一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

……平山という男について…… 映画『PERFECT DAYS』のレビュー 第2回

2023年12月30日 | 映画


映画『PERFECT DAYS』のレビューの1回目は、
主に、出演している女優たちについて書いた。(コチラを参照)
2回目の今回は、主人公の平山という男について論じてみたい。

公開されて1週間が経ち、
いろんな人のレビューを読んでみると、
主人公の平山のことを「修行僧のようだ」と書いている人が案外多かった。
だが、私はそうは思わなかった。
確かに、寡黙な中年の清掃作業員・平山の日常は変化に乏しく、
判で押したようなルーティンで一日一日が過ぎていくが、
子細に眺めてみると、そこには、実に人間臭い、普通の男がそこにいる。


例えば、アヤ(アオイヤマダ)とのやりとり。


一緒に働く若い清掃員・タカシ(柄本時生)は、
「どうせすぐ汚れるのだから」
と作業は適当にこなし、
通っているガールズ・バーのアヤ(アオイヤマダ)と深い仲になりたいが金がないとぼやいてばかりいる。
このアヤも、タカシよりも平山の方に親近感を抱く。



と1回目のレビューに書いたのだが、
このアヤが平山の頬にキスをするシーンがある。(予告編でも見ることができる)
そして、キスをされたその後の平山が、実に嬉しそうなのだ。(笑)

私は、好きになった映画のパンフレットは買うようにしていて、
当然、この映画『PERFECT DAYS』のパンフレットも購入したのだが、
そのパンフレットに、
本作の発案者であり資金提供者でもある柳井康治と、
作家の川上未映子との特別対談が掲載されていて、


そこで川上未映子が次のように語っていた。

川上 平山さんって、異性にたいして、ものすごく過剰に反応しますよね。

柳井 そうですね。ほっぺにキスされるシーンがあるのですが、その後の曲が、ルー・リードの「Perfect Day」ですからね。

川上 そうそう。平山さんの言動は、傷つき方も、リアクションも「子ども」なんですよね。身体は老いていくのに成熟することのない日本のメタファーにもなっています。大人になることを望まなかったのか、あるいは、そこから逸脱してしまったのか。そもそもその道はなかったのか。平山さんのバックボーンが描かれすぎていないことが作用して、この映画が自発的に持ってしまうメッセージがポリフォニーになっているんですよね。

キスされた後、少しにやけながら平山が運転しているシーンに流れる曲がルー・リードの「Perfect Day」だったので、私も思わず笑ってしまったのだが、
川上未映子が言うように、反応が「子ども」に近く、そこに修行僧のイメージはない。


一緒に働く若い清掃員・タカシ(柄本時生)が勝手に仕事を辞めて、
すぐには欠員の補充がなく、タカシの分まで仕事をしなければならなかったときに、
会社に電話をして文句を言う平山にも修行僧のイメージはなかったし、
〈平山も怒るときがあるんだ~〉
と、ちょっと意外な感じがしたのを憶えている。



ある日、
行きつけの小さな居酒屋の女将(石川さゆり)と元夫(三浦友和)が抱き合っているのを目撃し、ちょっと嫉妬しているような、ちょっとふてくされているような、いやそこまではないのかもしれないが、ちょっと寂しげな素振りを見せる場面があり、このシーンにも人間臭さを感じたし、追いかけてきた(のかな?)元夫(がんを患っているという設定)から、
「あいつこと、よろしくお願いします」
と言われ、この元夫と心を通わすシーンにも修行僧のイメージはなかった。



平山の妹・ケイコ(麻生祐未)が、
娘のニコを迎えに来たとき、
平山がケイコをハグした後、
平山が感情を抑えられず肩を震わせて泣くシーンがあるのだが、
ここまで感情表現する男だとは思っていなかったので、
意外であったし、心を揺さぶられた。



いつもの公園、あるいは街角で、平山は同じ一人のホームレスを度々目撃する。
時々、目が合ったりもする。
その度に何かを見透かされるような気がする。
彼はもしかしたら自分にしか見えない存在なのか?
彼はもしかしたら近い将来の自分の姿なのか?
漠然とした不安を抱く平山にも、人間臭さを感じた。



このように、一見、修行僧のように見える平山にも、
ごく普通の感情があり、喜怒哀楽の表出がある。
だからこそ、我々は平山に親しみを感じるし、本作を好もしく思えるのである。



そして、ラストシーン。
車を運転する平山の表情が、延々と映し出されるのだが、
このときの役所広司の演技が素晴らしい。


先程紹介した特別対談で、川上未映子が、


映画としてはただ平山さんというおじさんのルーティンがくりかえされるのですが、編集の妙で、こちらの気持ちにいろんな波風が起きて、いろんなことを考えるわけなんです。じりじりしたり、どうなんだよ、って思ったりね。でも、最後のあのシーンですよね。役所広司さんという役者のあの演技。彼岸と此岸が同時にあるというか、本当の正午には自分の影が存在しなくなる一瞬がある、まさにそのニーチェ的な邂逅というか。あのスクリーン一面の表情です。あのすごさは、うまく言葉にすることができません。

と語っていたが、このラストシーンが俳優・役所広司の真骨頂であった。
それまでのあれこれは、このラストシーンを見るための120分だったことが解る。

自分にとって大切な作品には、いつも不穏な気持ちにさせられます
と語る川上未映子は、
不穏さによって、嫌な気持ちになりますか?
という問いに、

いいえ。不穏な気持ちにならないものに触れてもしょうがないです。たとえいい感じに感動しても、この感動がなんなのか、不安になります。感動するって気持ちいいじゃないですか。でも感動させること、することには、いつだって懐疑を持たないといけない。その疑いを持つ瞬間が、たくさんある映画でした。でも、なんといっても、役所さんが演じる平山さんのラストシーンですよね。自分も、ああいう一瞬を描くことができれば、と思いますね。

続けて、

イノセンスと、老いていずれ死にゆく肉体を生きていくこと。それが、今、すべての人に、べつべつに起きていて、誰もが一度きりの今を生きているということ。私はこれからも、ラストシーンを観たときのあの感覚を、何度でも思いだすと思います。

とまで語っている。


優れた作家に、こうまでも言わせた本作『PERFECT DAYS』は、
やはり“傑作”と呼ぶに相応しい作品だったと言えよう。

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