一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『ゴジラ-1.0』 ……浜辺美波と安藤サクラが魅力的な山崎貴監督の傑作……

2023年11月26日 | 映画


日本を代表するシリーズ映画として君臨する“ゴジラ”。
第1作の『ゴジラ』(1954年)が公開されてから69年が経つが、
(実は私も1954年生まれなので、ゴジラと同い年)
これまでに国内で計29作品が製作され、
累計観客動員数は1億人を突破している。


その人気は国内に止まらず、
1998年に『GODZILLA』が、
2014年には『GODZILLA ゴジラ』が、
2019年には『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が、
2021年には『ゴジラvsコング』が公開されるなど、
日本で誕生したゴジラというキャラクターは、
今や、世界の“キングオブモンスター”となっている。


国内シリーズ(日本で製作された実写のゴジラ映画)としては、
2016年の庵野秀明監督作品『シン・ゴジラ』を最後に、7年間の空白があったが、
この度、「ゴジラ」の生誕70周年記念作品として、
通算30作目となる『ゴジラ-1.0』が公開された。
監督は、山崎貴。


(2023年)11月3日に公開されたが、
大勢の中で見るのはあまり好きではないので、
公開から少し経ってから、映画館に足を運んだのだった。



第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)。
敷島浩一(神木隆之介)は、特攻へ向かう途中で零戦が故障したと偽り、
大戸島の守備隊基地に着陸する。
その日の夜、
基地を全長15メートルほどの恐竜のような島の伝説で語り継がれる生物「呉爾羅(ゴジラ)」が襲撃する。
敷島は整備兵の橘宗作(青木崇高)から、
ゴジラを零戦に装着されている20ミリ砲で撃つように懇願されるが、
恐怖で撃つことができず、
敷島と橘以外の整備兵たちは全員ゴジラに襲われて死亡する。
橘は仲間たちの遺体を前にして敷島を罵倒する。

同年冬、
東京へと帰ってきた敷島は、
隣家の太田澄子(安藤サクラ)から、空襲によって両親が亡くなったことを伝えられる。
敷島は闇市で、
彼同様に空襲で親を失った女性・大石典子(浜辺美波)と、
彼女が空襲の最中見知らぬ他人から託されたという赤ん坊の明子に出会い、
成り行きで共同生活を始める。
敷島は米軍が戦争中に残した機雷の撤去作業の仕事に就き、
特設掃海艇・新生丸艇長の秋津淸治(佐々木蔵之介)、
乗組員の水島四郎(山田裕貴)、
元技術士官の野田健治(吉岡秀隆)と出会う。
敷島は秋津らに典子との正式な結婚を勧められるが、
戦争とゴジラによるトラウマで心の傷を抱える敷島は関係の進展に踏み出せずにいた。

1946年(昭和21年)夏。
ビキニ環礁で行われた米軍による核実験「クロスロード作戦」。
その近海にいたゴジラは被曝し、体を焼き尽くされたが、
それによってゴジラの細胞内でエラーが発生し、
その体は体高50.1メートルまでに巨大化した。

1947年(昭和22年)。
赤ん坊だった明子は歩けるほどに成長し、
典子は自立するために銀座で働き始めていた。

敷島たちは作業中の日本近海にゴジラが現れていることを知り、
新生丸で足止めをしろという命令が出る。
敷島たちは回収した機雷や船の機銃でゴジラに応戦するが、まったく歯が立たず、
シンガポールから帰ってきた接収艦の重巡洋艦「高雄」の砲弾で応戦するが、
ゴジラの吐いた熱線によって高雄は海の藻屑となる。
敷島は野田から、ゴジラが東京に向かっていること、
そして政府が混乱を恐れてゴジラのことを国民に伏せていることを聞かされる。

翌日、ゴジラは東京湾から品川を経て典子の働く銀座へと向かう。
敷島は典子の救出に向かい一緒に逃げるが、
ゴジラの放出した熱線によって襲い掛かってきた爆風から、
典子はとっさに敷島を建物の陰に押し込んで助けるが、
自身は爆風に吹き飛ばされて行方不明になってしまう。
典子を失った敷島は、ゴジラへの復讐を誓う。

ゴジラによって東京は壊滅的な被害を受けたが、
駐留連合国軍はソ連軍を刺激する恐れがあるとして軍事行動を避けていた。
そのため、
占領下で独自の軍隊を持たない日本は、民間人のみでゴジラに立ち向かうこととなる。
典子の死を嘆き苦しむ敷島を、野田はゴジラ打倒の作戦に誘う。
駆逐艦「雪風」の元艦長である堀田辰雄がリーダーとなって開かれた「巨大生物對策説明会」には、
新生丸のメンバーの他、元海軍の人間が多数集まった。
そこで野田が、
ゴジラをフロンガスの泡で包み込み、
深海まで一気に沈めて急激な水圧の変化を与える第一次攻撃に続き、
第二次攻撃として深海で大きな浮袋を膨らませて海底から海上まで一気に引き揚げ、
凄まじい減圧を与えてゴジラの息の根を止めるという「海神作戦」(わだつみさくせん)を立案する。

一方で、敷島は野田たちとは別に、
独自のやり方でゴジラに立ち向かおうとして橘を探し始める……



山崎貴監督作品は元々好きで、
これまで、
『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)
『ALWAYS 三丁目の夕日'64』(2012年)
『DESTINY 鎌倉ものがたり』(2017年)
『アルキメデスの大戦』(2019年)

などの諸作品を鑑賞し、このブログでもレビューを掲載してきたが、
実は、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)の冒頭にゴジラが登場するのだ。


