一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『渇水』 ……原作(河林満の傑作「渇水」)と異なるラストの是非……

2023年06月17日 | 映画


※レビューの途中より映画の(および原作の)結末について触れています。原作を読んでいない方や、これから映画を見ようとしている方(で、白紙の状態で見たい方)は、映画鑑賞後にお読み下さい。


映画『渇水』の原作は、河林満の同名小説。

河林満(かわばやし・みつる)
1950年12月10日生まれ。福島県いわき市佐糠町出身。
東京都立川市・昭島市に育つ。都立立川高校定時制卒。
昭島郵便局集配課勤務を経て1973(昭和48年)から25年間立川市役所に勤務。
1998年3月、普通退職のあと文筆生活に入る。
中上健次の弟子。
1986年、「海からの光」で第9回吉野せい賞奨励賞。
1988年、「ある執行」第7回自治労文芸賞。
1990年、「渇水」第70回文學界新人賞。第103回芥川賞候補。
1991年、「塵芥のさなぎ」すばる1月号。「生き馬の眼を抜く市民」三田文学冬号。
1993年、「穀雨」文學界5月号。第109回芥川賞候補。
1994年、「署名の夏」うえいぶ。
1995年、「黒い水」文學界8月号。「クリスマスの中佐」すばる12月号。
1996年、「井村が育てたアサガオ」すばる7月号。
1997年、「眼薬」すばる6月号。
1998年、「坂」季刊文科7号。
1999年、「ある護岸」一冊の本1月号。「ためらい」女性自身2月号。「年譜」文學界7月号。
2008年1月19日、脳出血のため逝去。享年57歳。



私は、「渇水」が1990年5月に第70回文學界新人賞を受賞したときに、
掲載されていた『文學界』(1990年6月号)で初めて読んだ。
そして、(丸山健二の第23回文學界新人賞受賞作「夏の流れ」以来の)傑作だと思った。
応募総数1118作で、
最終候補作は以下の6作。

河林満「渇水」(受賞)
比嘉辰夫「猫の火」(佳作)
今井しゅくこ「パモナへ」
久家義之「斜めなくらいに愚か」
今野靖人「陽のあたる場所」
小嶋ゆたか「海から眺めると、そのザトウクジラは私たちの知人だと知れる」


このときの選考委員は、青野聰、池内紀、津島佑子、畑山博、宮本輝の5名で、
その選考委員のひとり、畑山博は、

新人賞の選考をしていての最大の醍醐味は、この「渇水」のようなみずみずしい秀作に極めて早い段階で触れ、その巣立ちの応援歌を歌えるということです。見渡すと周囲には、「一体この小説の主人公は何をやって食っているのか、誰をどう傷つけた過去があるのか、何から抑圧されているのか、長い人生のトンネルを、何を灯としてまさぐり歩いているのか」と怒鳴りつけてやりたくなるようながらくたばかりが多く陳列されています。そうした中で、久しぶりにきちんとした設定の中に、きちんとした人物像を浮き彫りした作品が出現しました。文句なし、「渇水」は歴代当選作の中のベスト10に入る作品です。(第70回文學界新人賞選評より)

とまで評しているし、
(選考委員の宮本輝の選評によれば)「満場一致」で決まったとか。
第103回芥川賞候補作にもなり、
〈芥川賞も受賞するのでは……〉
と個人的には期待したのだが、
候補作は以下の7作で、

辻原登「村の名前」(受賞)
佐伯一麦「ショート・サーキット」
奥泉光「滝」
清水邦夫「風鳥」
小川洋子「冷めない紅茶」
荻野アンナ「スペインの城」
河林満「渇水」


受賞したのは辻原登の「村の名前」だった。
この第103回芥川賞の選考委員は、(括弧内は当時の年齢)
大江健三郎(55歳)、三浦哲郎(59歳)、日野啓三(61歳)、丸谷才一(64歳)、古井由吉(52歳)、河野多恵子(64歳)、田久保英夫(62歳)、大庭みな子(59歳)、黒井千次(58歳)、吉行淳之介(66歳)の10名だったのであるが、
選評で河林満の「渇水」に言及したのは、
大江健三郎、日野啓三、河野多恵子の3名のみで、
私は少なからずガッカリした。
河野多恵子は選評で、

よい文章で、水と未納金と人間とを巧みな取り合わせで描いてゆく。成功作かと思いつつ読んだが、結末の小学生姉妹の〇〇で失望した。

と記していたが、
〈この結末が評価されなかった原因なのか……〉
と、驚いたことを憶えている。
何故なら、この結末こそが、私が河林満の「渇水」を評価した最大の要因であったからだ。

