長者原からくじゅうの山群に入って行くとき、
長者原からくじゅうの山群に別れを告げるとき、
いつも、
そこで迎え、
見送ってくれるのは、
三俣山である。
美しい姿の山である。
からつ労山の10月の月例山行は、この三俣山。
紅葉の時期ではあるが、それを観賞するだけではもったいない。
今の三俣山のすべてを味わいたい。
そう思って、この日を待っていた。
早朝。
多久IC入口。
空には星々が煌めいている。
オリオン座がとりわけ美しい。
マイクロバスを待つ……この時間が私は好きだ。
〈今日は、どんな山歩きができるのだろう〉
〈今日は、どんなものに出逢えるのだろう〉
そんなことを考えながら空を見上げている……この時間が私は好きだ。
大曲に到着。
狭い駐車場は、当然満杯。
道路脇に列をなして多くの車が駐まっている。
マイクロバスから降り、準備を済ませ、歩き出す。
天気予報は「晴天」と言っていたが、空は雲っていて、三俣山の山頂部は見えなかった。
硫黄山の噴煙もガスにかき消されていた。
すがもり越から三俣山にとりつく。
フクオウソウが咲いていた。
高度を上げるに従って、ガスの中から色づいた木々が姿を現した。
西峰を経て、三俣山本峰に到着。
ここもガスに覆われ、何も見えず。
ガスはすごい勢いで流れており、時折、その切れ目から、色鮮やかな紅葉を垣間見ることができた。
大鍋の底に向かって下りて行く。
皆から、「おお~」という溜息とも歓声ともつかない声がもれる。
言葉にならないといった感じだ。
鍋の底に到着。
ここで昼食。
私は肉うどんを作って食べた。
そして食後の珈琲。
360度の紅葉を眺めながらのランチ。
三つ星レストランでもかなわない贅沢なランチであった。
北峰に向かって登り始める。
下から眺める紅葉も素晴らしかったが、上から眺める紅葉も素晴らしい。
ガスが流れ、薄日が差し、スポットライトが当たったように紅葉を照らし出す。
もはや、神が創ったとしか思えないほどの色彩。
その美の前に、凡夫の私は、ただ立ち尽くすのみである。
長者原の方へ下りてくると、一転、緑の中に彷徨い込む。
色とりどりの鮮やかな世界から、緑一色の世界へ。
極彩色の紅葉に慣れた目に、緑の森は、まるで初めての色を見るように新鮮に映る。
ヤマアジサイがまだ咲いていた。
山頂部の賑わいとは無縁の、まったくの静寂の世界。
これもまた秋の姿のひとつなのだ。
長者原に着くと、そこにはススキ野原が広がっていた。
逆光に照らし出され、銀色に光り輝く。
リンドウの花や、
ヤマラッキョウの花を愛でていたら、
ある女性から、「ヒゴタイが咲いていたよ」と教えられた。
その女性と、ヒゴタイが咲いているという場所に向かった。
「ほら、あそこ」
女性の指さす方向に、すくっと立つ二株のヒゴタイがあった。
「ああ本当だ、美しい!」
目を上げると、そこには、今しがた登ってきた三俣山が……
雲は消え、三俣山の上には蒼空が広がっていた。
私たちは、
ススキ野原と、二株のヒゴタイの花と、その向こうに立つ三俣山を、
飽きることなく、いつまでも見ていた。
長者原からくじゅうの山群に別れを告げるとき、
いつも、
そこで迎え、
見送ってくれるのは、
三俣山である。
美しい姿の山である。
からつ労山の10月の月例山行は、この三俣山。
紅葉の時期ではあるが、それを観賞するだけではもったいない。
今の三俣山のすべてを味わいたい。
そう思って、この日を待っていた。
早朝。
多久IC入口。
空には星々が煌めいている。
オリオン座がとりわけ美しい。
マイクロバスを待つ……この時間が私は好きだ。
〈今日は、どんな山歩きができるのだろう〉
〈今日は、どんなものに出逢えるのだろう〉
そんなことを考えながら空を見上げている……この時間が私は好きだ。
大曲に到着。
狭い駐車場は、当然満杯。
道路脇に列をなして多くの車が駐まっている。
マイクロバスから降り、準備を済ませ、歩き出す。
天気予報は「晴天」と言っていたが、空は雲っていて、三俣山の山頂部は見えなかった。
硫黄山の噴煙もガスにかき消されていた。
すがもり越から三俣山にとりつく。
フクオウソウが咲いていた。
高度を上げるに従って、ガスの中から色づいた木々が姿を現した。
西峰を経て、三俣山本峰に到着。
ここもガスに覆われ、何も見えず。
ガスはすごい勢いで流れており、時折、その切れ目から、色鮮やかな紅葉を垣間見ることができた。
大鍋の底に向かって下りて行く。
皆から、「おお~」という溜息とも歓声ともつかない声がもれる。
言葉にならないといった感じだ。
鍋の底に到着。
ここで昼食。
私は肉うどんを作って食べた。
そして食後の珈琲。
360度の紅葉を眺めながらのランチ。
三つ星レストランでもかなわない贅沢なランチであった。
北峰に向かって登り始める。
下から眺める紅葉も素晴らしかったが、上から眺める紅葉も素晴らしい。
ガスが流れ、薄日が差し、スポットライトが当たったように紅葉を照らし出す。
もはや、神が創ったとしか思えないほどの色彩。
その美の前に、凡夫の私は、ただ立ち尽くすのみである。
長者原の方へ下りてくると、一転、緑の中に彷徨い込む。
色とりどりの鮮やかな世界から、緑一色の世界へ。
極彩色の紅葉に慣れた目に、緑の森は、まるで初めての色を見るように新鮮に映る。
ヤマアジサイがまだ咲いていた。
山頂部の賑わいとは無縁の、まったくの静寂の世界。
これもまた秋の姿のひとつなのだ。
長者原に着くと、そこにはススキ野原が広がっていた。
逆光に照らし出され、銀色に光り輝く。
リンドウの花や、
ヤマラッキョウの花を愛でていたら、
ある女性から、「ヒゴタイが咲いていたよ」と教えられた。
その女性と、ヒゴタイが咲いているという場所に向かった。
「ほら、あそこ」
女性の指さす方向に、すくっと立つ二株のヒゴタイがあった。
「ああ本当だ、美しい!」
目を上げると、そこには、今しがた登ってきた三俣山が……
雲は消え、三俣山の上には蒼空が広がっていた。
私たちは、
ススキ野原と、二株のヒゴタイの花と、その向こうに立つ三俣山を、
飽きることなく、いつまでも見ていた。