山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

テラちゃんの遺稿詩集『一息いれて』 その③

2016-01-19 14:40:45 | ポエム
 寺山利子さんの絶筆となった詩は「悔やまない」という詩だった。
 テラちゃんの詩を写しているうちに、目頭が熱くなった。
 現実の喜怒哀楽を広い世界の中で飲み込んで咀嚼した前向きの人生だった。
 小さな体に大きな魂がみなぎるこのスケバンの生き様は、最後まで優しく、ブレない一生だった。

 
 「悔やむことなど何もない
  勝手きままに自分を追い求め
  自由に生きてきた
  全て自分が選んできた道
  何一つ他人に押し付けられもせず
  思うがままの道を歩いてきた
  だからどんな死に様も受け入れよう
  見苦しくても
  言っているほどのかっこよさも無くても
  それが有りのままのわたしなのだ

                              
  生命をあたえてくれた父と母
  帯折れでシワシワになった1枚の写真
  幼い私が写り家族十人が揃う
  引き揚げでの過酷な話も
  一杯のうどんを分け合った貧しさも
  すっぽりと包んでくれた母の手の温もり
  反抗の時期を泣きながら支えてくれた姉
  兄の空き弁当箱に詰められたヤマモモの味
  末っ子の悪ガキだった私が
  これまで生きてこられたのは
  いつも周りの人たちの支えがあったから

                          
  独り立ちがしたいと言ったとき
  <あなたが選んだ友だちが信じられるから>
  <辛かったらいつでも帰っておいで>と言った母
  たどたどしいひらがな文字が
  荷物の間から
  <からだにきをつけて>と毀れてきたとき
  西へ向かう列車の汽笛が
  白々と夜明けを呼んでくる
  それでも故郷に帰らなかったのは
  いつも友だちがいてくれたから

                           
  時代の流れのその時を
  一緒にかかわれ、ともに
  スクラムを組めた友だちがいたから
  書くことの喜びを教えてくれた
  夜通し激論を交わした
  路傍に咲いた雑草に微笑み
  木々の芽吹きに嬉々とした
  何よりの命の大切さを語り合えた
  友だちに出会えたから

                           
  私のわがままな人生そのものを
  すっぽり受け入れてくれた人がいたから
  私に繋がる二つの生命
  幸恵、友世
  あなたたちは私の生きた証
  選ぶして選んだわけではないが
  あなたたちが選んだ道は
  図らずも私が願った道だった
  勝手な母であったけど
  ありがとう
  私の家族であってくれて」
                           (2014年10月) 11月11日永眠




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