一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

大野岳・遠藤周作文学館・出津教会・大野教会 …美しき心の風景を求めて…

2011年12月23日 | その他・佐賀県外の山
あれは、今年の9月25日のことであった……
肉まんさんのお誘いで、大分県臼杵市へ行った。
肉まんさんは、以前より、
「文学館や偉人館への訪問」と「登山」を組み合わせた旅を企画し、
それを積極的に実行されている。
あの日の臼杵への旅も、
鎮南山に登ってから、
臼杵の石仏、
野上弥生子記念館、
大林宣彦映画の名残館などを訪ねるというものであった。
とても充実した楽しい旅で、
帰りの車の中で、
「いつか機会があったら、我々も近くの文学館への旅をしてみたいね」
と平六さんと語り合ったものだった。
その時、私が話題にしたのが、
長崎県の西彼杵半島にある遠藤周作文学館であった。
私が初めてここを訪れた時、
展示物の素晴らしさもさることながら、
文学館の建つ場所のロケーションに驚かされた。
文学館から見る海の美しさといったら……
呆然と立ち尽くしてしまうほどの衝撃であった。
「文学館の中に縦長の窓があって、その窓から海を見ると、海を描いた絵のように見えるんだ。窓が額縁の役割を果たし、海が現実のものとは思われないような美しさなんだよ」
平六さんにそう言い、
「文学館の近くには、映画『解夏』のロケ地・出津教会や、大野岳という山もあるから、近いうちに企画しましょうか?」
と付け加えると、
「イイですね~、ぜひお願いしますよ」
と、平六さんは即答されたのだった。

私は過去に二度、遠藤周作文学館を訪ねている。
一度目は、文学館が誕生(2000年)してすぐの頃に、一人で行った。
二度目は、2004年に母と二人で行った。
なぜ2004年と記憶しているかと言えば、
映画『解夏』が公開された年だからだ。
映画『解夏』とは、
さだまさしの小説を映画化したもので、
視力を失う“ベーチェット病”と言う難病に冒された青年・隆之(大沢たかお)と、
彼に無償の愛を捧げる恋人・陽子(石田ゆり子)の姿を描いたドラマだ。


傑作とまでは言わないけれど、
愛すべき小品としていつまでも記憶に残る作品であった。
それというのも、美しい長崎の風景がふんだんに使われていたからだ。
失明する日が近い主人公の隆之が、
いずれ見られなくなる風景を見て回る。
彼が思いを込めて見つめる風景、
記憶にとどめておこうとする風景……
オランダ坂、活水女子大、聖福寺、興福寺、桃添橋、風頭公園、へいふり坂、
三菱重工長崎造船所、小川凧店、万寿庵、大村湾、外海町……


どこも素晴らしいのだが、中でも、
外海町にある教会が素晴らしかった。
それは、映画の石田ゆり子の感動シーンと重なって、強く印象づけられている。
ロケで使われた教会を調べてみると、
「出津教会」という名の教会で、
かつて行ったことのある遠藤周作文学館の近くであった。
映画のロケ地である出津教会を見たかったし、
文学館にももう一度行きたかったので、
私は外海町を再訪することにした。
一人ではもったいないので、母を連れて行くことにした。
その前に、母ともう一度、映画『解夏』を見に行き、
あらかじめ母にも予習をしてもらった。(笑)
母との二人旅も素晴らしく、
外海町の美しさは、再び私の心に深く刻まれたのだった。

「今度のタクさんの休みの日に、どこかに行きませんか?」
と、12月21日に平六さんからメールが来た。
今週は木曜日ではなく、23日(金)に休みを取得していたので、
「では、23日に、あの企画を実行しましょうか?」
と提案した。
平六さんは、すでに、
遠藤周作の小説『沈黙』と『私が・棄てた・女』を読了し、
映画『解夏』も見たとのこと。
機は熟している。(笑)

外海町からそう遠くない場所に住まわれているそよかぜさんにも声を掛けてみた。
「ご一緒しますよ~」
との嬉しい返事。
「文学館や偉人館への訪問」と「登山」を組み合わせた旅を企画実行されている、本家本元の肉まんさんにもお声掛けしてみる。
「前日は忘年会なので、酒が残っていると車の運転が心配だから、電車で行きますよ」
と、これまた嬉しい返事。
肉まんさんには、武雄温泉駅まで来てもらい、
そこからは我々の車に同乗してもらうことにした。

午前10時に、長崎漁港がんばランドでそよかぜさんと待ち合わせ。
だが予定よりも1時間も早く着いてしまった。
そよかぜんさんに連絡し、9時半頃に落ち合う。


まず最初に向かったのは、遠藤周作文学館。






入口を入ってすぐ、真正面に窓がある。


広大な海の一部が切り取られ、
それはもはや絵としか呼びようのない、芸術に変化している。


館内は撮影禁止なので、この他の写真はないが、
感動の連続であった。
文学館を出た後、海をバックに、男組三人、そよかぜさんから写真を撮ってもらう。


車で移動する途中の風景。
心の景色の美しい人々の住む場所の風景は、なにかしら神々しいものを感じる。


遠藤周作の『沈黙』の記念碑。
「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」


外海歴史民俗資料館は、白い建物が青空の下にあった。
欧州のどこかを思わせる風景。
外海の歴史が詰まった資料館で、
ことに、2階「キリスト教の伝来から迫害、復活までの歴史」の展示が圧巻。


