今日は8月9日。
「長崎原爆の日」である。
今回は、
その「長崎原爆の日」にちなんだドキュメンタリー映画、
『長崎の郵便配達』(2022年8月5日公開)を紹介しようと思う。
新作映画をチェックしているとき、
タイトルに「長崎」の文字があったので、
(長崎県出身の私としては)気になった作品であった。
調べてみると、
長崎で郵便配達中に被爆し、
原爆の熱線で焼かれた「赤い背中」の写真で世界に知られた谷口稜曄さんと、
元英国軍人で、戦後は著作活動を続けたピーター・タウンゼンドさんの、
交流を追ったドキュメンタリー映画で、
ピーターさんの長女が長崎を訪ね、
2人の残したメッセージをたどる物語とのこと。
監督・撮影は川瀬美香。
【川瀬美香】
広告制作会社、米ブロードキャストを経て独立。
仲間とART TRUE FILMを立ち上げる。
長編映画に『紫』(2012年)、『あめつちの日々』(2016年)など。
はじまりは1冊の本だった。
著者はピーター・タウンゼンド氏(1914年11月22日~1995年6月19日)。
【ピーター・タウンゼンド】Peter Townsend
1914年11月22日、英領インド・ビルマのラングーン(現ミャンマー・ヤンゴン)生まれ。
1940年、英空軍の飛行隊長として、第二次世界大戦中の激戦「バトル・オブ・ブリテン」で英雄的活躍をする。
1944年、退官後、国王ジョージ6世の侍従武官に任命される。
その娘のマーガレット王女とのロマンスが世界中で報道され、物議を醸した。
1956年、ランドローバーで世界一周の旅に出た後に、
最初の著書「Earth my Friend」を執筆。
2冊目の著書「Battle of Britain」はベストセラーとなり、
現在でも歴史の参考書として使用されている。
後年、作家として、戦争被害にあった子どもたちへ特別な関心を抱くようになる。
来日して長崎を訪れた際に、谷口稜曄さんと出会い、取材。
1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を出版する。
戦時中、英空軍のパイロットとして英雄となり、
退官後はイギリス王室に仕え、
マーガレット王女(1930年8月21日~2002年2月9日)と恋に落ちるも、
周囲の猛反対で破局。
この世紀の悲恋は世界中で話題となり、
映画『ローマの休日』のモチーフになったともいわれる。
その後、世界を回り、ジャーナリストとなった彼が、
日本の長崎で出会ったのが、
16歳で郵便配達の途中に被爆した谷口稜曄(スミテル)さんだった。
【谷口稜曄】Sumiteru Taniguchi
1929年、福岡県生まれ。
14歳で長崎市の本博多郵便局に就職し、郵便局員として働く。
1945年8月9日、自転車に乗って郵便物を配達中に被爆。
背中一面に大火傷を負い、長崎県の大村市などの病院で手当を受ける。
1年9カ月にわたってうつぶせのままで、退院できたのは被爆から約3年7カ月後の1949年3月。
翌4月から郵便局へ復職。
その後、約60年にわたり被爆者運動をけん引。
「赤い背中」の写真を共に被爆の悲惨さを国内外で語り継ぐ。
訪問したのは10カ国以上。
2015年、核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせて渡米し、
NYの国連本部でスピーチを行う。
同年8月9日に開かれた「平和祈念式典」では2度目となる「平和への誓い」を読み上げた。
なお、1955年に結婚、一女一男の父である。
2017年8月没。享年88歳。
生涯をかけて核廃絶を世界に訴え続けた谷口さんをタウンゼンド氏は取材し、
1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を出版する。
英国で出版されると大きな反響を呼び、
本はすぐにフランス語訳され、
1985年には「ナガサキの郵便配達」として日本でも出版された。
その後、三省堂の国語の教科書に18ページにわたって抜粋された。
映画『長崎の郵便配達』は、
タウンゼンド氏の娘であり、女優のイザベル・タウンゼンドさんが、
