山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

土壌とは生と死との蓄積 『土の記』

2018-10-11 19:53:50 | 読書

 直木賞作家・髙村薫『土の記(上・下)』(新潮社、2016.11.)をやっと読み終える。推理・警察小説で名をはせていた髙村薫が、過疎の農村を舞台とした生と死との混沌を紡いだ小説だ。地学が好きだったという作者の土壌に関する知識がふんだんに出てくるのにはとてもついていけない。表紙も土壌標本の「モノリス」をあえて使っている。

      

 冒頭に老女の失踪が出てきたが最後までその真相は不明のままだ。主人公は妻を失くしてまもない「まだら惚け」の夫だが、妻の死の真相も推定のままだ。狭い過疎地で人と生きていくにはまがまがしい日常とつきあっていかなければならない。そんな不安感と孤立感とがわさわさと家にも「海馬」にも音を立てて迫ってくる。

             

 そんななかで何とか引きこもりもしないでやっていけたのは、稲の生育を正確に手立てしていくこと、娘や孫それに近所の緩やかなつながりをたんたんとつきあっていくことに違いない。土壌の有機成分は、動植物の折り重なる死によって豊かになり、生を生み出す。したがって、死は特別なものではなく生活の一部だ、と作者も述懐する。

             

 その生と死との絡み合いが主人公の「海馬」に回転木馬のように次々表出されていく。そういう人間のはかなさやどうしょうもなさを生きていくなかに、周りの昆虫や魚が変わりない生を繰り返していく。物語性はまったく削除され、エッセイのように日々が過ぎていくだけである。

    

 そうした身近な小さなものや自分の足元のドラマに目を向けていくところが今までの髙村文学と一線を画するもののようだ。凡庸な日々のなかに小さな生のいとおしさを大切にしようとする作者の新たな地平が見えてくる。文体がすべて五感のような器官に変わったような表現に感心する。しかも、科学的な用語と硬質な文体の展開がとても女流作家とは思わせない。最後はこの地域で大規模な深層崩落の土砂崩れがあり犠牲者が出たことを述べて終わっている。

       

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畑の現在の赤・青・黄色って、なーに?

2018-10-10 18:57:24 | 野菜・果樹

 雑草と競合しているわが畑をざっと一巡してみて目立つ「色」と言えば。鮮やかに色ずいている赤トウガラシがまずあげられる。春にいただいた種の袋に「ナンバン(南蛮)」と「トウガラシ」と書いてあったので、品種が違うものと思っていたが同じものであることを恥ずかしながら知る。見事な真紅の赤で鳥獣たちを挑発している。かじってみたがさすがに辛い。氷を口に入れないと我慢できないほどの辛さだった。

              

 畑に近づくとさわやかな匂いが漂ってくる。昨年はうまく生育できなかったが今年は大きく育った「シナモンバジル」だ。花は青というより紫に近い上品な色合いだ。いわゆるバジルは市販されているが、シナモンバジルはなかなか入手できない。ネットでやっと入手したのだ。葉をときどきジュースに入れたりして、隣の野生化したミントと匂いを競っている。

        

 パプリカは赤と黄色を生育していたが今は黄色だけになった。黄色のパプリカは美肌・老化防止に効果があるビタミンが豊富だそうだ。赤パプリカはカプサイシンがあり抗酸化作用が注目されているが、赤・黄両方のよさが含まれている橙色のパプリカを次回は挑戦したい。実が重かったり、台風や強風でいつも枝が折れてしまう被害があったが今回はなんとかこらえられた。

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リモコンの調子が悪い

2018-10-09 21:26:37 | 特産品・モノ

 酷使するせいだろうか、テレビのリモコンの調子がすぐ悪くなる。チャンネルを押しても画面は変らない。強く押すとときどき正常になる。以前も調子が悪くなったので昨年買い替えたばかりだ。故障の原因をネットで調べると内部の汚れが原因らしい。しかし、内部を開けるには普通のドライバーでは開けられない。

           

 舌打ちしながら遠いホームセンターに精密ドライバーを買いに行く。それでなんとか蓋を開けたがそこから先がなかなか開けられない。せっかくドライバーを買ったのにこれ以上いじると壊しかねない。そこで、いつも気になっている電池の部分を見直す。前回もそうだったが、電池が接触しているバネに問題がありそうだ。

          

 バネの緩みにも原因がありそうだと、バネを伸ばしてみたらとりあえず調子がよくなった。製造はメイドインチャイナだったのでなるほどと首肯したが、天下のソニーももう少し消費者の立場を考えてほしい。往年のソニーの心意気がずいぶん風化してきている。やはり最近の大企業は、旺盛なものづくり精神より目先の利益ばかりに手を出してしまう。そんな底の浅さをこのリモコンでも感じてしまう。ふーっ。

 

