今日は、本来なら、このブログに、からつ労山の月例山行のレポートを書いている筈であった。
だが、今回は、私の住む町の町内行事に出席しなければならず、月例山行には参加できなかった。
こういう時期だからこそ、町内の催しには積極的に参加しておくべきだと思った。
近隣の人々との絆を強めておきたいと思った。
行くつもりで用意しておいた月例山行の参加費は、そのまま東北地方太平洋沖地震の募金に充てようと思う。
今日は、久しぶりにブックレビューを書こう。
最近読んだ本の中では、小川洋子の小説『人質の朗読会』が強く印象に残っている。
ある国の遺跡観光に訪れたツアー客7名と添乗員1名が、反政府ゲリラの襲撃を受け、拉致される。
犯人グループからの要求は、逮捕・拘束されている仲間のメンバー全員の釈放と、身代金の支払い。
拉致現場は、道路が十分整備されておらず、電気も通っていない小さな村々が点在するだけの山岳地帯。
人質になった旅行者たちの身元が判明したり、大使館員が現場に駆けつけたり、政府の関係者が記者会見を開いたりといった動きはあったものの、事態が大きく動く気配はなく、次第にニュースの扱いも小さくなっていく。
2週間経ち、
1ヶ月が経ち、
2ヶ月を迎えても、事件は膠着状態のままだった。
事態が急展開したのは、発生から100日以上が過ぎ、多くの人々がそのような人質事件が起きていることさえ忘れかけた頃だった。
軍と警察の特殊部隊が元猟師小屋のアジトに強行突入。
ゲリラ側との銃撃戦になった。
結果、犯人グループの5名は全員射殺、
特殊部隊の隊員2名が殉職、11名が負傷、
人質は、犯人が仕掛けたダイナマイトの爆発により8人全員が死亡する。
爆破され、銃弾を撃ち込まれ、ほとんど原形を留めていない元猟師小屋。
遺品と呼べるようなものはほとんど残されていなかったが、
ただひとつ、
遺族が、床板に刻まれた文章の一部を発見する。
焼け焦げ、小さな破片となった板に残る文字は途切れ途切れで、今にも消え入りそうであったものの、人質の一人の筆跡に間違いないことが判明。
ほどなく、戸棚の横板、引き出しの底、窓枠、テーブルの脚など、さまざまな切れ端から8人分の文字が見つかる。
筆記用具として裁縫セットの針やヘアピンが使われたようだった。
ただ、どの文章もわずかな断片でしかなく、それらがどんな内容で、何のために記されたのかはよく分からなかった。
2年の歳月が流れ、人質事件は思わぬ形に姿を変え、再び人々の元へ戻ってくる。
犯人グループの動きを探るため、元猟師小屋で録音された盗聴テープが公開されたのだ。
盗聴器は、国際赤十字が差し入れた救急箱、浄水器、辞書の中に密かに仕掛けられてたという。
公開されたのは、特殊部隊の作戦には関係のない、人質たちの声が入っている部分だけだった。
テープには、8人が自ら書いた話を朗読する声が残っていた。
どういういきさつでそういうことが行われるようになったのか、詳しくは判らない。
ただ、退屈な時間を紛らわすための手段であったのかもしれない。
なんでもいいからひとつ思い出を書いて、朗読し合おう……
ただ思いつくままに喋るのではなく、きちんと書き言葉にした方が正確に伝わる……
自分の中にしまわれている過去、
未来がどうであろうと決して損なわれない過去、
それをそっと取り出し、
掌で温め、
言葉の舟に乗せる。
その舟が立てる水音に耳を澄ませる。
なじみ深い場所からあまりに遠く隔てられた、
冷たい石造りの、
ろうそくの灯りしかない廃屋に、
自分たちの声を響かせる……
そういう自分たちを、犯人でさえも邪魔はできないはずだ。
……そのようにして、人質の朗読会は開かれたのだろう。
観客は、人質の他、見張り役の犯人と、作戦本部でヘッドフォンを耳に当てる男。
そのテープをもとに、『人質の朗読会』と題されたラジオ番組が8回にわたって放送される。
その放送から流れてくるのは、
紙をめくる音、
咳払い、
慎み深い拍手。
遠く隔絶された場所から、かれらの声が我々に届く……
本書に収められているのは、
第一夜 杖
第二夜 やまびこビスケット
第三夜 B談話室
第四夜 冬眠中のヤマネ
第五夜 コンソメスープ名人
第六夜 槍投げの青年
第七夜 死んだおばあさん
第八夜 花束
第九夜 ハキリアリ
の9編。
どれもが素晴らしく、小川洋子の小説世界を堪能できる好短篇ばかり。
で、人質8人の朗読なのに、なぜ第九夜があるかと言えば、
9人目は、作戦本部でヘッドフォンを耳に当てていた男なのだった。