その後、ド・ロ神父記念館へ。
ド・ロ神父とは、1879年に外海に赴任してきたフランス人宣教師、マルコ・マリー・ド・ロ神父のこと。
潜伏キリシタンたちが265年待ちわびていた着任だったとか。
それまで、江戸幕府の禁教政策の中、
海岸に面して切り立った岩ばかりの斜面に隠れるように暮らしてきた村人たちは、
山の頂上まで耕して貧しい生活をしていた。
着任したド・ロ神父は、
村人の教育と生活の救済のために、私費を投じて教会や授産施設などを建設。
社会福祉や慈善事業、建設技術や医療の向上に努め、
フランス産の小麦を使い、落花生油を引き油にして作ったことが始まりとされる食料加工品(今で言う「ド・ロさまそうめん」)などを製造。
ド・ロ神父のそういった外海における産業・文化に貢献した業績、
その偉大さを、この記念館で知ることができる。


記念館には、ド・ロ神父がフランスから持ち込んだというオルガンが今も残されている。
運が良ければシスターが弾いてくれる……とパンフレットに書いてあったが、
我々が訪れた時にも(運良く)、シスターがオルガンで賛美歌を弾いて下さった。
オルガンに合わせて歌うそよかぜさんの声が、館内に心地よく響いていた。


この後、いよいよ出津教会へ。
そう、あの映画『解夏』のロケ地となった教会である。


二度目だが、今回も7年前の感動が蘇ってきた。
ロケに使われたのは、この建物の向こう側。


反対側から見ると、こんな感じ。


ここで、石田ゆり子が、
“ベーチェット病”と言う難病に冒された青年(大沢たかお)のことを思って、


祈りを捧げたのだ。
(このシーンで私は不覚にも声を出しそうになるくらい嗚咽してしまったのだ)


写真に石垣の端が見えるので、
石田ゆり子が祈ったのは、この石段の下あたりだと思われる。


石田ゆり子の目線の先には、


きっとこんな風景があったことだろう。


映画『解夏』、みなさんも、ぜひぜひ。
そして、機会があれば、出津教会へも……


出津教会から車へ戻る途中、
エメラルドグリーンの海を見ることができた。


目を左に転ずると、神秘的な海。
本当に素晴らしい。


お昼になったので、道の駅「夕陽が丘そとめ」内にあるレストランで、
バイキングランチ。
何度も往復し、お腹一杯になるまで食べた。(笑)
写真は、私が食した、ほんの一部。(爆)
バイキングには「ド・ロさまそうめん」もあった。


昼食の後、大野教会へ向かう。


絵や写真では見たことがあり、
その美しさは認識しているつもりであったが、
実物は、私の想像をはるかに超える素晴らしいものであった。


1893年(明治26年)、ド・ロ神父が設計したもので、
神浦・大野地区26戸のキリシタン信徒のために、
神父の自費と信徒の奉仕で造られたとか。
特に壁の石積みが美しい。
色合いも絶妙で、本当に絵に描きたくなるような教会である。


教会の横には、
出津教会信徒一同によって1993年9月に寄進された、
大野教会百周年記念のマリア像があった。


このマリアさまのお顔が、本当に美しかった。
その「美」が、
教会そのものの美しさと相まって、
私の心を強く打ち、震わせた。


外海では、至る処で水仙の花が見られた。
大野教会の傍にも、水仙がたくさん咲いていた。


すっかり歴史散歩のようになってしまったが、
今日の予定には、しっかり登山も組み込まれている。(笑)
そう、大野岳(352.3m)登山。


短時間で登れる山なので、みなさん軽装備。
しかし私はしっかりカカポくんを背負っておりました。


よく整備された(され過ぎた?)登山道を登ると、


20分ほどで、展望台のある山頂へ。


あまり期待していなかったが、この展望台からの眺めは素晴らしかった。
曇ってはいたが、遠望が利いた。
遠くに見えるのは平戸島で、左端にある尖った山は志々岐山(347.2m)。


こちらは、雲仙岳。


そして、なんと多良山系の経ヶ岳まで見えた。(遠くの尖った山)


下山しようとした時、海の彼方に無数の「天使の梯子」が出来、
海がスポットライトを当てられたように点々と輝きだした。


その光景に魅せられ、我々4人は、呆然とそこに立ち尽くしていた。


ふと我に返り、(笑)
下山。
低山だし、歩いた距離は短かったけれど、
なかなかの山であった。


下山後は、バスチャン屋敷跡へ。


キリシタン暦の日繰り帳を信徒に伝えた日本人伝教師バスチャンが、
迫害下で隠れ住んだ隠れ家のひとつ。
バスチャンの名は不明で、深堀の平山郷布巻に生まれたとの説あり。
この隠れ家は、平成5年に、改修・復元されたものである。


本日、最後の訪問地は、枯松神社。
隠れキリシタンの聖地として守り続けられている神社で、
とても珍しい場所。
キリシタンを祀った神社は、全国でも3ヶ所しか知られていないとか。
伊豆大嶋のあたあね大明神、
長崎の桑姫神社、
そして、ここ。


近くには、黒崎の隠れキリシタンの心の拠り所となった「祈りの岩」がある。


広い一枚岩で、
おらしょを唱えながら祈るキリシタンたちの声が聞こえてくるようであった。


遠藤周作文学館、外海歴史民俗資料館、ド・ロ神父記念館、出津教会、大野教会、大野岳、バスチャン屋敷跡、枯松神社……
心の景色の美しい人々と、
その心を反映したかのように美しい風景を、存分に堪能した一日であった。
俗世間にまみれ、汚れた心の私でさえ、
今日一日は、浄化され、清い心でいられたような気がする。
そよかぜさん、肉まんさん、平六さん、
ありがとうございました。

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