その父親の著書を頼りに長崎でその足跡をたどり、
父と谷口さんの想いをひもといていく物語だ。
これまでにあった原爆ドキュメンタリーとは異なり、
反戦や反核を声高に叫ぶのではなく、
ピーター・タウンゼンド氏が遺した小説を基に、
彼の娘のイザベルが長崎を訪れ、
父が残したテープを聴きながら、(それはあたかもナレーションのようでもある)
父の足跡を追う……といった構成の、
静かで品格のあるドキュメンタリー映画であった。
静謐であるからこそ心に沁みてくるものがあり、
見る者も、イザベルと一緒に旅をしている感覚になった。
そもそも、この映画を撮り始めたきっかけは何だったのか。
川瀬美香監督は語る。
(谷口稜曄さんとは)2014年に知人の紹介で初めてお会いしました。その日はホテルのロビーで待ち合わせていたんです。早めに到着して待っていると、玄関の外でタバコを吸っている、素敵な立ち姿の紳士がふと目に留まりました。それが谷口さんでした。普段はやんちゃな側面を持っていながら、覚悟を決めて平和への想いを語る姿が印象的な方でした。
正直、最初は映画化するなんて手に負えないと責任の重さを感じていたんです。そこから一歩踏み出すきっかけになったのが、谷口さんを取材したピーターさんの娘である、イザベルさんとの出会いでした。2016年にフランスのご自宅を訪問して言葉を交わす中で、彼女の未来に向かう意欲に共感したことから、谷口さんとピーターさん、そしてイザベルさんの3人を軸に映画を撮ることを決意しました。(「STLOCAL」インタビューより)
しかし翌年の2017年に谷口さんが亡くなり、
知らせを聞いた川瀬美香監督とイザベルさんは大きなショックを受けたという。
映画では、イザベルさんが谷口さんに会いに長崎を訪れる場面を中心に考えていましたが、それも叶わなくなりました。しかしその後、ピーターさんが谷口さんを取材した際に録音したテープが発見されたんです。残された声を聞きながらイザベルさんが長崎を訪れて、亡くなられた谷口さんの精霊船を見送り、父の足跡を辿る。そうした映画の組み立てで再スタートすることにしたんです。(「STLOCAL」インタビューより)
2018年8月に、イザベルさんは家族と2週間近く長崎に滞在し、
谷口さんや父親と所縁のある方々を訪ねる。
川瀬美香監督は、イザベルさんに簡単な予定を伝えるだけで細かい指示はせずに、
その場所で何を感じ、何を話し、どう行動するのかを大事にし、
自然体な姿を撮ったとのこと。
映画では、谷口さんの精霊船を押すイザベルさんの姿が映し出されたシーンがあったが、
この場面でも川瀬監督からの指示はなく、イザベルさんは自然と列に加わったそうだ。
そうした(演出ではない)イザベルさんの行動や表情が素晴らしく、
ピーター・タウンゼンド氏のメッセージが、
父から娘へ、そして映画を見ている者にも自然に伝わってきて、心を動かされた。
極私的には、
ピーター・タウンゼンド氏が取材のために長崎を訪れたときの年齢が68歳だったというのが、(現在68歳の私には)軽い驚きであった。
1995年6月19日に80歳で亡くなっているのだが、
68歳でもなお海外まで取材に出掛け、本を出版するというその情熱に心打たれた。
〈老いている場合ではない!〉
と、決意を新たにした次第。(笑)
原爆投下から早77年が経ち、
「原爆」の文字が人々の記憶や意識から薄れつつあり、
被爆者の体験や平和への思いを聞く機会は激減している。
ウクライナ侵攻でロシアが核兵器使用をほのめかすなど、
「核」の脅威が世界中に広がっている今だからこそ見ておきたい作品と言える。
夏休みは、
『トップガン マーヴェリック』
『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』
などを見ている人が多いと思うが、
ハリウッド大作の対極にあるとも言える『長崎の郵便配達』を見ることは、
(長崎からの)平和への願いを受け取り、
(ポストマンとなって)そのメッセージ(手紙)を、
大切な誰かに伝えていくこと(配達)に繋がると思う。
映画で体験する長崎への“小さな旅”は、
きっと“夏休みの思い出”として、
いつまでも心に残ることであろう……