《このまま朗読会がいつまでも続いたらいいのに。そうすれば人質たちはずっと安全でいられるのに。時に私は本来の任務とは矛盾する願いにとらわれ、自分でも戸惑うことがあった。慌てて私は邪念を払い、更にきつくヘッドフォンを耳に押し当てた》
《八人の人質を救い出せなかったという結末からすれば、私のような立場の人間が今更何を口にしても、ただ誤解を招くだけだろうが。しかし私は決して、言い訳をしようとしているのではない。彼らの朗読は、閉ざされた廃屋での、その場限りの単なる時間潰しなどではない。彼らの想像を超えた遠いどこかにいる、言葉さえ通じない誰かのもとに声を運ぶ、祈りにも似た行為であった。その祈りを確かに受け取った証として、私は私の物語を語ろうと思う》
この第九夜があることで、この作品はより深みのあるものになっている。
考えてみるに、人との出会いは、物語との出会いでもある。
人は、物語そのものでもあると思うからだ。
昔、星野道夫著『長い旅の途上』(文春文庫)を読んでいた時、次のような文章が目に留まった。
《動物の脳というものは、きっと気の遠くなるような時間をかけて書かれた一冊の本なのだと思う。その中には、これまでその種が生きてきた何万年、何億年という歴史がすべて入っているんだ》
ここで言う動物とは、人間以外の野生の動物のことを指しているのだが、このことは人間にも当てはまるのではないかと思った。
ひとりの人間というのは、きっと気の遠くなるような時間をかけて書かれた一冊の本なのだと思う。
それも、物語がいっぱい詰まった、とてつもなく面白く素晴らしい本。
……いろんな人と出会う度に、私はいつもそう思っていた。
3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震で、死者・行方不明者の数は2万人を超えたという。(3月20日現在)
多くの死は、また多くの物語の死でもある。
知られざる人生が、
語られざる物語が、
津波に呑まれ、
流され、
途絶えてしまった。
……ただ、
耳を澄ませば、
その多くの人々の声は、かれらを愛した者の耳朶には届くのではないか?
想像を超えた遠いどこかから、
祈りにも似た声……
その祈りを確かに受け取った者だけが、作家となって、その物語を語る資格を得る。
その稀有なひとりが、小川洋子ではないかと思われた。
だが、今回は、私の住む町の町内行事に出席しなければならず、月例山行には参加できなかった。
こういう時期だからこそ、町内の催しには積極的に参加しておくべきだと思った。
近隣の人々との絆を強めておきたいと思った。
行くつもりで用意しておいた月例山行の参加費は、そのまま東北地方太平洋沖地震の募金に充てようと思う。
今日は、久しぶりにブックレビューを書こう。
最近読んだ本の中では、小川洋子の小説『人質の朗読会』が強く印象に残っている。
ある国の遺跡観光に訪れたツアー客7名と添乗員1名が、反政府ゲリラの襲撃を受け、拉致される。
犯人グループからの要求は、逮捕・拘束されている仲間のメンバー全員の釈放と、身代金の支払い。
拉致現場は、道路が十分整備されておらず、電気も通っていない小さな村々が点在するだけの山岳地帯。
人質になった旅行者たちの身元が判明したり、大使館員が現場に駆けつけたり、政府の関係者が記者会見を開いたりといった動きはあったものの、事態が大きく動く気配はなく、次第にニュースの扱いも小さくなっていく。
2週間経ち、
1ヶ月が経ち、
2ヶ月を迎えても、事件は膠着状態のままだった。
事態が急展開したのは、発生から100日以上が過ぎ、多くの人々がそのような人質事件が起きていることさえ忘れかけた頃だった。
軍と警察の特殊部隊が元猟師小屋のアジトに強行突入。
ゲリラ側との銃撃戦になった。
結果、犯人グループの5名は全員射殺、
特殊部隊の隊員2名が殉職、11名が負傷、
人質は、犯人が仕掛けたダイナマイトの爆発により8人全員が死亡する。
爆破され、銃弾を撃ち込まれ、ほとんど原形を留めていない元猟師小屋。
遺品と呼べるようなものはほとんど残されていなかったが、
ただひとつ、
遺族が、床板に刻まれた文章の一部を発見する。
焼け焦げ、小さな破片となった板に残る文字は途切れ途切れで、今にも消え入りそうであったものの、人質の一人の筆跡に間違いないことが判明。
ほどなく、戸棚の横板、引き出しの底、窓枠、テーブルの脚など、さまざまな切れ端から8人分の文字が見つかる。
筆記用具として裁縫セットの針やヘアピンが使われたようだった。