※ここから以降は、結末について触れています。原作を読んでいない方や、これから映画を見ようとしている方(で、白紙の状態で見たい方)は、以下のレビューは映画鑑賞後にお読み下さい。



河林満の「渇水」の結末に触れる前に、
小説のあらすじを紹介しておくと、

市役所の水道部に勤め、水道を止める「停水執行」を担当する岩切は、
3年間支払いが滞っている小出秀作の家で、秀作の娘・恵子と久美子姉妹に出会う。
小出の妻は不在、
秀作も長いあいだ家に戻っていなかった。
姉妹との交流を重ねていく岩切だったが、
停水執行の期限は刻々と迫ってきて……


という風に物語は進行し、
岩切たちが停水執行をした後に、バッドエンドを迎えるのである。
そう、河野多恵子の選評の「〇〇」の中に入る二文字は、「自殺」なのである。
河林満の「渇水」から少し引用してみる。

席につくと、朝の挨拶もそこそこにすぐに係長がたちあがってきた。岩切のそばへくると小声でいった。
「課長がよんでるよ」
そっちの席をみたが、課長の姿はなかった。視線をずらすと、いつも非常勤の職員がつかうおおきなテーブルに見知らぬ男と一緒にいた。雑談しているようにみえた。
「あれは?」
岩切は課長にきいた。
「警察の人らしいよ」
「警察⁈」
驚いて声をあげると、近くにいた誰かが、
「あのひと刑事さんなんですか?」
と、囁ききれないうわずった声でいった。それに気付いた課長がこっちをみた。
「岩切君!」
岩切は、面倒なことの予感のなかで、課長の前にたった。動悸がしてきて、足がすこしふるえた。
「まあ、すわって」
深く腰を落とし、それでいて上体をかまえるようにして、岩切は課長の斜めに坐った。目の前の男と、トライアングルの形で三人は向かい合った。これ以上の震えをおそれて、岩切は椅子の支柱に縛りつけるように足を組んだ。
「こちらはS署の警察のかただ」
「加東です」
身だしなみのさっぱりとした、温和な表情をうかべて、男はいった。四十二、三歳だろう。課長は、反対に気の重そうな顔をしていたが、
「先週の金曜日の、二十六日の停水に、御影町の小出秀作は入っていたかな」
「ええ。止めました」
「死んだんだよ」
「え?」
一瞬、小出秀作が交通事故にでもあったのかと、岩切は思った。
「ふたり女の子がいたんだね。十一歳と八歳の。その子たちが御影町からH市にかかる鉄橋の手前に踏切で、列車にはねられたんだ。下の子は即死。上の子は風圧でとばされて重体だそうだ。昨日の日曜のあさはやくのことだそうだ」

(中略)

「事故ではないんですか?」
岩切はようやくいった。課の職員のほとんどが、いつのまにか、岩切の背後にたって固唾をのんでいた。温度がもう高くなりはじめていた。
「運転手はブレーキをかけたがまにあわなかった、といっています。ブレーキをかけたとき、上の子はこちらにむかって寝返りをうったともいっていました。事故というより、これは自殺と考えられます」



この衝撃のラストに、私も躰が震えた。
このラストであったから、私の感情は揺さぶられたとも言える。
このラストなくして河林満の「渇水」はありえないのである。
第70回文學界新人賞の選考委員も、このラストを評価しての「満場一致」であったと思う。
だが第103回芥川賞では、
文壇の重鎮・河野多恵子の「失望した」の一言で論外となってしまったように感じた。
残念だと思った。
調べてみると、
河林満が「渇水」を書くヒントとなったのは、
マルグリット・デュラスが息子の友人を聞き手に口述したエッセイ集『愛と死、そして生活』(田中倫郎訳、河出書房新社)であった。
この本には48編のエッセイが収められているのだが、
河林満が図書館で偶然開いたページの見出しが「水道を止めた男」であったという。
私は、この『愛と死、そして生活』も所持しているのだが、


「水道を止めた男」は、フランス東部の村で起きた事件について語っている。
水道局の職員が、廃駅に住む貧しい一家のもとに水道を停止しに来る。
水が止まった日の夜、夫婦(妻には知能の遅れがある)は幼子二人を連れて、
T・G・V(フランスの新幹線)のレールに横たわりに行く……
邦訳では8ページほどの短い文章である。


