杉田俊介『安彦良和の戦争と平和』(中央公論新社、2019.2)を読む。著作の三分の一は、安彦氏の主要なベストセラー「機動戦士ガンダム」についてのインタビュー。その作品は個人的には全く関心なかったので、活字を機械的にひたすら追っただけだった。だから全く全容はわからない。「本来の、正しい思想なんてないんだよと。それが<ガンダム>のもともとのリアリズムでしょ、っていうのが僕の考えなんですけどね。」という安彦氏の投げ捨てるような言葉が印象に残った。
『虹色のトロツキー』に出てくる満州国の「建国大学」の評価について、純粋に「五族協和」の理想を考えている生徒や教師が存在していたことも描き、日本の植民地支配に抵抗した動きがあったことも忘れず、一面的に叙述していないところに安彦氏の葛藤が出ている。
また、ロシアのスパイ・ゾルゲに情報を売った近衛総理のブレーンだった尾崎秀実について、彼の平和主義的な立場は共感するとしても結果的に日本を売ってしまった罪は大きいとして、歴史の評価が時代によって分かれる怖さを安彦氏は語る。
杉田氏は「安彦作品では、民族や主義主張を超えて、様々な民族や混血の青年たちがより集まって、無国籍なアジアの荒野や雪原を進んでいく、というイメージが何度も描かれる」として、そこに安彦氏のルーツを「試行錯誤の過程としての<弱いアジア主義>そのものなのではないか」と分析する。
「おわりに」で杉田氏の永遠の青年のような安彦良和論をまとめる。安彦氏の立場は、「様々な愚かさや弱さを抱え、無様で滑稽な間違いをくりかえし、それでも歴史の<道>を<狗>のように探し求めていく」ということ、「歴史を生きるとは<わかり合えない他者>に向き合うこと」にあるとする。次回は東北の蝦夷のリーダー「アテルイ」こそ描いてほしいものだ。
個人的にはマンガの主要な人物の表情の描き方が気に入らない。そこにどうしても複雑な安彦氏のアクを感じてしまう。そのアクの息苦しさをしっかり抱えるほどの度量はオイラにはない。しかし、権力に媚びない「まつろわぬ」人物像にはおおいに共感できる。それは市井に暮らすオイラたちは今の歴史の絡まりに対し、いかに自らの力でひも解いていくかのヒントが安彦作品にはあるように思うからでもある。