ただ、どの文章もわずかな断片でしかなく、それらがどんな内容で、何のために記されたのかはよく分からなかった。
2年の歳月が流れ、人質事件は思わぬ形に姿を変え、再び人々の元へ戻ってくる。
犯人グループの動きを探るため、元猟師小屋で録音された盗聴テープが公開されたのだ。
盗聴器は、国際赤十字が差し入れた救急箱、浄水器、辞書の中に密かに仕掛けられてたという。
公開されたのは、特殊部隊の作戦には関係のない、人質たちの声が入っている部分だけだった。
テープには、8人が自ら書いた話を朗読する声が残っていた。
どういういきさつでそういうことが行われるようになったのか、詳しくは判らない。
ただ、退屈な時間を紛らわすための手段であったのかもしれない。
なんでもいいからひとつ思い出を書いて、朗読し合おう……
ただ思いつくままに喋るのではなく、きちんと書き言葉にした方が正確に伝わる……
自分の中にしまわれている過去、
未来がどうであろうと決して損なわれない過去、
それをそっと取り出し、
掌で温め、
言葉の舟に乗せる。
その舟が立てる水音に耳を澄ませる。
なじみ深い場所からあまりに遠く隔てられた、
冷たい石造りの、
ろうそくの灯りしかない廃屋に、
自分たちの声を響かせる……
そういう自分たちを、犯人でさえも邪魔はできないはずだ。
……そのようにして、人質の朗読会は開かれたのだろう。
観客は、人質の他、見張り役の犯人と、作戦本部でヘッドフォンを耳に当てる男。
そのテープをもとに、『人質の朗読会』と題されたラジオ番組が8回にわたって放送される。
その放送から流れてくるのは、
紙をめくる音、
咳払い、
慎み深い拍手。
遠く隔絶された場所から、かれらの声が我々に届く……
本書に収められているのは、
第一夜 杖
第二夜 やまびこビスケット
第三夜 B談話室
第四夜 冬眠中のヤマネ
第五夜 コンソメスープ名人
第六夜 槍投げの青年
第七夜 死んだおばあさん
第八夜 花束
第九夜 ハキリアリ
の9編。
どれもが素晴らしく、小川洋子の小説世界を堪能できる好短篇ばかり。
で、人質8人の朗読なのに、なぜ第九夜があるかと言えば、
9人目は、作戦本部でヘッドフォンを耳に当てていた男なのだった。
《このまま朗読会がいつまでも続いたらいいのに。そうすれば人質たちはずっと安全でいられるのに。時に私は本来の任務とは矛盾する願いにとらわれ、自分でも戸惑うことがあった。慌てて私は邪念を払い、更にきつくヘッドフォンを耳に押し当てた》
《八人の人質を救い出せなかったという結末からすれば、私のような立場の人間が今更何を口にしても、ただ誤解を招くだけだろうが。しかし私は決して、言い訳をしようとしているのではない。彼らの朗読は、閉ざされた廃屋での、その場限りの単なる時間潰しなどではない。彼らの想像を超えた遠いどこかにいる、言葉さえ通じない誰かのもとに声を運ぶ、祈りにも似た行為であった。その祈りを確かに受け取った証として、私は私の物語を語ろうと思う》
この第九夜があることで、この作品はより深みのあるものになっている。
考えてみるに、人との出会いは、物語との出会いでもある。
人は、物語そのものでもあると思うからだ。
昔、星野道夫著『長い旅の途上』(文春文庫)を読んでいた時、次のような文章が目に留まった。
《動物の脳というものは、きっと気の遠くなるような時間をかけて書かれた一冊の本なのだと思う。その中には、これまでその種が生きてきた何万年、何億年という歴史がすべて入っているんだ》
ここで言う動物とは、人間以外の野生の動物のことを指しているのだが、このことは人間にも当てはまるのではないかと思った。
ひとりの人間というのは、きっと気の遠くなるような時間をかけて書かれた一冊の本なのだと思う。
それも、物語がいっぱい詰まった、とてつもなく面白く素晴らしい本。
……いろんな人と出会う度に、私はいつもそう思っていた。
3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震で、死者・行方不明者の数は2万人を超えたという。(3月20日現在)
多くの死は、また多くの物語の死でもある。
知られざる人生が、
語られざる物語が、
津波に呑まれ、
流され、
途絶えてしまった。
……ただ、
耳を澄ませば、
その多くの人々の声は、かれらを愛した者の耳朶には届くのではないか?
想像を超えた遠いどこかから、
祈りにも似た声……
その祈りを確かに受け取った者だけが、作家となって、その物語を語る資格を得る。
その稀有なひとりが、小川洋子ではないかと思われた。