一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『ブレードランナー 2049』 ……私自身のために書き残しておきたい覚書……

2017年11月18日 | 映画


『ブレードランナー』(1982)の続編として、
今年(2017年)10月6日に全米公開された映画『ブレードランナー 2049』は、
ボックスオフィスで初登場1位を獲得したにもかかわらず、
その週末の全米興行収入の予想(4500万~5000万)に対し、
実際の興行収入が3150万ドル(約36億円)だったことから、
本国メディアがこぞって「大コケ」と報じた。
それを受けて、日本のメディアも、
何も知らない記者たちが「大コケ」を連発していたが、
本当に寒々しい日本のメディアの現状を感じたことであった。

今でこそSF映画の金字塔として有名な『ブレードランナー』であるが、
1982年当時、全米興収およそ3380万ドルで、
目立った成績を上げた作品ではなかった。
ある意味「コケた」映画だったのである。
だが、後にカルト映画として熱狂的なファンを獲得し、
多くのクリエイターを魅了し、
ポップカルチャーにおいて、文字通り「世界を変える」ほどの影響を与えるのである。
続編の『ブレードランナー 2049』も、『ブレードランナー』と同様、
後の世にカルト映画として伝説化する可能性を秘めた作品である。
ただ、『ブレードランナー』と同様、一般受けは難しい作品であることは容易に想像できる。
多くの人は、この映画に関心を示さないだろうし、
映画を実際に見る人は少ないであろう。
私自身も、この映画を不特定多数の人々に薦めたいとは思わない。
(この映画を面白いと感じられる人は少ないと思うから)
だから、このブログにレビューなど書かなくてもいいのだが、
私自身のために書き残しておきたいと思った。
なぜなら、私は年寄りなので、すぐに忘れてしまうから。(笑)
以下は、私自身のための“覚書”である。


本作『ブレードランナー 2049』は、
1982年(昭和57年)に公開された『ブレードランナー』の続編である。
(アメリカは1982年6月25日、日本は1982年7月3日公開された)
1982年は、私が東京から九州に帰って来た年であり、まだ結婚もしていなかった。
1984年に配偶者となるべき女性(現在55歳)と出逢い、すぐに結婚。
長女、次女が相次いで生まれ(現在32歳、31歳)、
孫4人も誕生している。(9歳、6歳、5歳、3歳)。
映画『ブレードランナー』が日本で公開されてから、35年。
私にとってもそれだけの長い年月であり、
10代や20代の若者にとっては(35年前は)信じられないくらい昔の事であろう。
だから、映画『ブレードランナー 2049』を紹介する前に、
その元となった『ブレードランナー』から説明しなければならないだろう。



2019年のロサンゼルス。
環境破壊により人類の大半は宇宙に移住し、
地球に残った人々は人口過密の高層ビル群での生活を強いられていた。


宇宙開拓では、レプリカントと呼ばれる人造人間が、過酷な奴隷労働に従事していたが、
タイレル社が開発した最新レプリカント「ネクサス6型」の一団が人間を殺害し脱走、
シャトルを奪い、密かに地球に帰還した。


タイレル社に押し入って身分を書き換え、
ブレードランナーを殺害して潜伏したレプリカント男女4名を見つけ出すため、
ロサンゼルス市警のブレードランナーを退職していたリック・デッカード(ハリソン・フォード)が呼び戻される。


レプリカントは製造から数年経つと感情が芽生え、人間に反抗する者も出てくる。
レプリカントには(安全装置として)4年の寿命しか与えられていないが、
人間社会に紛れ込もうとするレプリカントが後を絶たず、
そのレプリカントを殺害する(「解任」と呼ばれている)のが、
警察の専任捜査官「ブレードランナー」であった。


デッカードは、情報を得るためレプリカントの開発者であるタイレル博士(ジョー・ターケル)と面会し、
彼の秘書であるレイチェル(ショーン・ヤング)もまたレプリカントであることを見抜く。


