廣木隆一監督作品である。
当たり外れのある監督であったが、(極私的感想です)
昨年見た『彼女の人生は間違いじゃない』(2017年7月15日公開)が傑作であったし、
今年見た『伊藤くん A to E』(2018年1月12日公開)もまずまずの出来だったので、
本作『ここは退屈迎えに来て』も見たいと思った。
私の好きな橋本愛、門脇麦、瀧内公美が出演しているのも、
「見たい」という気持ちを高めた。
だが、佐賀での上映館はなく、
て言うか、九州では、
【福岡県】
T・ジョイ博多
T・ジョイリバーウォーク北九州
【熊本県】
ユナイテッド・シネマ熊本
【大分県】
T・ジョイパークプレイス大分
【鹿児島県】
鹿児島ミッテ10
の、たった5館しか上映館がなく、
見ないと後悔しそうだったので、
映画を見るためだけに、
福岡のTジョイ博多まで見に出掛けたのだった。
【2013年】
27歳の「私」(橋本愛)は、
何者かになりたくて東京へ出たものの、10年が経ち、なんとなく地元に戻ってきた。
実家に住みながらフリーライターとしてタウン誌などの仕事をしている「私」は、
カメラマンの須賀(村上淳)と組むことが多い。
40歳の須賀は東京への未練を頻繁に口にするが、
東京から地元に戻った者同士で「私」とはウマが合う。
この日は、ラーメン店の取材終わりに、高校時代に仲が良かったサツキ(柳ゆり菜)と合流し、
なぜか須賀の車で当時みんなの憧れの的だった椎名(成田凌)に会いに行くことに。
道中で懐かしいゲームセンターを見つけて立ち寄ると、
たまたま帰省中だという同級生の新保(渡辺大知)と再会する。
近況を話しているうちに、
現在自動車教習所で教官として働く椎名に、新保がその仕事を紹介したことが発覚する。
【2008年】
22歳の「あたし」(門脇麦)は、
書店でのアルバイトを終えて、駐車場で待っている同級生の遠藤(亀田侑樹)の車に乗り込む。
「あたし」は高校時代に椎名と付き合っていたが、
卒業後、椎名は大阪に引っ越して音信不通だ。
「あたし」は椎名を忘れられないが、
自分に好意を寄せる遠藤と何となく体の関係を続けている。
【2010年】
24歳の南(岸井ゆきの)とあかね(内田理央)は、
ファミレスでガールズトークを繰り広げる。
抜群の美貌をもつあかねは10代の頃にアイドルとして活動し、
中学を卒業すると東京に引っ越したが、仕事がなくなり、実家に戻ってきた。
あかねは早く結婚したいと焦っているが、南は結婚に興味がないという。
【2004年】
18歳の「私」は高校3年生。
サツキは、地元も年齢も同じあかねが載っている雑誌を見て盛り上がっている。
「あたし」は椎名と交際中だ。
新保は同級生にからかわれているところを椎名に助けられ、
初めて二人でハンバーガーを食べに行く。
同級生のなっちゃん(片山友希)は、
禿げ上がった47歳の男・皆川(マキタスポーツ)と(援助)交際中だが、お見合い結婚を理由に関係解消を告げられる。
青春を謳歌する兄を醒めた眼で見ている椎名の妹・朝子(木崎絹子)は、
東京の大学に通うために、家庭教師のまなみ先生(瀧内公美)の家で勉強を教えてもらっている。
ある日の放課後、「私」とサツキは椎名から誘われて、奇跡のように楽しい放課後を過ごす。
【2013年】
須賀から高校時代のことをあれこれ聞かれ、
ゲームセンターに足を踏み入れ、そして母校を訪れたことで、「私」の脳裏にあの放課後が蘇る。
記憶の中でキラキラと輝いていた椎名と教習所で再会した「私」は、
ある衝撃的な言葉を告げられる。
結論から言うと、(最近はこのパターンが多くなったような……)
“傑作”とまでは言えないけれども、
“佳作”とは言えるのではないかと思った。
年代が行ったり来たりするので、
最初は、「?」と戸惑ったりするが、
慣れてくると、
「みんなの憧れの的だった椎名(成田凌)を巡る群像劇」だということが判る。
「退屈」な日常を、椎名が「癒し」たり、「救け」たりしてくれるというのではなく、
それぞれが感じていた椎名が、
それぞれが椎名といた時間が、
「退屈」な日常から見ると、「輝いて」見えるという、
面白い構図の作品となっている。
『キネマ旬報』(2018年11月上旬号)を読んでいたら、
本作『ここは退屈迎えに来て』に低い点をつけていた2人の映画評論家が、
基点にある高校時代が精彩を欠く。過去を懐かしむ話ではないと抑制したのかもしれないが、憧れの的の椎名君(成田凌)も特に輝いていないし、奇跡のように楽しかったというゲーセンでの遊びも、どこがという感じ。(U氏)
椎名君を巡って時制を往復させる作劇も退屈さに拍車をかけ、彼の魅力が説明されるほどに感じられないのも辛い。(Y氏)
と共に同じようなことを言っているのが可笑しい。
