先週、地元の中心的な農家の母堂が亡くなった。享年96歳の大往生だった。組長を中心に集落の人のほとんど(除・病人)が三日間その準備と運営にあたる。会社勤めの衆も休みを工面している。 一日目は葬儀を執り行う任務分担の打ち合わせ。二日目は祭壇の組み立てと通夜の運営。三日目は告別式・火葬、夕方から僧侶と地元との会食「精進落とし」、という日程で一日かけて地元がかかわる。
お寺が保有する立派な祭壇は20個近くの木箱からの部品で組み立てていく。それを倉庫から運搬し、写真と説明書を手掛かりに組んでいくがパズルのようだ。みんなの知恵を絞りながら組み立てていく。人数がそこそこいるのでなんとかなってしまう。
地元衆が担うのは、役所への火葬・埋葬許可書手配、火葬場での接遇・弁当配布、受付と香典返しのセット、駐車スペースの案内、精進落としの準備等々、やることはいっぱいある。
関係者の弁当外注だけでなく近隣主婦の手料理づくりも忙しい。都会の葬儀はあっさり合理化されているが、地方の葬儀はまだまだ伝統が生きている。しかし、じわじわと人口が減ってきている現実のなか、いつまでこれらを続けられるだろうか。また、寺院の役割も葬儀行為だけに安住していいのだろうか。地方の現実を変えていく寺社・宗教のあり方を考えざるを得ない。
「昨年から今年にかけて、70代後半から80代にかけて亡くなる人が急速に増えてきた」と、葬儀屋がぼそっと心配していた。高齢化日本は、組織も会社も政治家も地域も「哲学」も衰退がはなはだしい。活路はいったいどこにあるのだろうか。