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本書のタイトルを見たとき、
「なんとまあ、ネガティブ思考なタイトルだろう」
と思った。
だって、今日よりよい明日はない……だもんね。
なんだか将来性を否定したタイトルに思えたのだ。
若い人なら手に取らないかもしれない。
だが、若くない私は、思わず手に取ってしまった。
この「お先真っ暗」なタイトルに惹かれたのだ。(笑)
作者の思惑にまんまと引っ掛かってしまった気もするのだが……
もともと著者の玉村豊男の本はよく読んでいる。
知らない人もいると思うので、プロフィールを簡単に紹介する。
【玉村豊男】
1945年、東京生まれ。
東京大学仏文科卒業。
在学中にパリ大学言語学研究所に留学。
『パリ 旅の雑学ノート』『料理の四面体』を始め、精力的に執筆活動を続ける。
長野県東御市に『ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー』を開設。
2007年、箱根に『玉村豊男ライフアートミュージアム』開館。
ワイナリーオーナー、画家としても活躍中。
玉村豊男という人物の生き方に興味があったし、共感する部分も多かったので、新刊が出たら手に取るようにはしていた。
そこへ、このタイトルである。
読みたくなるではないか!
そもそも、本書のタイトルにもなっている「今日よりよい明日はない」という言葉は、どのようにして生まれたのか?
あるいはどのようにして
著者の耳に入ったのか?
そこに興味があった。
今から20年ほど前、著者がポルトガルに旅行した時のこと。
北部の古都ポルトの或るホテルに宿泊した。
そのホテルには小さなバーがあった。
そこには、英語はヘタだが、小才の利く人懐っこいバーテンダーがいた。
ポルトを飲みながら、その男とたわいもない話をする。
「……ところで、君はバーテンダーになって何年くらいなの?」
「いえ、私はバーテンダーというわけではないのです。バーには交替で手の空いた者が入りますから。ふだんはフロントにいます。このホテルで働きはじめたのは2年前です」
「いくつ?」
「21になりました」
「若いね」
「それほどでもありません」
「将来は、なにになりたいの?」
「将来? ……さあ、わかりません」
「若いんだから、夢があるでしょ」
「夢……ですか。とくにありません。結婚して、子供をもって、平穏に暮らせればそれでいいです」
「そういうもの?」
「ポルトガルには、今日よりよい明日はない、という言葉があります。毎日を満足して暮らせれば、それで十分だと思います」
このホテルマンの言葉に、著者は衝撃を受けたという。
「今日よりよい明日はない」
そんな言葉を、よりによって21歳の青年に教わるとは……
ポルトガルは、15世紀から16世紀にかけて世界の海を制覇した国。
アフリカではガーナに城塞を築いて早くから金や奴隷の交易をおこない、1498年にはバスコ・ダ・ガマによる喜望峰を経由してインド東岸に達する大航海によってアジア進出。
1500年にはブラジルを植民地化。
16世紀のポルトガルは、スペインと2国でヨーロッパ以外の世界を分割して覇権を唱えるほど、比類なき権勢を誇った国だった。
その後、ポルトガルとスペインは、イギリスやオランダなど新興海洋国の勃興によってしだいに力を失い、さらにポルトガルはスペインに併合されるなど凋落の一途をたどる。
世界を制覇して栄華を極めたあとは、緩やかな下り坂の歴史だったのだ。
ポルトガル語に、「サウダージ」という言葉がある。
普通「郷愁」と訳されるが、単なるノスタルジーではなく、失われたものへの切ない思い、取り戻せない過去への慕情、追い求めても得られない憧れのようなもの……といった複雑なニュアンスが籠められている。
今日よりよい明日を求めるから、人は思い煩う。
よりよい明日を、より豊かな暮らしを、という際限のない欲望が人を苦しめる。
その桎梏から解放された人々は、どんなに幸せなことだろう……
翻って私たちの生活を考えたとき、私たちは「すでに成熟した社会」にふさわしい生き方をしているといえるでしょうか……と著者は問いかける。
世界中を席捲している未曾有の経済不安の中で、どうしたら地に足のついた生活を送ることができるのか……モノやカネがそれほど動かなくても、それなりに豊かな生活の質を保つ方法はあるはず。
どこかで欲望の輪郭に線を引き、いまの暮らしを肯定して、これが自分のスタイルなのだと毅然として言うことはできないものだろうか……
今日よりよい明日はない。
この言葉は、決して未来を悲観せよということではない。
そうではなくて、いま目の前にある現実を楽しもうということなのだ。
栄華を極め、ゆるやかな衰退にある国の歴史……それを一人の人生に当てはめると、熟年世代と言えるかもしれない。
「今日がいちばん若い日」
という言葉があるが、熟年世代にとっては、いまの、この日この時こそ、これからの人生でいちばん若い日、若い時なのだ。
「今日よりよい明日はない」
という言葉も、同じ意味合いがある。
明日よりも今日、
いまという「時」を大事にしようということなのだ。
日々、若さも体力も失われていく。
今日を、そして明日を、毎日を目一杯楽しもう。
今日が終われば、明日が「今日」になる。
明後日になれば、明後日が「今日」なのだ。
「今日よりよい明日はない」とは、よく考えてみると、毎日が最高の日ということなのだ。
最初、なんとネガティブな考えだろうと思ったが、この言葉は究極のポジティブ思考なのではないかと思い直した。
今日よりよい明日はない、と思い定めることで、より人生を楽しんでいける気がした。