この「水道を止めた男」に衝撃を受け、
河林満は「ある執行」という小説を書く。
水道を止められる家の主(あるじ)の視点からの作品で、
この「ある執行」は自治労文芸賞を受賞する。
「自分が世に出るにはこれを書くしかない」という思いから、
同じテーマで、今度は「止める側」の視点で全面的に書き直したのが「渇水」で、
一人称で書き始めたが難渋し、三人称で書いたという。
動物でも植物でもなく、寡黙でありながらマグマのように内に激しさを秘めた男……という主人公のイメージが、岩切という名前をもつ主人公となったとか。

この河林満の傑作「渇水」が映画化されると聞いたとき、
〈見たい!〉
と思った。
『凶悪』『孤狼の血』などを送り出してきた(私も高く評価している)白石和彌監督の初プロデュース作品というのも魅力であったし、(監督は高橋正弥)
〈白石和彌らしい“攻めた内容”になっているのではないか……〉
と、勝手に期待した。
だが、不安材料もあった。
主演がジャニーズ事務所所属の生田斗真であり、
配給がKADOKAWAであったことだ。
期待半分、不安半分で、公開初日(2023年6月2日)に映画館に駆けつけたのだった。



日照り続きの夏、
市の水道局に勤める岩切俊作(生田斗真)は、
同僚の木田(磯村勇斗)と共に、


来る日も来る日も水道料金を滞納している家庭や店舗を回り、
料金徴収および水道を停止する「停水執行」を行っていた。


市内に給水制限が発令される中、
貧しい家庭を訪問しては忌み嫌われる日々を送る俊作。


妻(尾野真千子)や子供との別居生活も長く続き、
心の渇きは強くなるばかりだった。


そんな折、業務中に、
育児放棄を受けて、二人きりで家に残された恵子(山﨑七海)と久美子(柚穂)の幼い姉妹に出会う。


父は蒸発、母(門脇麦)も帰って来ない。
困窮家庭にとってのライフラインである“水”を停めるか否か。
葛藤を抱えながらも岩切は規則に従い停水を執り行うが……




結論から言うと、ガッカリであった。
だから、公開初日(6月2日)に見たのに、
(当初は「レビューは書くまい」と思っていたので)レビューが今日になってしまったのだ。
何がダメだったかというと、やはり結末が原作と変えてあったからだ。
自殺を描かず、万人受けするヒューマンドラマに変貌させられていたのだ。
〈やはり白石和彌をもってしてもダメだったか……〉
という虚無感。
〈白石和彌なら河林満の真の思いを表現してくれると思っていたのに……〉
という、期待が裏切られたような虚脱感。
なので、見た当初はレビューを書く気にはなれなかった。
だが、友人、知人からは、映画『渇水』の感想をよく訊かれ、
否定的であるにしろ、ちゃんとレビューも書いておこうか……という気になった。
鑑賞後、2週間以上が経ち、やっと落ち着き、
少しは冷静に考えられるようになった。(笑)
「中盤までは良かった」
「磯村勇斗、門脇麦、尾野真千子、宮藤官九郎、大鶴義丹の演技も悪くなかった」
「子役の山﨑七海と柚穂の演技は素晴らしかった」
と、良い部分も思い出されるようになった。
で、こうして書いている次第。





序盤から中盤にかけては、原作の河林満の小説を上手く映像化していると思ったし、
この時点では、
〈傑作かも……〉
と思いながら見ていた。
主人公の岩切俊作を演じた生田斗真も悪くなかったが、


岩切の同僚の木田を演じた磯村勇斗が特に良かった。


ここ数年、
『今日から俺は!!劇場版』(2020年)
『ヤクザと家族 The Family』(2021年)
『前科者』(2022年)
『PLAN75』(2022年)
『さかなのこ』(2022年)
などの佳作、秀作、傑作で、磯村勇斗を論じてきたが、
本作『渇水』では、これまで演じてきた役とはまったく違った演技で魅せる。
淡々と「停水執行」という業務に向き合う岩切とは対照的に、
まだキャリアも浅い木田は、この「水道を止める」ということに対し、完全に割り切ることはできないでいる。
その木田を演じる磯村勇斗の繊細な演技が、
結果的に、岩切の心情や行動を、より目立たせ、浮き彫りにする。
物語は地味だが、華やかさのある生田斗真演じる主人公・岩切の横で、
しっかりとした確かな演技力と存在感で、
作品をより質の高いものにしている磯村勇斗の演技は、
「一日の王」映画賞の助演男優賞候補に名乗り出たと思った。
私など、むしろ、
〈磯村勇斗を主役にして、原作と同じ結末の、インディペンデンス映画であったなら……〉
と、夢想したほどであった。