これを見たとき、
あまりにも素晴らしい映像と、その高いクオリティに、
〈いつかは山崎貴が『ゴジラ』の監督をするのではないか……〉
と思っていたが、
それが実現し、極私的にとても嬉しかった。


“ゴジラ”シリーズで私が最も好きな作品は、
やはり第1作の『ゴジラ』(1954年)で、
DVDも買って所持しており、時折見て楽しんでいる。
第1作の1954年版は、ゴジラだけではなく、人間が描かれていた。
組織ではなく、個人が描かれていた。


ゴジラに学者的良心で向かう志村喬(山根博士)、


ヒロインの河内桃子(山根博士の娘)は清楚で美しく、


宝田明(サルベージ青年所長)とのラブロマンスがあったり、


水中酸素破壊剤を完成し、ゴジラと運命を共にする悲恋の青年科学者、
平田昭彦(芹沢博士)の『アルマゲドン』的な英雄的な行動があったりした。


シリーズ前作の庵野秀明監督作品『シン・ゴジラ』には、それがなかった。
恋愛も家族愛も英雄譚も描かれてはいなかった。
長谷川博己と石原さとみのラブロマンスを期待したが、(笑)
その欠片、片鱗さえなかった。


328人の俳優たちの群像劇を、
日本映画では異例の、
総監督・脚本・編集:庵野秀明、
監督・特技監督:樋口真嗣、
准監督・特技総括・B班監督:尾上克郎
という三監督、
A班、B班、C班、D班という四班体制、
総勢1000人以上のスタッフが支え、
超大規模撮影を敢行し、“組織力”を描いた“ゴジラ”映画を創り上げたのだ。
それはそれで面白かったし、傑作だと思ったのだが、
1954年版のような“個”を描いた“ゴジラ”映画を見たいという気持ちは残った。

その「“個”を描いた“ゴジラ”映画を見たいという気持ち」を叶えてくれたのが、
山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』だったと言えよう。

ゴジラに学者的良心で向かう野田健治(吉岡秀隆)、


ヒロインの大石典子(浜辺美波)は清楚で美しく、


敷島浩一(神木隆之介)とのラブロマンスがあったり、


敷島浩一(神木隆之介)の『アルマゲドン』的な英雄的な行動があったりした。


『ゴジラ-1.0』は、シリーズ第1作『ゴジラ』へのリスペクトが感じられたし、
“個”を描きつつ、最新のVFX技術を駆使し、
国内シリーズではあまり見たことのないような“ゴジラ”を創り上げていたのだ。
まるで、“ゴジラ”と「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズが合体したようで、
懐かしさもあり、嬉しくもあり、まさに私好みの映画であった。



タイトルの「−1.0」の読みは「マイナスワン」。
舞台は戦後の日本で、戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現し、ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。
そういう意味での「−1.0」であるらしいのだが、
別の見方もできると思った。
第1作目の『ゴジラ』(1954年)は、
「第五福竜丸(1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船)事件」から生まれた物語だが、
本作『ゴジラ-1.0』は、
終戦直前から終戦直後を時代背景としており、
第1作目の『ゴジラ』よりも前の時代設定となっている。
オリジナルよりも前の物語ということでの「−1.0」とも言える。



かつて、山崎貴監督作品『アルキメデスの大戦』のレビューを、
 ……菅田将暉の“熱量”と、浜辺美波の“美”……
とのサブタイトルを付して書いたとき、
浜辺美波について、次のように記した。

財閥・尾崎家の令嬢、尾崎鏡子を演じた浜辺美波。


自身の家庭教師として尾崎家に出入りしていた櫂(菅田将暉)を「先生」と呼び、
慕っている役であったが、



男ばかりの登場人物の中で、唯一、光輝く花のような存在であった。




『君の膵臓をたべたい』(2017年7月28日公開)で初めて出逢ったと思っていたら、
先日、『エイプリルフールズ』(2015年4月1日公開)をDVDで見ていたら、
まだ幼さが残る彼女を発見してビックリ。
「美しい人は最初から美しいのだ」ということを再認識させられたことであった。




本作『ゴジラ-1.0』でも、
「男ばかりの登場人物の中で、唯一、光輝く花のような存在であった」のだが、
その美しさは際立っていた。
2011年、第7回『東宝シンデレラオーディション』に応募し、
ニュージェネレーション賞を受賞し芸能界入りした浜辺美波であるが、
すでに“東宝の顔”となりつつあることを強烈に印象づけた。





『ゴジラ-1.0』にはもう一人、魅力的な女優が出演していて、
それは、安藤サクラ。


かつて、山崎貴監督作品『DESTINY 鎌倉ものがたり』のレビューを、
……高畑充希の笑顔と、安藤サクラの存在感……
とのサブタイトルを付して書いたのだが、
そこで、私は、安藤サクラのことを次のように記している。

安藤サクラは私の大好きな女優であるのだが、
『0.5ミリ』(2014年)
『百円の恋』(2014年)
のような主演作はもちろんのこと、
『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』(2017年)や、
本作のような脇役であっても、独特の存在感を示す。
『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』では怪演であったが、
本作では、静かな演技であるにもかかわらず、
彼女にしか出せない不思議な雰囲気を醸し出しており、
安藤サクラという女優を死神にキャスティングしたことが、
本作を成功に導いた大きな要因であったと思われた。



本作『ゴジラ-1.0』では、主演ではなかったが、
若い二人、敷島浩一(神木隆之介)と大石典子(浜辺美波)とを見守る重要な役で、
安藤サクラなればこその演技で、二人を、そして作品自体を盛り上げていた。



『ゴジラ-1.0』は、大好きな映画であった。
機会があれば、もう一度(いや何度でも)見たいと思っている。
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