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庭がキャンプ場になった

2018-10-08 19:32:59 | 野外活動

 焚き火場を支える3本の支柱が古くなったので、裏山からヒサカキ・ガマズミを伐って来て新調する。これで5代目の支柱となる。雑草や竹・木の枝が溜まってきたのでさっそく火を点ける。そこへ、同じ町内の金子さんらがサンマや焼きそば15人分を持参してやってくる。すぐさま焼き出す手際の良さが久しぶりに懐かしい。

    

 さらにそこへ、川上地域の梅沢さんを先頭にその弟子と愛知からの竹細工関係者及びその子どもたちもやって来て合わせて20人くらいの昼食となる。たっぷりだったサンマや焼きそばでけっこうお腹も満杯。野菜はわが畑のクウシンサイ・金時草を入れる。

 さらに、塩麹・ニンニク漬けの鹿肉を七輪で焼いてみんなで食べる。足の肉だったので硬いかなと心配だったがとっても柔らかく子どもたちも一緒に食べられた。持参していただいた漬物も超うまく、そんなこんな食事の様子をカメラに納められなかったのが残念。

          

      

 なんといっても、過疎地域では珍しく幼児や低学年の子供たちが多かったのが素晴らしい。若いママさんも幼児をおんぶしながら参加する心意気も素晴らしい。最後のダッチオーブンでできた大量の焼き芋も別腹であっという間に完食。そして裏の畑のシイタケ狩りをしてからそれをお土産にして解散となる。熱いコーヒー・ピザ・うどんも用意していたが時間切れ。わが庭が突如賑やかなキャンプ場となった。めでたし、めでたし。

 

  

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天にサバ、地にきのこ!?

2018-10-07 20:33:38 | 風景

 台風が直撃しそうだという予測がはずれ、きょうは蒼天の晴れ。現在の台風は北海道方面でまたもや大暴れしている。そのせいか、風も雲も不安定だ。先週から強風に備えていた窓ガラスに打ち付けていたベニヤもやっと撤去する。変転する空が面白い。

                   

 裏の畑を覗くとシイタケが見えたのであわてて周りの雑草を刈り取る。竹や寒冷紗を剥ぎ取るとあちこちシイタケが大きくなっていた。暑さ対策のマルチの効果があったようだ。次々やってくる台風・大雨のおかげかも。

        

 午後になると、空には見事な「サバ雲」が安定的に泳いでいた。同じキャンバスのなかに変転する雲のドロウィングに秋を感じる。「サバ雲」は「うろこ雲」「イワシ雲」とともに同じ「巻積雲(ケンセキウン)」の仲間で、いずれも高層にある雲だ。秋は天と地との競演が楽しみな季節となる。

                

 そろそろ、落花生やキウイフルーツも収穫の時期がやってくる。畑には毎日のように動物の痕跡があるが、とりあえずミミズが犠牲となっているようだ。害獣除けの「木タール」の効果が出ているのか、落花生にはまだ手を出していない。

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4回泣ける?「コーヒーが冷めないうちに」

2018-10-06 20:02:14 | アート・文化

 昨年本屋大賞にノミネートされた小説(原作・川口俊和)を映画化した「コーヒーが冷めないうちに」を観る。監督は映画デビューの塚原あゆ子。とある街の喫茶店のある席に座ると望んだとおりの時間にもどることができるという。そこに訳ありの人物が訪れてタイムスリップ・ストーリーが始まる。ただし、過去に戻ってどんなことをしても現実は変わらないなどのルールがある。

      

 そのなかに、過去に戻れるのはコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ、というルールがある。その喫茶店の主人公が有村架純が演じる。脇を固めるキャストには、石田ゆり子・薬師丸ひろ子・吉田羊・松重豊らが配置され、わけあり人物を好演する。「起こってしまったことは変らない。でも、人の心は変ります」「過去は変えられないけど未来は変えられる」というのがこの映画のメッセージのようだ。心温まるエピソード満載で感極まるシーンがあったが、4回は泣けなかった。有村架純の凛とした姿と所作が印象的だった。

   

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蜘蛛屋敷からカマキリ屋敷へ変身!?

2018-10-05 20:24:33 | 生き物

 家の中で歩いていると突然顔が蜘蛛の巣に引っかかることがあった。さすがに最近はなくなっていったが、畑ではそれがふつうにある。ときには小枝を高く捧げながら歩けば蜘蛛を驚かすことはない。夏の後半からはカマキリが家を占拠してしまった。家の中がよほど餌だらけだったのだろうか。

             

 なにしろ「オオカマキリ」の大きな成体が堂々とあちこちにいる。鎌のある前足の胸部分・つけ根が黄色だと「オオカマキリ」。オレンジ色だと「チョウセンカマキリ」だ。両者の違いは一寸見だけでは難しいが、この色の違いを見る方法が確実。

             

 同時に、茶色の小型カマキリの「コカマキリ」もいたよ。コカマキリのわりにはやや大きい部類に入る気がする。まれに緑色したコカマキリもいるという。相手を威嚇するときは翅をこすり合わせて音を出すというが、まだ聞いたことはない。

