田舎生活実践屋

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私が昔過ごした学生寮の同志会の生活を詠んだ俳句(2024/4/10)

2024-04-10 22:48:40 | 俳句、短歌
最近は、竹田農園に電車~折り畳み自転車で行くとき、電車の待ち時間に、私が学生時代、3年間お世話になった同志会という小さい(定員max18名)の会報を読んでいる。
 今までは、毎年届くのだが、私が書いた近況とその前後の同級生の書いたものをパラパラ読むだけで、放置していた。電車の待ち時間、ダラダラスマホを見るよりも手軽な小冊子(かさばらず、リュックに入る)を読むことに。
 それで現在は、最近届いた同志会の会報。

 これを読んでいて、心に残った個所が、俳句。
私が卒業して、23年後に卒業された、中山善仁氏が詠んだ句

 木蓮や鑑三読みし寮の部屋

 この句は、残念ながら、中山氏が昨年(2023年)お亡くなりになったとの訃報を中山氏の母上が同志会に知らせてくれた手紙に添えられた句。(冒頭)
同志会を詠んだものと思うとの母上からの一言も。

   同志会は、1902年に坂井徳太郎という当時25歳の青年が設立したキリスト教系の寮で、創立120年になる古い小さい学生寮。教会や行政のバックアップはなく、卒業生の寄付の寄せ集めや、これも卒業生が入れ替わり立ち替わりボランティアで世話人にはせ参じて、都内の大学生の小さい寮として今も続いている。
 キリスト教の宗派は問わず、カトリック、聖公会、プロテスタント、無教会(内村鑑三に由来)と融通無碍。
 私は、内村鑑三の弟子の矢内原忠雄、そのまた弟子の西村秀夫、杉山好先生という方の著書やら講義に惹かれて、聖書を手に取った。
 この句の、鑑三は、内村鑑三。
 後世の最大遺物など、内村の名著を私も同志会の静かな部屋で読んだし、お会いする機会はなかったが、この中山氏も内村鑑三の著書を読んで過ごしたのだろう。気持ちが50年前、22歳の昔に一気に帰る深く印象に残る俳句でした。

 この中山氏、どういう方だったのだろうと、同志会の会報を何冊か見てみましたが、法学部政治学科の卒業、滋賀県の大津にお住まいとしか分からなかった。

 ネットで、お名前と大津で検索すると、俳句をよく詠んでいたようで、NHKのテレビの俳句番組で特選に選ばれていました。

 その句が

 タンポポを踏めり 踏み絵を踏むがごと

 これもいい句だと思いました。

更に、同じ番組の特選に

 白々と 明くる夜空や 冬田あり

 が選ばれていました。
自然に深く親しんだ方だったと思います。

50歳前後の若さで亡くなられたのは残念だが、人の記憶に長く残る俳句をいくつも残していかれた良い人生だったのだろうと思いました。
 
コメント
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