本作『別れる決心』(2023年2月17日公開)を見たいと思ったのは、
『オールド・ボーイ』『お嬢さん』のパク・チャヌク監督作品というのもあるけれど、
一番の理由は、タン・ウェイの主演作であるからだ。(パク・ヘイルとのW主演)
タン・ウェイと出逢ったのは、
タン・ウェイの映画デビュー作『ラスト、コーション』(2007年)だった。
日本では2008年2月2日に公開され、
佐賀では(いつものごとく遅れて)3月末からシアターシエマで上映された。
私は4月上旬に鑑賞し、2008年4月10日にレビューを書いている。
そのレビューで、私はタン・ウェイについて、次のように記している。
トニー・レオンの演技も素晴らしかったが、私は何と言ってもタン・ウェイの魅力に取り憑かれてしまった。
この女優は凄い!
オーデションで約1万人の中から選ばれたそうだが、その美貌と体当たりの演技に、完全にノックアウトされてしまった。
スッピンの時の初々しさ、化粧をした時の妖艶さ。
そしてベッドシーンの清楚でありながら淫らな表情。
どう言ったらいいか……この女優には「覚悟」があるように思った。
中途半端な「覚悟」ではなく、命をかけたような本物の「覚悟」。
人生最大のテーマは人を愛すること。
心にとどめるには残酷すぎる美しさだ。
タン・ウェイがしがみついて離れない…。
――奥田瑛二
パンフレットに書かれてあった奥田瑛二の言葉が、すべてを語っているように感じた。
私もしばらくはタン・ウェイの幻影から逃れられそうにない。(全文はコチラから)
その後、
香港映画に出演したり、ハリウッドにも進出したりしていたようだが、
私はあまり見る機会がなく、
いつの間にか15年も経ってしまった。
タン・ウェイは1979年10月7日生まれなので、43歳。(2023年4月現在)
2014年に韓国人のキム・テヨン監督と結婚し、
2016年には第一子女児を出産している。
ソウルからかなり離れたところに住んでいらっしゃるのですが、いま彼女にとって俳優は副業みたいなもので、普段はもっぱら農業、お野菜などをたくさん作って畑仕事を楽しんでいるんです。
と、パク・チャヌク監督は語っていたが、
日本で言えば(東京と田舎の2拠点生活をしている)小雪のような感じであろうか。
あの妖艶だったタン・ウェイが、
最新作でどのように変貌しているのか、あるいはしていないのか……
2023年2月17日公開された作品であるが、
佐賀では(いつものように)遅れて、3月31日から公開された。
〈いつでも行ける〉
と、余裕をかましていたら、4月20日までの上映と知り、
4月18日に慌てて上映館であるシアターシエマに駆けつけたのだった。
男性が山頂から転落死する事件が発生。
事故ではなく殺人の可能性が高いと考える刑事ヘジュン(パク・ヘイル)は、
被害者の妻であるミステリアスな女性ソレ(タン・ウェイ)を疑うが、
彼女にはアリバイがあった。
取り調べが進む中で、お互いの視線は交差し、
それぞれの胸に言葉にならない感情が湧き上がってくる。
いつしかヘジュンはソレに惹かれ、
彼女もまたヘジュンに特別な想いを抱き始める。
やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えた。
しかし、それは相手への想いと疑惑が渦巻く“愛の迷路”のはじまりだった……
刑事が容疑者の女性を好きになっていくという映画やTVドラマは星の数ほどあり、
その設定自体は珍しくないのだが、
本作『別れる決心』は、それらあまたの作品群とは違った展開をみせる。
刑事ヘジュンはソレを見た途端、一瞬に恋に落ちたかのようにも見えるが、
被害者の妻である(容疑者の)ソレは、中国からの不法侵入者で、
韓国語があまり上手くなく、最初から意思疎通がうまくできない。
(この設定は、中国人であり、今は韓国に暮らすタン・ウェイの境遇にも似ている)
二人の間には“霧”がかかったように、お互いがよく見えないという状況なので、
相手の言うことの真意が測りかね、
なんとか相手の心情を理解しようとするが、
なかなかうまくいかない。
弥が上にも相手に興味を持たざるを得なくなり、
ヘジュンはソレに、
ソレはヘジュンに、
どうしようもなく惹かれていく。
この映画のイメージの原型は、劇中やエンドクレジットでも流れる「霧」という曲です。韓国では有名な流行歌のひとつで、私も若い頃から耳にしていましたが、年齢を重ねてから歌詞の意味を考察していくと、そこにはとても深い意味が込められていると感じるようになりました。曲の主人公̶̶男性なのか女性なのかはわかりませんが̶̶は、かつての恋人に偶然再会するわけですが、深い霧のせいで相手の姿はシルエットでしか確認できない。だから主人公は目を細めて相手に近づき、その姿を凝視しようとするのです。(「キネマ旬報」2023年3月上旬号)
