田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

親離れ物語(2015/6/8)

2015-06-08 22:12:06 | ルーツはここに?
普段通っている職場で、最近、手作り月刊新聞を作っている。先月から、テーマ、「私の親離れの時」、で随筆をメンバーが順番に書くことに。今度は私の番で、亡くなって、8年たつ父の号泣の思い出を書いた。懐かしい、50年近く前の出来事。
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父の号泣  ~私の親離れの時~    

 私は今、66歳、私の親離れは、小学校6年の頃と思っていた。思春期になり、体格も父親を上回り始め、両親のアドバイスも、ただの面倒な小言と感じられて、学校など家の外では、陽気でよくしゃべる少年、家に帰ると、親と顔を合わせるのも話すのもうっとうしいと、自分の部屋に籠城状態。そんな親子関係のまま高校2年生に。夕飯時、気まずい空気が流れたことがあった。父兄懇談に来た母に、担任の先生が「お宅の息子さんは、クラスの委員長だが、あまりクラスの面倒を見ず、勉強ばかりしている。文科系に進んだ方が良いと思っていたが、理科系の方がいいかも」と言っていたと、母が話題に。父の顔色が変わったのが分かったが、何も言わなかった。籠城の効果。その少しあと、母校の野球の応援に出かけたが敗戦で、くたびれて我が家に。メリヤス店を両親は営んでおり、母から丁度、問屋から届いたメリヤスの荷物を開梱して、家の中に運んでおくようにとの指示。疲れているのにと、荷物を足蹴にして、ふくれっ面で、だらだらと作業に。そのことを母が父に話した途端、父が店の商品をひっくり返して暴れ始め、あっけにとられた家族や客を無視して、家の奥に。私はそのまま、商品を整理して、段ボール箱を倉庫に運んでいくと、そこの土間で、父が子供のように寝転んで号泣。これには驚く。父は、担任の先生の私への意見を耳にして、利己的な人間になるなと、私に説教したかったのだとすぐ理解。それからは、籠城は続けたが、「自分の成績・利益」と「周りの人の利益」の選択になると、父の希望する通り、人の利益優先で人生の選択をするようになった。今に続いている。振り返ると私の人生を豊かにする、いい選択を取れてきたように思う。この父の号泣が、私が親の意見を容れた最後の時で、この時が、本当の親離れだったと最近、思います。
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2 コメント

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父の号泣-ちょっと意味が? (柚山健造)
2015-06-14 22:18:32
ごぶさたしてます。あたしの頭が悪いせいで、お父上の号泣の意味がちょっと理解できません。あの~あたしなんぞは、とうとう親離れした実感がもてないまま、おやじさんは
7年前に他界しましたなあ---さよう、あたしゃあ、いまも
頼れるものにはなんでも頼る主義で生きておりまする。じゃから、うちの奥殿には99才まで元気でおってもらうことが一番の願いでござりまする。そうそう、今年の正月は、ひさしぶりに同窓会に出ましたよ。なつかしい千恵ちゃんとコーヒータイムができました。
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お久しぶりです (takeda)
2015-06-14 23:00:29
  この文章、最初に読んでもらった人は、よく分かると話していました。この出来事、しばらく忘れていましたが、昨年、若い人たちのグループに、父親世代も少数加わり、雑談をしていまして、若い人が、親の意見はなかなか受け入れられない、父親世代は、子供にうまくアドバイスできないと、話していた時、思い出して、この父の号泣事件を紹介したことがありしました。これくらい、自分のプライドを捨てて、捨て身でぶつからないと、思春期を過ぎた子供は親の意見を聞かないのでは、というのが私のその時、言いたかったことでした。私の場合、この父親の号泣を最後に、父親の意見には、耳を貸しませんでしたので、この時が、親離れと思っているわけです。親になった私の場合、そもそも、あきらめて思春期以降のわが子にアドバイスをしたことがありません。これからもなさそうです。
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