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女優・筒井真理子については、以前は、
名前だけは知っているという程度の認識であった。
そういう意味では、
私はまだ筒井真理子に出逢っていなかった。
私が彼女と「真に出逢った」と感じたのは、
深田晃司監督作品『淵に立つ』(2016年)を見たときだった。
筒井真理子を再発見できた喜びを、
私はレビューで次のように記している。
この映画を見て、実は、
浅野忠信よりも、古舘寛治よりも、
筒井真理子が強烈に印象に残った。
『淵に立つ』は、筒井真理子の映画だった……と断言しても、
あながち間違いではないと思えるほどの、素晴らしい演技であった。
最初に登場した時は、
10歳の娘がいるという設定もあってか、
どう見ても30代の魅力的な女性に見えた。
八坂(浅野忠信)が思わず抱きしめたくなるような、
唇を奪いたくなるような、
それが納得できるような、そんな女性に見えた。
8年後の章江(筒井真理子)を見て驚いた。
40代になり、相応に贅肉がつき、
あの魅力的な章江ではなくなっていた。
この演技のために、3週間で13キロも体重を増やしたという。
体型だけでなく、動作や、言葉遣いや、表情までもが、
8年前の章江ではなくなっていた。
その変身が見事であった。
そして、もっと驚いたのは、
このレビューを書くために、
あらためて筒井真理子のプロフィール(Wikipedia)を見た時だった。
1962年10月13日生まれ、54歳(2016年12月現在)。
(※別に、1960年10月13日生まれとの説もある)
「え~~~」と、思わず叫んでしまった。
「さすが女優」と、うなった。
30代に見え、40代に変身し、実は50代だったという……
げに恐ろしきは女優なり。
『淵に立つ』という映画は、
章江(筒井真理子)の変化が、そのまま家族の変化になっている。
その章江の表情やしぐさや体型で、
鈴岡家の“時間の経過”が解るようになっている。
それを、筒井真理子は、見事なまでに演じきっている。
主戦場は舞台やTVドラマであり、
最近は、松本明子と漫才コンビ「つつまつ」を結成し活動しているようであるが、
これからは、映画にも、もっと出演してもらいたいと思った。
本作は、映画女優・筒井真理子を再発見できた記念すべき映画だったといえる。
(全文はコチラから)
第3回「一日の王」映画賞・日本映画(2016年公開作品)ベストテンで、私は、
『淵に立つ』を第5位に、
そして、筒井真理子を最優秀主演女優賞に選出した。(コチラを参照)
筒井真理子はそれほどのインパクトを残したのだった。
その『淵に立つ』の深田晃司監督と筒井真理子が、
再びタッグを組んだのが、
本日紹介する映画『よこがお』なのだ。
今年(2019年)7月26日に公開された作品であるが、
佐賀では、シアターシエマで、約3ヶ月遅れ(遅れ過ぎ!)の10月18日から公開された。
で、先日、ようやく見ることができたのだった。
初めて訪れた美容院で、
リサ(筒井真理子)は「和道」という美容師(池松壮亮)を指名した。
数日後、和道の自宅付近で待ち伏せ、偶然会ったふりをするリサ。
近所だからと連絡先を交換し、
和道を見送った彼女が戻ったのは、
窓から向かいの彼の部屋が見える安アパートの一室だった。
リサは偽名で、彼女の本当の名前は市子。
半年前までは訪問看護師として、その献身的な仕事ぶりで周囲から厚く信頼されていた。
なかでも訪問先の大石家では、
塔子(大方斐紗子)の看護をするかたわら、
ニートで介護福祉士を目指している長女・基子(市川実日子)や、
中学生の二女・サキ(小川未祐)に、
勉強を教える仲になっていた。
基子は気の許せる唯一無二の存在として市子を密かに慕っていたが、
基子の市子への思いは憧れ以上の感情へと変化していく。
その思いに市子はまったく気づいていなかった。
ある日、基子の妹・サキが行方不明になる。
