一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『ガルヴェストン』……エル・ファニングが美しいメラニー・ロラン監督作……

2019年11月25日 | 映画
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大好きなエル・ファニングの出演作『ガルヴェストン』(2019年5月17日公開)は、
私が待ちに待っていた作品だったのだが、
今年(2019年)の春、公式サイトの“劇場情報”を見て、愕然とした。
佐賀県で上映館がないのはいつものことなので、驚きはしなかったが、
福岡県はおろか、
九州でも1館の上映館もなかったのだ。
これには、呆然自失となった。
〈いくらなんでも、それはないだろう!〉
と、怒りさえこみ上げてきた。

冷静になって、考えてみるに、
エル・ファニングは、
子役時代から、
デヴィッド・フィンチャー、
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、
ソフィア・コッポラ、
ニコラス・ウィンディング・レフンなど、
多くの名監督に愛され、
ジャンルも多岐にわたって出演してきた。
『マレフィセント』『マレフィセント2』のようなディズニー映画に出るかと思えば、
『Virginia/ヴァージニア』『ネオン・デーモン』のようなミニシアター系の作品にも出演する、
現代では稀有な存在の若手女優なのである。
〈『ガルヴェストン』も大衆受けしない作品と判断されたのだろう……〉
と思い直し、
DVDの発売を待つことにした。
このブログの映画レビューは、
映画館での鑑賞を基本ルールとしているが、
映画館で見ることのできない作品であれば、
DVDでも「やむなし」。
で、DVDの発売をのんびり待っていたら、
ふと気づくと11月になっていた。(コラコラ)
調べてみると、
DVDは10月にはすでに発売されており、
〈なんたる失態!〉
と、慌てて鑑賞したのだった。



故郷を捨て裏社会で生きてきたロイ(ベン・フォスター)が、


その日、ボスの勧めで行った病院で見せられたのは、
まるで雪が舞うように白くモヤがかかった自分の肺のレントゲン写真だった。
命の終りが近いことを悟った彼は、
〈どうせクソみたいな人生だ。死ぬならそれも仕方ない〉
そう自分に言い聞かせる。
だが死への恐怖は彼を追い込み、苛立たせてゆく。


その夜いつものようにボスに命じられるまま向かった“仕事先” で、
ロイは突然何者かに襲われる。
組織に切り捨てられたことを知った彼は、
とっさに相手を撃ち殺し、
その場に囚われていた若い女(エル・ファニング)を連れて逃亡する。


彼女の名前はロッキー。
家をとびだし、行くあてもなく身体を売って生活していたという。
道中、テキサス州オレンジ郡に寄ったロッキーは、
妹を養父から奪い、同行させる。


そして、
ガルヴェストンに着いた3人は、
束の間の穏やかな日常を味わう。




女を見捨てることのできない孤独なロイと、
他に頼る者もなく、同じく孤独なロッキー。


組織に反旗を翻した殺し屋と、
頼る者もなく傷ついた美しい女の、
果てなき逃避行の先に待っていたものとは……




いや~
大満足の94分であった。
とにかくエル・ファニングが美しい。
しかも、大人な感じのエル・ファニングをたっぷり堪能できるのだ。




もう、言うことなし。
物語としても素晴らしく、
静かな感動がじわじわ染みてくる傑作であった。


言い忘れたが、
監督は、女優のメラニー・ロラン。


このブログでも『オーケストラ!』(2009年)のレビューで、
その美貌と演技を絶賛しているが、(コチラを参照)
あの絶世の美女、メラニー・ロランが監督をしているのだ。


予告編を見ると、荒々しいヴァイオレンスの映画のようだったが、
実際に本編を見てみると、
繊細なストーリーテリングと映像美に裏打ちされた人間ドラマであった。
削ぎに削いだと思われるシーンの連続で、
無駄なシーンが一切なく、
現代の上映時間としては短い94分間に、すべてがギュッと凝縮されており、
メラニー・ロランの監督としての優れた資質が窺える作品となっている。


原作は、
脚本家として知られるニック・ピゾラットのデビュー作にして、
アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞候補にもなった犯罪小説『逃亡のガルヴェストン』(早川書房刊)。


このクライム・サスペンスを、
メラニー・ロランは、ヒューマン・サスペンス風に作り変えている。
冷酷非情な物語に、温かい視線を注いでいるのだ。
このことに、原作者は、自分の名前を出すことを拒否するほど怒っているようだが、(笑)
原作通りに映像化するのが監督の役目ではないし、
自らの考えを作品に投影させたメラニー・ロランの監督としての手腕は、
評価されて然るべきだと思われる。


とにかく映像が美しい。


そして、エル・ファニングが限りなく美しい。


監督のメラニー・ロランは、女優としても活躍しているので、自然体の演技を引き出してくれたの! 心地いい雰囲気を作って、役者に安心感を与えてくれるから、いろんなことを試せるし、自然と役に入り込める。よく笑っていて、その声がすごく印象的だったわ。

と、エル・ファニングは語っていたが、
メラニー・ロランとの良い関係性が保たれているのが判るし、


実際、二人が一緒に写っている写真を見ると、納得させられる。


エル・ファニングは、
1998年4月9日生まれの21歳だが、(2019年11月現在)
撮影時はまだ10代だったとか。


悲惨な境遇から抜け出すために身体を売って生きるしかなかった若い娼婦の役を、
10代とは思えない(様々な経験をしてきた大人のような)素晴らしい演技で、
見る者を魅了する。


エル・ファニングのファンとしては、
時に目を背けたくなるシーンもあるが、
その痛々しいまでの美しさに、
〈彼女はどこまで行ってしまうのか……〉
と、不安と希望が入り交じった気持ちになる。
そんなエル・ファニングの底知れなさが、本作を、
切なく、陰影のある、非凡な作品にしているのは、疑う余地がない。


映画を鑑賞している途中も、鑑賞した直後も、感動していたが、
時間が経てば経つほど、一層、感動が深まっていくような気がする。
じわじわと、水が染みわたるように、
心が哀切さに満たされていく。
エル・ファニングの出演作の中では、
かなり好きな部類の作品であった。
死ぬまでに、この作品は幾度となく見返すことだろう……
皆さんも、機会がありましたら、ぜひぜひ。

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