岩切俊作(生田斗真)の妻・和美を演じた尾野真千子。


尾野真千子についても、ここ数年、
『ヤクザと家族 The Family』(2021年)
『茜色に焼かれる』(2021年)
『ハケンアニメ!』(2022年)
『サバカン SABAKAN』(2022年)
『千夜、一夜』(2022年)
などで、その演技を絶賛してきたが、
本作『渇水』でも新たな尾野真千子の演技を披露している。
岩切とは別居状態の妻を演じているのだが、
尾野真千子の静かな演技が、岩切が今、どんな家庭環境にいて、
どんな状況に陥っているのかを教えてくれる。


渇いた岩切俊作が、息子と共に実家に帰ってしまった妻、和美(尾野真千子)と、
ひまわり畑を訪れる(映画『ひまわり』のような)シーンがあるが、
本来、ひまわりのような存在である筈の和美が、どこか所在なさげで、
俊作とは違う方向を向いているのが、強く印象に残った。



姉妹の母親・小出有希望を演じた門脇麦。


門脇麦についても、ここ数年、
『花筐/HANAGATAMI』(2017年)
『サニー/32』(2018年)
『止められるか、俺たちを』(2018年)
『ここは退屈迎えに来て』(2018年)
『チワワちゃん』(2019年)
『サムライマラソン』(2019年)
『さよならくちびる』(2019年)
『あのこは貴族』(2021年)
などのレビューで熱く語ってきた。
好きな女優のひとりであるし、
(TVドラマも含め)出演作はよく見ている方だと思う。
本作『渇水』では、
娘たちの育児を放棄し、家を出て行く母親という(特に重要な)役に挑んでいるのだが、
夫が蒸発し、二人の姉妹を抱えて生計を立てようとするもうまくいかず、
幼い子どもたちを置いて家を出ていく母親を、門脇麦は、
いかにもな演技を避け、彼女ならではの母親像を構築する。


作中のキャラクターを「理解しきった」なんて思わないほうが、現場で突然生まれてくる感情を、掬(すく)い上げる余白が生まれる気がするんですよ。「ネグレクトしている女性」「真っ赤なネイルをして、真っ赤なリップを塗って、男性に会いにいく女性」とキャラクターづくりをしてしまうと、人間としての豊かさがなくなってしまう。本当の人間はもっと複雑で、いろんな面を持っているはずなのに。だから「このキャラクターは、こういう人ね」「このシーンは、こんなテンションね」と決めつけたくない。たとえば炎天下で、普通に「うわ、暑いなあ」と息苦しく思う瞬間とか、現場でリアルに生まれるものを大事にしながら、撮影の日々を過ごしていました。(「telling,」インタビューより)

と語っていたが、
ステレオタイプのキャラクターに陥りがちなこの役を、
門脇麦にしか演じえない高みにまで昇りつめさせていたのは見事の一言であった。



育児放棄を受けて、二人きりで家に残された恵子と久美子の幼い姉妹を演じた、
山﨑七海と柚穂にも、最大の拍手を贈りたい。


この時期の子供の成長は目を見張るばかりで、
舞台挨拶に現れた二人を見て、「別人か……」と思ったほど。
特に、山﨑七海の方は、磯村勇斗にエスコートされて登壇したときは、


〈大人か……〉
と思ったし、とても驚いた。


二人とも素敵な女優になっていくに違いない。



高橋正弥監督は、
岩井俊二監督作や宮藤官九郎監督作で助監督を務めてきた人で、
画作りもしっかりしており、将来性のある監督だと思う。
ただ今回は、プロデューサーや制作会社、配給会社の意向もあり、
いろんなことに忖度した結果がこうなったのだと思う。
映画の方のヒューマンドラマ風な結末に満足する観客も多くいるだろうし、
これはこれで良かったのかもしれない。


ただし、主人公の喫煙シーンが多すぎるは、どうかと思う。
新人監督は、喫煙シーンで心情を表現しようとするが、もう古すぎる。
いい加減、考えを改めた方がいいと思う。


いろいろ言ったが、
見る価値のある作品だと思うし、
鑑賞後に、原作の河林満の傑作「渇水」もぜひ読んでもらいたいと思う。
河林満は寡作な作家で、残した作品も少なく、57歳で亡くなっているが、
芥川賞候補に5度ノミネートされながら、受賞叶わず、41歳で自らの生涯を閉じた夭折の作家・佐藤泰志と同じく、今後、映画化される作品が出てくるかもしれない。
そのときは、河林満の志を大切にした映画にしてもらいたいと、切に願う。

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