すぐに無事保護されるが、
逮捕された犯人は、市子の甥の鈴木辰男(須藤蓮)だった。
この事件との関与を疑われた市子は、
ねじまげられた真実と予期せぬ裏切りにより、築き上げた生活のすべてを失ってゆく。
自らの運命に復讐するように、
市子は“リサ”へと姿を変え、和道に近づいたのだった……
不条理な現実に巻き込まれたひとりの善良な女性の、
絶望と希望を描いたサスペンスであった。
ハラハラ、ドキドキはさせられるが、
大衆文学のような物語展開ではなく、
読み手にやや不親切で難解な純文学作品のようであった。
この映画は、現在と過去を“行きつ戻りつ”する。
現在と過去の出し入れは、映画ではよく見られるテクニックであるが、
深田晃司監督がおこなう時制転換は境目が曖昧で、
ぼんやりして見ていると、「エッ」と驚かされる。
やっかいなことに、
この現在と過去の出し入れの最中に、
“夢”や“幻想”かもしれないシーンもはさまるので、
ますます頭の中は混乱してしまう。
しかし、
ありきたりな映画に飽き飽きしている私としては、
それが楽しかった。
単純な回想形式では、物語が死んでしまうと思っています。好きではないです。この作品の場合、現在と過去という二つの時間軸をあたかも等価に描くことで、市子という人物を二重に見せることができるのではないかと考えました。あと、ミラン・クンデラの『冗談』という小説を数年前に読み、『よこがお』の物語はそこからインスパイアされた部分が大きいです。復讐に取り憑かれた主人公の現在の姿と、彼が転落するきっかけとなった二十年前の事件を平行して描くという、あの小説の構成を自分でもやってみたいと思いました。
深田晃司監督は某インタビューでこのように語っていたが、
現実と思ったものが幻想であったり、
幻想と思ったものが現実であったり、
自分の中で物語を構築(あるいは再構築)しながら鑑賞する面白さは、
『淵に立つ』と同様に、
深田晃司監督作品ならでは……と思わされた。
市子・リサを演じた筒井真理子。
TVドラマや他の監督作品で見る筒井真理子よりも、
深田晃司監督作品で見る筒井真理子の方が、
より美しく、魅力的だ。
そもそも、なぜ『よこがお』というタイトルなのかというと、
このタイトルについては、最初、新聞に載った主演の筒井さんの横顔がきれいだったことがあり、プロデューサーと盛り上がって、そのまま勢いで『よこがお(仮)』としていました。
と深田晃司監督が語っていたが、(コラコラ)
筒井真理子の横顔の美しさに起因していたのだ。
人の顔というのは、左右対称のようでありながら、実はそうではない。
左右の横顔はかなり違って見える。
二面性の象徴であり、かなり意味深なタイトルと言える。
世の中の理不尽にどんどん弾かれ居場所を失いながら、裏切った者への復讐を企てつつも、結局は運命を受け入れ生きていく――。脚本開発のなかで、そんなひとりの女性の流転を書きながら、“ああこれは『西鶴一代女』だな”と自分なりにとらえていました。そして、そういう物語にこそ、俳優としていろいろな表情ができ、またご本人の資質としても複雑なものを抱える筒井さんの多面性がいきるだろうなと。案の定、現場ではすべてのシーンにおいてレイヤーをつけながらすごく繊細に演じ分けていらして、筒井さんの俳優としての大きさや底知れなさを改めて感じることになりました。(『キネマ旬報』2019年8月上旬号)
と深田晃司監督が語るように、
筒井真理子は本作で様々な横顔を見せ、
観客を楽しませてくれる。
筒井真理子にとっての代表作とも言える作品が、
深田晃司監督により2作(『淵に立つ』『よこがお』)も生み出されたことを考えると、
女優にとって、自分を活かしてくれる監督との出会いは、
本当に幸運なことなんだと思わされる。
基子を演じた市川実日子。
ここ数年では、
毎日映画コンクール女優助演賞、日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞した
『シン・ゴジラ』(2016年)での尾頭ヒロミ役が強烈な印象として残っているが、
その後も、
『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年)
『三度目の殺人』(2017年)
『ナラタージュ』(2017年)
『DESTINY 鎌倉ものがたり』(2017年)
『羊の木』(2018年)
などで存在感のある演技をしている。
本作『よこがお』では、
ニートで介護福祉士を目指している基子という女性を演じており、
気の許せる唯一無二の存在として市子を密かに慕っていたが、
市子への思いが憧れ以上の感情へと変化していき、暴走する……という役柄であった。
筒井さんと対等にぶつかりあえる人じゃないといけないと思い、演技力だけでなく、ただそこにいる存在感だけでも筒井さんと対峙できる俳優を考えていったんですが、そういう意味で市川さんというのはベストなキャスティングだったと自負しています。彼女自身はびっくりするほどに陽気で朗らかな方なんですが、でも俳優としては、明るいだけじゃない、その裏にじとっとした暗さのような、何かものすごいものを抱えているんじゃないかと見る者に想像させるだけの奥行きもある。これもひとつの俳優さんとしてのセンスだと思います。(『キネマ旬報』2019年8月上旬号)
キャスティング理由を深田晃司監督はこう語っていたが、
複雑で難しい役を、市川実日子は、
ミステリアスに、かつ魅力的に演じていて秀逸であった。
美容師・米田和道を演じた池松壮亮。
今年(2019年)は、『宮本から君へ』での演技が強烈に印象に残っており、
「一日の王」映画賞の最優秀主演男優賞候補でもあるのだが、
本作での脇役としての渋い演技もなかなか好い。
設定的には、『だれかの木琴』での美容師役とそっくりで、
『だれかの木琴』では常盤貴子が演じる親海小夜子からストーカーされる役であったが、
本作『よこがお』でも、リサ(筒井真理子)から狙われる役で、
こういう役をやらせたら実に上手いなと思わせた。
『淵に立つ』のときは、「赤」という色が象徴的に使われており、
『淵に立つ』のレビューで、私は次のように記した。
八坂は、いつも白いワイシャツを着ている。
作業服も“白”だ。
だが、白い作業服を脱ぐと、赤のTシャツが現れる。
八坂の本性がむき出しになる時、
“赤”が現れるのだ。
八坂と章江が抱き合うシーンには赤い花(ツツジアオイ)が使われている。
それだけではなく、この映画には、“赤”が効果的に使用されているのだ。
このアイデアは、浅野忠信からのものであったらしい。
浅野さんの意見から「赤色」が八坂のテーマカラーになりました。映画では、八坂の不在時にも彼が家族を支配しているような演出として、家の中のあちこちに赤をちりばめました。
と、深田晃司監督が語るように、
蛍(篠川桃音)のランドセルの色、
山上孝司(太賀)のバッグの色、
孝司が蛍を描く時の絵の具の色、
蛍がオルガンの発表会で着るドレスの色、
章江が八坂の幻影を見た時に八坂が纏っているシャツも“赤”になっている。
家族の“罪と罰”を描いた映画で、
この“赤”は、“罪”の象徴として、“罰”の象徴として、
見る者の目を刺す。
「赤」は、『よこがお』でも、
“罪”の象徴として、“罰”の象徴として使用されている。
リサを名乗る市子の服、
和道(池松壮亮)を監視しているときにリサが持つ赤いリンゴ(あるいはトマト)、
車にかけられた赤いペンキなど、
見る者に鮮烈な印象を残す。
どこに「赤」が使われているを見つけながら鑑賞するのも、
深田晃司監督作品の楽しみのひとつかもしれない。
『淵に立つ』で使われた家族が寝ているシーンも、
『よこがお』でも似たシーンに使われている。
一見おだやかに見えるこのシーンには、
不穏なものが忍び寄っているのである。
「見えているものがすべてではない」
ということを悟らせてくれる傑作『よこがお』。
映画館で、ぜひぜひ。