      

 前足の裏側に白黒のまだら模様があるのが特徴という。つい茶色だとコカマキリかなと判断してしまうが、こういう見分け方があるとは。いかに身近な昆虫をしっかりみていないかが身に染みる。昆虫少年ではなかったオイラの少年時代は漠然と生きているだけだったように思う。好奇心そのものもなかった。今やっと好奇心がジワーッと出てきたが後期高齢者の影が迫っている。

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カニの味を忘れていた

2018-10-04 21:04:04 | 食彩・山菜・きのこ

 たまたま北海道に行っていた娘から「タラバガニ」が宅急便で届いた。ふだんは畑の野菜を毎日のように食べているのでカニという存在とその味をすっかり忘れていた。赤貧の暮しをしていると店に高価なカニを売っていても自動的に視界から削除されてしまう。

       

 久しぶりに鍋を囲む。うだる暑さはついこの間のことだったが、今ではこたつにスイッチを入れて秋の夜長に備える始末だ。台風の連続パンチにも翻弄され、近所の山では大木が道をふさいでしまったという情報もある。そんな自然の脅威にさらされながらも贈られたカニを楽しむ小さな幸せを味わうのだ。ポン酢で食べるとカニも野菜もいっそう味が引き立てられる。

       

 畑からたまたま収穫したヤングコーンとトウモロコシの髭も鍋に投入。トウモロコシの髭は栄養もあり近頃注目されている。シャキシャキした食感がありほんのり甘さもある。昔はカニの足を割るのに苦労したが、今では食べやすいよう工夫がなされている。さすがカニの味の甘さとコクがお代りを要求する。カニだけで永遠に食べられる妄想が支配するが、すぐになくなるという現実が迫る。カニ道楽はなかなかできないからこそカニの価値が高まるのだという法則に素直に従うしかない。

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そこは隠れ家だった

2018-10-03 19:01:21 | できごと・事件

 最近青空が見えるのは貴重な日となった。度重なる台風の脅威で洗濯を干す場所が喪失しているからでもある。わが家の物干しは畑の中にあるので雨のときは打撃だ。青空が出てきたとき和宮様がうららかに洗濯物を干していたときだった。何者かが至近距離で和宮様をマーク。目が合って和宮様は倒れそうになるくらいの衝撃波があったという。なるほど今から見れば、この風景からその理由がわかる。

         

 竿の先端にアマガエルがこちらの様子を見ているではないか。和宮様はその目と目が合ったのだ。どんな事態があろうとカエルは自分の運命の行末を見通している隠者でもある。数か月前からここに隠遁しているが極めて安全なシェルターを見つけたものだ。

         

 カエルのねぐらは決まっていない気がしていたが、この隠者のごとくカエルがカエル場所があったというささやかな、当たり前の発見がある。自然界に属しながらこうした人工物に適応する生き残り戦略は見上げたものだ。これから寒さが厳しくなるなか、ここなら快適空間かもしれない。おいらはさすがに適応できず掘り炬燵の準備をする。スイッチを入れればいいだけにしておく。

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美しい時代劇「散り椿」

2018-10-02 19:44:38 | アート・文化

 黒沢組でカメラマンをやっていた木村大作監督の「散り椿」を観る。監督は、「剱岳・点の記」で命がけの撮影で日本アカデミー賞最優秀監督・撮影賞を受賞しただけに、オールロケのすべての自然描写といい建物の荘厳さといいカメラマンらしい美的視点が際立つ。最後のシーンも林立する杉並木のスケールを借景に人間の愛情の機微を暖かくも静かに応援する。(画像は東宝パンフから)

 

            

 「散り椿」とはあまり聞かれなかった椿だが、花弁が一枚ずつ散っていくという珍しい椿であり、一木に白から赤まで咲いていく「五色八重散り椿」だ。静謐でいて華やかなこの椿で何を語ろうとしたのだろうか。登場する女性の姿でもあり、主人公である岡田准一・西島秀俊らの生きざま・愛の形なのだろうか。登場人物の所作の美しさも見ものだが若い人には退屈になるかもしれない。

            

 圧巻は岡田准一の殺陣のキレと美しさだった。本物の豪雨の中の斬りあいシーンは「七人の侍」や「用心棒」を彷彿とさせ、黒沢映画のベースが所々に観られる。主人公が語る「大切に思えるものに出会えれば、それだけで幸せだと思っております」とは、監督が黒沢明や高倉健らと出会った経験から出た言葉らしい。

 原作の葉室麟は昨年12月に病死してまもない。彼の時代小説のパターンは、本映画もそうだが藩の中枢の不当な権力構造がありそれに名もない武士が身命を賭してピュアに立ち向かうというストーリーが多い。それは最近の政権中枢やスポーツ界の腐敗と似た構造だ。「大切に思える出会いの機会」が遠のく現実から、それをどれだけ手繰り寄せられるかが生きているわれわれの手腕だ。

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