この程度の理解力で、よく映画評論家をやっているなと思う。(コラコラ)
成田凌は、いま注目の男優で、
本作以降も、
『ビブリア古書堂の事件手帖』 (2018年)
『スマホを落としただけなのに』 (2018年公開予定)
『チワワちゃん』(2019年公開予定)
『愛がなんだ』(2019年公開予定)
『さよならくちびる(2019年公開予定)
『翔んで埼玉』(2019年公開予定)
と出演作が目白押し状態なのだ。
つい最近、
『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』などで知られる周防正行監督の最新作『カツベン!(仮)』で、成田凌が映画初主演をつとめることも発表された。
1941年生まれのU氏は知らないかもしれないが、
存在自体が輝いているのが、今の成田凌なのだ。
そんな彼が、スクリーンでは輝いて見えないとすれば、
それは演出家の意図と考えるのが普通ではないか。
先ほど、
「みんなの憧れの的だった椎名(成田凌)を巡る群像劇」だということが判る。
「退屈」な日常を、椎名が「癒し」たり、「救け」たりしてくれるというのではなく、
それぞれが感じていた椎名が、
それぞれが椎名といた時間が、
「退屈」な日常から見ると、「輝いて」見えるという、
面白い構図の作品となっている。
と書いたが、
一番「退屈」していたのは、椎名自身なのである。
そんな椎名でさえ、
「退屈」している“今”から見ると、“輝いて”見えるということなのだ。
それを象徴しているのが、
ていうか、“輝いて”見えるという、その幻想を打ち砕くのが、
ラスト近くに椎名が「私」に対して発する衝撃的な言葉なのだ。
この言葉によって、すべてが幻想であったことが「私」に解るのだ。
人は、見たいものしか見ないし、見えていない。
「奇跡のように楽しかったというゲーセン」と思い込んでいる「私」は、
そのゲーセンにいたという同級生の新保(渡辺大知)のことをまったく覚えていない。
過去の映像にも、今の映像にも、新保はいるのだが、
だれも彼の存在に気づいていないのだ。
その“孤独”こそが、この作品の“核”となっているものなのだ。
一般に、「退屈」は、「つまらないもの」として捉えられがちだが、
本当にそうだろうか?
「退屈」は心のゆとりであるし、
「退屈」こそが、新しいものを生み出す源(みなもと)ではないかと、私は考える。
ラスト近くに、
ビルの屋上にいる椎名の妹・朝子と共に、東京の風景が映し出され、
そこに、タイトルである
ここは退屈迎えに来て
の文字が浮かび上がる。
その「退屈」の文字に、私は、明日への「希望」のようなものが読み取れた。
それは、廣木隆一監督の傑作『彼女の人生は間違いじゃない』にも通じるものがあるように感じた。
この映画で、一際その存在感を放っているのが、門脇麦であった。
元カレである椎名を諦めきれないのだが、自分に好意を寄せる遠藤と何となく体の関係を続けているというフリーターの「あたし」を演じていたのだが、
このハードな役を、わずか2日間で撮ったのだという。
役の状況や環境があまり具体的に想像出来なくて、行動の動機がよくわからないと思いながらやっていました。撮影日数は2日間だったので余計に探る時間がなく、しんどい時間でした。私が演じた“あたし”という役は、少し投げやりに時間を過ごしている役なんですよね。言葉遣いも、なんでこんなに汚い言葉を使うんだろう? と思ってたんですけど、しんどい気持ちとか、悲しい自分を見せないために、強気に繕っている役だったんだなって。撮影が終わって、1週間くらい経ってから気づきました。だから強い言葉を使って、煙草を吸ってみたり、腐れ縁のような男をぞんざいに扱ったりとか、そうやっていないと自分を保てないほど、しんどかったんだろうなって。(『キネマ旬報』2018年10月下旬号)
門脇麦は、映画『止められるか、俺たちを』で吉積めぐみを演じ、
私はそれを高く評価したが、
吉積めぐみという若い女性が、がどういう過去を持ち、
どういう気持ちから助監督になったのかが描かれていなかったので、
それだけが不満であったのだが、
本作『ここは退屈迎えに来て』を見て、
ここにこそ吉積めぐみの過去が描かれているように思った。
同じ女優が演じているという不思議さも相俟って、
強く“縁”を感じた一作であった。
ラブホテル帰りの早朝、橋の上で絶叫する言葉が、今も耳に残る。
橋本愛や瀧内公美や柳ゆり菜についても論じたいが、
出勤前なので、次の機会にでも……
「退屈」を描いているのに、
見る者の過去をも思い出させてくれ、
なんだか懐かしい気持ちにさせてくれるのは、
『ここは退屈迎えに来て』という作品が優れているからであろう。
映画館で、ぜひぜひ。