と、パク・チャヌク監督は語っていたが、
この「霧」という曲が、(私は初めて聴いたが、なかなか好い曲だ)
“五里霧中”状態の二人の難しい関係を、メロドラマ風にやや俗っぽく演出し、
見る者の想像をかきたて、『別れる決心』の世界へじんわり誘い、いつしか没入させる。
パク・チャヌク監督は、
「深い霧のせいで相手の姿はシルエットでしか確認できない。だから主人公は目を細めて相手に近づき、その姿を凝視しようとするのです」
と語っているが、
私も一瞬も見逃すまいとスクリーンを凝視していた所為か、
映画鑑賞後、座席から立ち上がろうとして眩暈(めまい)に襲われた。
平衡感覚に異常をきたしたような感じで、船酔いしたような状態がしばらく続いた。
パソコン作業での目の酷使、寝不足、加齢などにも原因があろうが、
『別れる決心』はかなり難しい映画であり、
理解すべく、映像と字幕を必死に追いかけていたことが一番の原因だったような気がする。
映画を見終わって眩暈がしたのは、初めての経験であった。
刑事ヘジュンを演じたパク・ヘイル。
私が韓国映画で一番好きなのがポン・ジュノ監督作品『殺人の追憶』(2003年)で、
その『殺人の追憶』に容疑者パク・ヒョンギュ役で出演していたのがパク・ヘイルなので、
本作『別れる決心』では刑事役で主演しているのが、なんとも感慨深かった。
同じポン・ジュノ監督作品『グエムル~漢江の怪物~』(2006年)や、
ホ・ジノ監督作品『ラスト・プリンセスー大韓帝国最後の皇女ー』(2016年)などでも彼を見ているが、これまで良い監督に恵まれてきた気がする。
本作『別れる決心』でも、
パク・チャヌク監督作品という優れた監督にキャスティングされ、
期待に違わぬ演技をしている。
刑事ヘジュンには配偶者がいて、性格も真面目であるにもかかわらず、
ソレに一目惚れし、意思疎通が難しい相手にのめり込み、
刑事としての本分から逸脱していく。
この朴訥な刑事ヘジュンを、パク・ヘイルは繊細な演技で魅せる。
被害者の妻で、ミステリアスな女性・ソレを演じたタン・ウェイ。
最初こそ、
〈さすがに『ラスト、コーション』から15年は経っているからな……〉
と思ったし、
若かりし頃の輝きはなくなっているようにも思えたが、
前半戦から後半戦へと進むにしたがって、眩しく感じられるようになり、
〈いやいや、タン・ウェイはやはりタン・ウェイだった〉
と思い直した。
そして、その比類なき美しさにウットリさせられた。
15年という歳月、
結婚や出産という人生経験を経ての演技は深みを増し、
役として、
病気の老人の介護をしながら日々の暮らしを営み、異国で韓国社会と対峙しながら、
品位と威厳を失わずにやってきた女性・ソレを、
タン・ウェイは実に巧く演じていたと思う。
特にラストは秀逸。
パク・チャヌク監督がタン・ウェイをキャスティングした理由が解ったような気がした。
本作は、一見、ラブサスペンスのような感じではあるが、
パク・チャヌク監督作品なので、それだけでは終わらない。
ほぼ真相が明かされ、
ヘジュンはソレの魅力の前にひれ伏すものの、
「別れる決心」をして、END……と思いきや、
そこまでが前半戦で、後半戦が待っているのだ。
ネタバレになるので詳しくは書けないが、
犯罪の謎解きから、恋愛の謎解きへと移行する。
ソレの方から「別れる決心」が示されるのだ。
それも、衝撃的な方法で……
舞台も、前半の「山」から、後半の「海」へと移行する。
迫りくる霧と夕闇。
ソレを捜して海辺を歩き回るヘジュンの姿が哀切だ。
……と、ここまで書いて、
〈私は果たしてこの作品を本当に理解しているのか……〉
と自問せざるを得なくなった。
138分間、目を凝らしていたけれど、
〈何も見ていなかったのではないか……〉
という不安に襲われたのだ。
パク・チャヌク監督が仕掛けた罠を、全部見抜くことはできず、
置き去りにされたような気持ち。
やはり、一度見ただけでは、すべてを理解することは不可能だ。
できれば、今度は、吹替版で見て、映像のみを集中して見てみたい。
字幕だと、どうしても、細部を見逃してしまうからだ。
鑑賞後、数日を経過しているのだが、
未だに『別れる決心』という迷宮を彷徨っているような感覚に囚われている。
だが、もはや、どうしようもない。
今は、ただ、
映像の美しさと、タン・ウェイの美しさを思い出しながら、
物語の余韻を楽しむことにしよう。