直木賞作家・髙村薫『土の記(上・下)』(新潮社、2016.11.)をやっと読み終える。推理・警察小説で名をはせていた髙村薫が、過疎の農村を舞台とした生と死との混沌を紡いだ小説だ。地学が好きだったという作者の土壌に関する知識がふんだんに出てくるのにはとてもついていけない。表紙も土壌標本の「モノリス」をあえて使っている。
冒頭に老女の失踪が出てきたが最後までその真相は不明のままだ。主人公は妻を失くしてまもない「まだら惚け」の夫だが、妻の死の真相も推定のままだ。狭い過疎地で人と生きていくにはまがまがしい日常とつきあっていかなければならない。そんな不安感と孤立感とがわさわさと家にも「海馬」にも音を立てて迫ってくる。
そんななかで何とか引きこもりもしないでやっていけたのは、稲の生育を正確に手立てしていくこと、娘や孫それに近所の緩やかなつながりをたんたんとつきあっていくことに違いない。土壌の有機成分は、動植物の折り重なる死によって豊かになり、生を生み出す。したがって、死は特別なものではなく生活の一部だ、と作者も述懐する。
その生と死との絡み合いが主人公の「海馬」に回転木馬のように次々表出されていく。そういう人間のはかなさやどうしょうもなさを生きていくなかに、周りの昆虫や魚が変わりない生を繰り返していく。物語性はまったく削除され、エッセイのように日々が過ぎていくだけである。
そうした身近な小さなものや自分の足元のドラマに目を向けていくところが今までの髙村文学と一線を画するもののようだ。凡庸な日々のなかに小さな生のいとおしさを大切にしようとする作者の新たな地平が見えてくる。文体がすべて五感のような器官に変わったような表現に感心する。しかも、科学的な用語と硬質な文体の展開がとても女流作家とは思わせない。最後はこの地域で大規模な深層崩落の土砂崩れがあり犠牲者が出たことを述べて終わっている。