一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

鬼ノ鼻山 ……文庫本を持って山を歩けば……

2009年08月20日 | 鬼ノ鼻山・聖岳
北アルプス縦走のように、毎日8時間、9時間と歩き続ける山行の場合、少しでもザックを軽くしようとするのが常識であろう。
実際、今回のメンバーの中には、重くなるからという理由で、デジカメさえ持ってきていない人もいた。
5日間の遠征では、何を持っていくかではなく、何を持っていかないかが重要課題であった。
そんな中、私はザックの天蓋に、一冊の文庫本をしのばせていた。
少しくらい重くなっても、心を豊かにしてくれる本を山に持っていきたかったのだ。
持っていったのは、岩波文庫の『尾崎放哉句集』。
「咳をしても一人」
「入れものが無い両手で受ける」
など、尾崎放哉(1885-1926)は自由律の秀句を数多く遺している。
私の好きな俳人の一人である。
山小屋でくつろいでいる時、私はこの文庫本を取りだし、頁を繰った。
適当に一句を選び出し、それを読み、諳んじ、想像の世界に遊んだ。
山に持っていく本は、読み終えるのに時間のかかる小説よりも、詩集や句集が好い。
ちょっとした時間でも楽しめるし、気分転換にもなる。


今日、鬼ノ鼻山に登った。
忙しい休日(公休日)であったが、なんとか4時間ほど時間を作り、山歩きを楽しんだ。
遠くの山だったら、車の移動だけでかなり時間を食い、肝心の山歩きの時間が少なくなる。
それにひきかえ、自宅から歩いていける山だったら、すべての時間を「歩き」に充てることができる。
自宅の玄関で登山靴を履き、山頂まで歩き、また自宅の玄関まで戻って、登山靴を脱ぐ。
なんという贅沢。
自宅から鬼ノ鼻山山頂まで約2時間。
往復4時間。
今回も、私は、山に文庫本を持っていくことにした。
北アルプスの時と同じく、『尾崎放哉句集』。
尾崎放哉の句には「山」を詠んだものがいくつかあり、それを山で諳んじながら歩くのもなかなか愉しいものだ。

「山に旭が当る頃の物音もせず」(尾崎放哉)


天ヶ瀬ダムに着き、いつのもように天山を眺める。
靄っていて、薄ボンヤリとした天山であった。


「山ふところの風の饒舌」(尾崎放哉)


天ヶ瀬ダムから少し登った辺りは、湧き水が豊富だ。


前回来たときには涸れていた多久の天然水も、今日は大丈夫だった。


この時期、鬼ノ鼻山の中腹には、ヤブランが多い。
ヤブランの小径と言ってイイほどに……


ミズヒキの花が咲いていた。
小さいので撮影に苦労する。


名前が可哀相なヘクソカズラ。
見る度に、花の中にイチゴジャムが詰まっているような気がする。


「奥から奥から山が顔出す」(尾崎放哉)


高度を上げると、登山道には、ヤブランよりもコバギボウシが多くなった。
コバギボウシの小径が続く。


サイヨウシャジンを一株だけ見つけた。


山頂が近くなると、ママコナが登場する。


山頂付近は、群落と呼んでイイほど多くなる。


鬼ノ鼻山山頂に到着。
晴れていたが、霞んでいて、遠望はできなかった。


「山に登れば淋しい村がみんな見える」(尾崎放哉)


山の上から見る町や村は、なぜかいつも淋しく見える。
尾崎放哉の目と私の目が重なったような気がした。

「山風山を下りるとす」(尾崎放哉)

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