、変わらない景観・風土というものは、変らない珠玉の価値を内包しているともいえる。日本が置き忘れた正倉院がここには埋まっている。朴訥なこのお盆はその証左ではないだろうか。