人間としての自己認識が揺さぶられ戸惑うレイチェルに、デッカードは惹かれていく。


デッカードは、脱走グループが残していった証拠物から足跡をたどり、
歓楽街のバーで踊り子に扮していたレプリカント・ゾーラ(ジョアンナ・キャシディ)を発見、追跡の末に射殺する。
その直後もう一人のレプリカント・リオン(ブライオン・ジェームズ)に襲われるが、
駆けつけたレイチェルが射殺した事でデッカードは命拾いする。
デッカードはレイチェルを自宅へ招き、熱く抱擁する。
一方、レプリカントグループのリーダー、ロイ・バッティ(ルトガー・ハウアー)は、


眼球技師を脅して掴んだ情報をもとに、
プリスを通じてタイレル社の技師J・F・セバスチャン(ウィリアム・サンダーソン)に近づき、


さらに彼を仲介役にして、本社ビル最上階に住むタイレル博士と対面する。
バッティは、彼らレプリカントの短い寿命を伸ばすよう依頼するが、
博士は技術的に不可能であり、限られた命を全うしろと告げる。
バッティは博士の眼を潰し、セバスチャンをも殺して姿を消す。


タイレル博士とセバスチャン殺害の報を聞いたデッカードは、
セバスチャンの高層アパートへ踏み込み、部屋に潜んでいたプリス(ダリル・ハンナ)を格闘の末に射殺。


そこへ戻ってきたバッティと最後の対決に臨む。


優れた戦闘能力を持つバッティに追い立てられ、
デッカードはアパートの屋上へ逃れ、
隣のビルへ飛び移ろうとして転落寸前となる。
しかし寿命の到来を悟ったバッティはデッカードを救い上げ、
穏やかな笑みを浮かべながら命果てる。


デッカードはレプリカントとして同じ運命が待つレイチェルを連れ、逃避行へと旅立つ。




『ブレードランナー』の原作は、
フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。
監督は、『エイリアン』『グラディエーター』などで知られるリドリー・スコット。
リドリー・スコットが『エイリアン』(1979)の大ヒットの後に監督した作品であるが、
期待されたほどのヒットとはならなかった。
1982年6月25日に全米公開され、
週末興行収入成績は初登場第2位を記録したが、
2週間前に公開され大ヒットしていた『E.T.』などの影響などもあり、
興行的にも同作の約7900万ドルに対して約3380万ドルと振るわなかった。
日本でも、ロードショーは軒並み不入りで、
多くの劇場で早々に上映が打ち切られてしまった。
当時は明朗なSF映画が主流であり、
日本ではあたかもアクションSFのようなキャッチコピーで宣伝したため、
多くの観客が期待外れに感じたのが、不入りの要因の一つとも言われている。
一方、名画座での上映では、映画マニアに好評を博し、
その後リバイバル上映が行われるようになってからは、
カルト映画的な人気を得るようになった。


そして、『ブレードランナー』が公開されて35年後の今年(2017年)、
『ブレードランナー』の続編である『ブレードランナー 2049』が公開された。
アメリカでは、10月6日、
日本では10月27日に公開され、
上映時間は、3時間近い、163分(2時間43分)。
監督は、リドリー・スコットではなく、
『ボーダーライン』『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ。


『ブレードランナー 2049』は、
『ブレードランナー』の30年後(2019年→2049年)の世界を描いている。
〈デッカードとレイチェルはその後どうなったのか……〉
ワクワクしながら映画館へ駆けつけたのだった。



2049年、
貧困と病気が蔓延するカリフォルニア。
人間と見分けのつかないレプリカントが労働力として製造され、
人間社会と危うい共存関係を保っていた。


危険なレプリカントを取り締まる捜査官はブレードランナーと呼ばれ、
2つの社会の均衡と秩序を守っていた……
LA市警のブレードランナー“K”(ライアン・ゴズリング)は、


ある事件の捜査中にレプリカント開発に力を注ぐウォレス社の巨大な陰謀を知ると共に、
その闇を暴く鍵となる男にたどり着く。


彼は、かつて優秀なブレードランナーとして活躍していたが、
女性レプリカント・レイチェル(ショーン・ヤング)と共に忽然と姿を消し、


30年間行方不明になっていた男、デッカード(ハリソン・フォード)だった。


いったい彼は何を知ってしまったのか?
デッカードが命をかけて守り続けてきた秘密とは……


人間とレプリカント、
2つの世界の秩序を崩壊させ、
人類存亡に関わる〈真実〉が、今、明かされようとしていた……




個人的には、大満足の映画であった。
前作の良い部分は継承し、
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督独自の映像美と展開で、
見る者を圧倒する。


