山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

弾圧・無視された新興川柳のきらめき

2020-03-14 09:39:57 | 読書

 30年ほど前、書店で眼にとまった川柳の本。川柳に関心がなかったためか購入したものの本棚の隅っこをずいぶん温めていた。大正から昭和にかけて時代の抑圧と闘った新興川柳について、川柳ファンの田辺聖子は「彼らのすぐれた業績が今まで世に知られること少なかったのは、川柳界だけではなく、日本文学自体の怠慢といわなければならない。」と指摘。日本文学史に「陥没欠落した部分を早急に発見して埋めていくべきではないだろうか」と提起。

       

 その中でも弾圧され続けてきた新興川柳の資料を丹念に収集・調査・分析したのが、坂本幸四郎『新興川柳運動の光芒』(朝日イブニングニュース社、1986.11)という労作だった。

 とりわけ、特高に監視され獄中で亡くなった<鶴彬(ツルアキラ)>の川柳は時代を人間を見事に告発している。29歳の若さで夭折する。代表作の「手と足をもいだ丸太にしてかえし」。丸太は陸軍の隠語。731部隊で実験台となった中国・朝鮮人を「丸太」と呼んでモノとして蔑称・殺戮していったことがあった。手足をもがれて故郷に戻った軍人の残酷を糾弾している句だ。

 

 明治末に先駆的な川柳を拓いた<井上剣花坊>は、「米の値の知らぬやからの桜狩」「天国は近し教会裏で餓死」も庶民的で人間的佳作だ。鶴彬を官憲から匿った国士の志があった。

 剣花坊の遺志を継いで高齢になってもなお句作を続けている妻の井上信子の代表作「国境を知らぬ草の実こぼれ合い」。これについて評論家の高田保は、時局におもねる既成の文壇を揶揄して、信子の世界情勢吟を讃える。また、たびたび官憲に呼び出された暮らしの中で詠んだ句、「どのように坐りかえてもわが姿」に剛毅な「烈婦」と評価している。

    

 国策標語・翼賛マスメディア・世論をはじめ、「皇軍慰問川柳」「愛国川柳」「戦争賛美川柳」などの包囲の中、新興川柳の輝きは現代に生かされているのだろうか。それを考えるうえで、坂本幸四郎氏の地道な功績はその礎となることは確かだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする