一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『70歳から楽になる』(スマナサーラ長老) ……「今死ねるか」を問い続ける……

2024年08月05日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


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私は、若い頃からとても短気で、失敗談は数知れず。
どうにかしたい……と思って、2006年頃に、当時評判になっていた、
アルボムッレ・スマナサーラ著『怒らないこと』(サンガ新書)
という本を買って読んだ。


初期仏教長老が平明に説くブッダの教えは、心にスッと入ってきて、
その後、私は、あまり怒らなくなったように思う。
この本のお蔭なのか、
単に高齢者になって性格が丸くなっただけなのか、(笑)
仏様のような人格者になった私は、(爆)
今日まで比較的“幸せな日々”を送らせてもらっている。

先日、書店で、『怒らないこと』の著者(アルボムッレ・スマナサーラ)による、
『70歳から楽になる 幸福と自由が実る老い』(角川新書/2023 年3月刊)
という本を見つけた。


丁度70歳になったばかりだった私は、買い求め、読んでみた。
これが、すこぶる良かった。
で、レビューを書いてみたいと思った次第。

【アルボムッレ・スマナサーラ】
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。
1945年4月、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。
スリランカの国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとった後、
1980年に国費留学生として来日。
駒澤大学大学院博士課程を経て、
現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事。
全国で 講演やセミナーなども行い、ブッダの根本の教えを説き続けている。
また、朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務める。




【目次】

第1章 70歳から自由を目指す
 ◎人生には初心者マークが貼りついている
 ◎自分を活かすプログラムを組みましょう
 ◎「離れる」という新しいプログラム
 ◎過去のデータは捨てましょう
 ◎離れていくことは自由を得ること
 ◎死ぬことに成功する人、失敗する人
 ◎社会が必要とする人間
 ◎チューニングができている人、できない人
 ◎財産を守ることがあなたの仕事ではありません
 ◎人生の業績に困らなくていい
 ◎時計は進むもの。逆に回さない

第2章 楽しい老い、安穏な死
 ◎人生は老いるプログラム
 ◎病むことも楽しみましょう
 ◎止(や)められない病(やまい)
 ◎自分の総合監督になりましょう
 ◎あなたは見放されません
 ◎機械の調子に合わせて運転しましょう
 ◎自分がどこでどうなるかなんて管轄外
 ◎あなたの体は誰のもの?
 ◎配偶者との別れが来たら新しい生き方を
 ◎夫婦はお互いの死について話し合う

第3章 70歳からの「心を育てる仕事」
 ◎もっと怖い心のがん
 ◎心のがんの特効薬を知りましょう
 ◎「頑張る」が自分を苦しめる
 ◎不幸な夫婦は離婚しても不幸です
 ◎「自信がない」と認めよう
 ◎共依存は幸福の保証にならない
 ◎楽しい心を保つ絶対条件
 ◎心とは感じること
 ◎他者の尊厳を大切にできる年代

第4章 精神の進化
 ◎70代は好きに生きていいのです
 ◎公園で遊んでいる気分で生きましょう
 ◎好きなときに、好きなだけ眠りましょう
 ◎「もったいないから食べる」は悪
 ◎「毒付け」された食事から抜け出しましょう
 ◎「今死ねるか」を問い続ける
 ◎慈悲の気持ちを持つヒント
 ◎親子関係も日々新しく調整する
 ◎「我が子のために」から解放されてください
 ◎家族の中で浮いているさみしさを感じたら
 ◎完璧を目指してはいけません
 ◎進化が呼んだ退化に気づきましょう



第1章から第3章までも素晴らしいのだが、
特に第4章の内容が濃く、共感する部分が多かったので、
第4章の中から少し紹介しようと思う。

◎公園で遊んでいる気分で生きましょう

私は、人生の最後のほうは、公園で遊んでいるような気分で生活するのが一番いいと思っています。
公園は、市町村など公の機関が、税金を使ってきれいに整備してくれている場所であり、あなたの管轄ではありません。
その公園に行って、お弁当を食べたり、友だちとおしゃべりしたり、散歩したり、ベンチで昼寝したりして過ごし、好きな時間に帰ってこられます。
そのために、あなたがしなくてはならないのは、自分で出したゴミを持ち帰ることくらい。ほかのことは、全部、誰かがやってくれています。
もし、その公園があなたの持ち物だったら、どんなに大変でしょう。雑草は抜かなければならないわ、ベンチのメンテナンスもしなければならないわ、知らない人がどんどん入ってきて汚すわで、気持ちが休まることがないでしょう。
自分のものではない公園だからこそ、楽に使えるのです。

(中略)
考えてみれば、これまであなたが使ってきたものの多くは、あなたのものではなかったのです。出張で使った新幹線も、途中で食事したレストランも、あなたのものではありませんでした。
でも、それで便利に暮らせたでしょう。そして、新幹線もレストランも、あなたのものだったら最悪でしょう。
なににつけ自分で所有するのではなく、誰かが管理しているものを使わせていただくという生き方が楽なのですよ。
(149~151頁)


この言葉にはとても共感し、頷きながら読んだ。
以前(コロナ禍の2021年03月10日)、私は、
このブログで同じような主旨のことを述べている。

数年前から「ひとりキャンプ」がブームになっており、
芸人のヒロシや、バイきんぐ西村などが、
〈誰にも邪魔されないソロキャンプをしたい!〉
と、山を買ったことから、
一般人でも「山を買う」人が増えているようだ。
なんでも所有したがる(いかにも)日本人らしい発想だが、
前期高齢者の私は、断捨離をすでに終えていることもあって、
所有物を増やすことに興味はない。


自分の本棚は、市立図書館にあると思っているし、
わが家のホームシアターは、映画館だし、
わが家のDVD陳列棚は、TSUTAYAにあると思っているし、
わが家のリビングは、県立美術館だし、
わが家の庭は、天山、作礼山、八幡岳、鬼ノ鼻山だと思っている。


考え方次第で、1円もかけずに、
(実際は所有していなくても)無限に近いものを所有することができるのだ。
なので、山なんか買う必要はまったくない。
ひとつの山を深く知ることで、
その山に、自分だけの“秘密の場所”を見つけることができるからだ。
そこが誰かに知られたり、
その場所に自分が飽きたりすれば、
また別の“秘密の場所”を見つければいい。
そんな私の“秘密の場所”が天山には数箇所ある。
(全文はコチラから)

お金があると、人は、別荘やビルを買ったりして、
いろんなコレクションを揃えたりするが、
案外人の命は短く、すぐに(瀬戸内寂聴さん風に言えば)“定命”がやってきて、
楽しむ前にこれらを処分しなければならなくなったりする。

以前、このブログで、
22年間にわたり朝の情報番組『とくダネ!』でMCを続け、
朝の顔として活躍した小倉智昭さんのことについて触れたとき、
(当時、何億と稼いでいたであろう)小倉智昭さんが、自宅とは別にビルを借りて、
そこにこれまでコレクションしてきたものを大量に置いていたということ、


それは1フロア60畳の2フロアを占領するほどの量で、
本は2万冊、DVDや CDは3万点、その他カメラやオーディオ、ギターや絵画などもあり、規模は「小さなTSUTAYA」ほどもあった、と書いた。




だが、小倉智昭さんは、膀胱がんを患い、膀胱摘出手術、その後の抗がん剤治療などで、
三途の川を見るほどの体験をする。
そんな体験を経て、今後の人生について感じていることを語った『本音』(新潮社)という本で、それらの処分に困っていることや、
「映画のDVDとかCDとか封を切ってない、ビニールでパックされたまんまのやつとかあるんだよ。後でゆっくり見よう、聴こうと思ってとってあったもの。それをそのまま封を切らないで死んでしまうんじゃないかとかって最近思うよね」
と語っていることなどを紹介した。


こうして見てくると、
アルボムッレ・スマナサーラ氏が語る、
「公園で遊んでいる気分で生きましょう」
という言葉は説得力があり、納得させられるのである。



◎「今死ねるか」を問い続ける

普段から、「今死んでもいいか(Can I die right now)?」と自分に問いかける習慣を持ちましょう。
自分自身の監督として、今の心のまま死んで大丈夫かをチェックするのです。
「こんなに怒り狂った状態で、死の試合に出るのは良くないな」
「落ち込んだ気持ちでいるから、このまま死んだらまずい」
死という試合はいつ行われるかわからないのだから、監督としては心の状態をいつでも万全に調整していくことを考えるでしょう。
これは仏教的に、非常に素晴らしい精神訓練となります。
夫婦げんかをして、不快な言葉を投げつけたまま家を出るのは、帰宅すれば会えるのが当たり前だと思っているからです。そのときに仲直りすればいいと思っているからです。しかし、そんなことができる保証はどこにもありません。
子どもの家に遊びに行けば、帰り際に孫が「また来てね」と言ってくれるでしょう。でも、また行けるかどうかはわかりません。
そうしたことを考えないから、心残りが生じるのです。
家族だけでなく、友だちや近所の人など、怒ったり、不機嫌な態度をとったりしていたら、そのまま死ぬのは嫌ですね。
やっておくべき仕事があったのに、さぼって放置したまま死ぬのは嫌ですね。
でも、どんなに心残りがあって「死ねない」と思っても死ぬのです。
だから、心残りの原因はつくらないでおきましょう。
一日に数回、「今死ねるか」と自らに問いかけましょう。
そして、いつどんな形で死が訪れても、「あ、今死ぬのね。OKよ」と言ってこの世を去れるようにしましょう。
(165~166頁)


死は突然にやってくる。
そのときに、
〈夫(妻)にありがとうを言っておけばよかった……〉
〈子どもとけんかして仲直りできていない……〉
〈孫に別れの挨拶をしてから死にたい……〉
と心残りがあったとしたら、幸せな死に方とは言えない。
いつ、いかなるときに死が訪れても大丈夫なように、
一瞬一瞬を大切に、(その場その場で)礼を言うべきときには礼を言い、
毎日を“一期一会”の気持ちで丁寧に生きなくてはならないということだ。


これは先日もこのブログに書いたことだが、
私は、あらかじめある年齢を超えたら、
「もう十分に生きた」と満足する心づもりをしていて、
その設定が70歳だった。
今夏70歳になった私は、やりたいことはやってきたし、
「もう十分に生きた」と思う境地に至っている。
後は私の人生におけるアディショナルタイムなので、
心残りがないように、一日に数回、「今死ねるか」と自らに問いかけつつ、
本書のタイトルの如く『70歳から楽になる』ことを体現すべく(ていうか、今は本当に楽)
好きなことをして、自由に生きていきたいと思っている。

【蛇足】
今朝、NHK「あさイチ」を観ていたら、
現在61歳の(俳優の)松重豊さんがNHK「あさイチ」にVTR出演されていて、
「教えて先輩たち!」という企画の中で視聴者の悩み相談に答えられていたのだが、


そこで自分の人生観のようなものを披露されていて、
「私は60歳を過ぎたので、これからはボーナストラックのつもりで自由に生きていきたい」
というような意味のことを仰ってしたのだが、


私より設定年齢が10年も早いことに驚いた。(笑)
そして、「ボーナストラック」という言葉も、
(なんだか得した気分になれる)好い言葉だなと思った。
ネット検索してみると、コチラ↓でも同じようなことを語られていた。

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