一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

笹本稜平『未踏峰』(祥伝社) ……登った者の胸の裡だけに刻まれるもの……

2009年11月19日 | 読書・音楽・美術・その他芸術
ハンデを背負った3人の若者、
コンピューターのシステムエンジニアだったが、過労に耐えるために薬物依存となり、万引で捕まり、どん底で喘いでいた橘裕也、
小学校の高学年くらいの精神年齢しかない知的障害者の勝田慎二、
アスペルガー症候群という心の障害をもつ戸村サヤカ。
どこに勤めてもうまくいかない3人を、北八ヶ岳の山小屋「ビンティ・ヒュッテ」の主人・蒔本康平が雇い入れる。
パウロの愛称で親しまれている蒔本康平は、かつて世界に名を馳せた登山家だったが、彼自身も人に言えない暗い過去があった。
働く場を与えられた橘裕也、勝田慎二、戸村サヤカの3人は、山小屋で働くうちに次第に生きる意欲を取り戻していく。
そして、パウロの指導の元、4人でヒマラヤの未踏峰の山頂を目指す計画を立てるまでになる。
目指す山は、ネパールと中国との国境線上にある6720mの名も無き山。
美しい山容を持つ魅力的な山で、4人はこの山を「ビンティ・チュリ」(祈りの峰)と名付け、訓練を重ねる。
だが、いざ出発という時に山小屋から出火。
パウロが焼死する。
残された3人は、失意の中、パウロの夢を背負って未踏峰に挑むのだった。

昨年読んだ笹本稜平の『還るべき場所』があまりに素晴らしかったので、本書も手にとってみた。
ただ、前作のレベルがあまりに高かったので、本書にもそれを求めたせいか、やや物足りなさを感じてしまった。
ガチガチの山岳小説ではなく、青春小説の味わいのある物語で、女性にとってはこちらの方が読みやすいかもしれないと思った。
『還るべき場所』と同様、こちらもアフォリズムがちりばめられていて、付箋をつけながら読み進めていった。
本文と、私の感想を、交互に紹介してみる。

《山屋というのは功名心の塊のような連中だから、とにかく目立つことをしたがる。まず高い山。それが登り尽くされればこんどは難しいルート。標高が低くて技術的にも容易な山にはまったく関心を示さない。そんな山に登っても誰も注目してくれないからね。しかしそういう山のなかには、じつは美しく、本当の意味で登山が楽しめる山がいっぱいあるんだよ。》

……山というのは、本来は「こだわり」や「功名心」とはいちばん縁遠い場所だと思うのだが、自称「山屋」の人たちは、案外「こだわり」が多く、「功名心」が強い。山に登らない人たちよりも俗っぽい人物がたくさんいる、たしかに……

《たとえわずかでも他人から資金の提供を受けたら、おれたちはその人のために登ることになる。昔のヒマラヤ登山はほとんどがそうだった。そんな負い目がプレッシャーとなって、あえて危険を冒して自滅したケースは少なくない。》

……山で亡くなった有名な登山家には、このタイプが多かった。「こだわり」と「功名心」に限度はなく、資金提供を受け、さらなる危険を冒す。見ていられないほど痛々しかった……

《山に登ることを苦行にしてはいけない。人生はたった一度きり。その一刻一刻に生きる喜びを感じる場所として山はある――》

……「こだわり」や「功名心」に囚われ、自分を賞賛してくれる人々のためにチャレンジする場所として山が存在するとき、そこは真の喜びの場所ではなくなる……

《ヒマラヤのような高所では、刻一刻が命にかかわる判断の連続で、他人任せにしていいことはなにもない。パーティーを組んでいても、いつ一人取り残される状況が訪れるかわからない。最悪の場合は単独でも下山できる能力を全員が備えることが究極の安全対策で、それには気象からルートファインディングの知識まで、なおざりにしていいものは一つもない――。》

……ヒマラヤに限らず、どんな山でもこの心掛けは必要だろう。ただ連れて行ってもらうだけの人が「一人取り残される状況」に陥ったとき、それは即遭難につながる。そうした死亡事故が今も絶えない……

《重いものは下に沈む。軽いものはほっといても浮き上がる。山に登るのも同じ理屈だ。身軽にすれば勝手に上に向かう。荷物が重ければ重いほど、重力に抗って余計なエネルギーを使うことになる――》

……心配性の人は、あれもこれもとザックに詰め込み、重いザックを背負うためにサポートタイツを履き、ダブルストックを持ち、ますます体が重くなっていくという悪循環。肝要なのは、何を山に持って行くかではなく、何を山に持って行かないか……

《一心不乱に金を貯めたところで、幸福は決して金では買えない。人間はいずれは死んでいく宿命にある限り、地位も名誉も紙屑にすぎない。
いまここにある人生のなかに、ただ生きるという単純極まりない時間のなかに、自らを燃焼させうる喜びを見いださない限り、人生はただの消耗品だ。登山という行為はそんな真実を露わにする。》

……私自身は、「幸福は決して金では買えない」とは言い切れないと思っているし、俗世間では金で解決する問題も多いと思っている。ただ、山に入ると、財産や地位や名誉といったものとは無縁になる。そういったものは必要ではなくなるし、それらをひけらかす輩は忌み嫌われる。それ以上のものを得られる場として山がある、と言い替えていいかもしれない……

《自分がこの世界で生きた証として、たとえ名もない頂でも、そこに人類初のアイゼンの爪痕を残すこと――。
そこから得られる利益などなにもない。マスコミはたぶん報道すらしないだろう。初登頂の栄誉は、登った者の胸の裡だけに刻まれる。本来、すべての登山がそうあるべきなのだ。いや人生そのものがというべきかも知れない。》

……すべての人々の、それぞれの人生が、未踏峰の頂なのだと思う。
その未踏峰へ登頂したとき、「よく登ってきた」と、自分で自分を讃える。
誰かと比較する必要もなく、他人からの賞賛の声も必要ない。
その初登頂の栄誉は、その人の胸の裡だけに刻まれる。
それが至福なのだ。
作者がいちばん言いたかったのは、このことだと思った。

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