前作『ブレードランナー』を見たとき、
まず驚いたのは、日本的な街の風景と、


レイチェルを演じたショーン・ヤングの美貌であった。


『ブレードランナー 2049』でも日本の看板やネオンが登場するし、
なんと、レイチェルまでもが登場する。


レイチェル(ショーン・ヤング)の映像は、前作の『ブレードランナー』のものを使ったのかなと思ったが、
映画評論家の町山智浩氏によると、どうやら違うらしい。

レイチェルさんのシーンは、あれは背格好が若い頃のショーン・ヤングさんにそっくりな人を連れてきて。で、過去のショーン・ヤングさんの映像とショーン・ヤングの現在の動きみたいなものを、彼女自身が現場で参加して、みんなで作り上げたものだそうです。だからこの映画のショーン・ヤングさんは実際にショーン・ヤングさんが演技アドバイスみたいなことをして作り上げたレイチェルなんですね。

まあレイチェルがあの時の姿で登場をするんですけど。ショーン・ヤングっていう女優さんは『ブレードランナー』の後、いろんなスキャンダルがあってハリウッドから消えてしまった人なんですよ。だから、そういうことを知っていると、なんというか、35年間で……いろんなことを考えましたね。


ショーン・ヤングの美貌に魅了された私は、
その後の活躍を期待していたのだが、
1988年に共演したジェームズ・ウッズにストーカー行為で訴えられてしまうなど、
奇矯な振る舞いの方が有名になってしまい、残念に思ったことであった。
なので、本作『ブレードランナー 2049』で、
レイチェル(というよりショーン・ヤングが)蘇っていて、
驚かされたし、本当に嬉しかった。
前作でレイチェルを演じたショーン・ヤングの頭部スキャニング、顔面キャプチャーを施し、
たった2分間のシーンに1年を費やしたとか。


このCGIレイチェルは、(二重の意味で)完璧なレプリカントであった。
ただ、それは映画の中では失敗作という設定であったので、すぐに破壊されてしまい、
ショーン・ヤングのその後の人生を象徴しているようでもあり、
なんだか物悲しくもあった。


『ブレードランナー 2049』には、
レイチェル(ショーン・ヤング)のようなヒロイン的な存在として、
アナ・デ・アルマスがジョイ役として登場する。
このアナ・デ・アルマスが実に可愛い。(コラコラ)
キューバ・ハバナ出身らしいが、
クールビューティだったショーン・ヤングとは真逆の魅力があり、
本作に華を添えていた。


このジョイは、身体を持たない人工脳としてのレプリカントなので、
Kとジョイのラブシーンには目を瞠らされたし、
いろいろなことを考えさせられた。


現代は、実物の女性と恋愛できず、バーチャルの世界でしか恋愛できない男性が増えている。
将来、このようなレプリカントが完成したら、
この映画のような恋愛やラブシーンも「あり」なのかも……と思ってしまったのだ。
顔もスタイルも性格も自分好みで、自分の言いなりになるレプリカントが売られていたら、
人生の伴侶として、
生身の人間ではなく、レプリカントを選択する人も多いのではないか……と。
そう遠くない未来に、レプリカントの時代がやってくるような気がした。


このように、前作の『ブレードランナー』を見ていると、
『ブレードランナー 2049』との比較ができるし、いろいろな発見があって面白い。
もちろん前作も見ていなくても、それなりに楽しめるが、
前作を見ていないと解らない箇所もあり、
『ブレードランナー 2049』だけを見た人は難しく感じるかもしれない。
それに、3時間近い上映時間なので、映画館での一日の上映回数も少なく、
暗く、哲学的なSF映画を3時間近くも鑑賞できる人は少ないと思われるので、
日本での興行も不振が容易に予想できる。(コラコラ)
まあ、大ヒットしないことがカルト映画の条件でもあるので、(ほんまかいな?)
その条件を満たしている……とは言えるのだが。


『ブレードランナー』もそうであったが、
『ブレードランナー 2049』を見ていると、
「人間とは何か?」
を自問することになるし、
自分自身のアイデンティティについて深く考えさせられる。
娯楽作品風を装いながら、
こうした哲学的な命題に迫る本作は、
やはり優れた作品なのだと思う。


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