路上のソリスト
2009年/アメリカ
映画化するには早過ぎる
総合 0点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
私はこの作品を、例えばカーステン・シェリダン監督の『奇跡のシンフォニー』(2007年)のような感動的な作品だと思って観に行ったのだが、その結末の中途半端さにがっかりしてしまった。
結局この作品は何を描きたかったのだろうか? ロサンゼルス・タイムズの記者であるスティーヴ・ロペスと路上暮らしの天才音楽家であるナサニエル・エアーズの友情なのか、統合失調症患者の惨状なのか、ロサンゼルスの路上生活者たちの現状なのか、全てが最後まで解決されることなく終わってしまっている。例えば、ロペスとエアーズが2人きりでオーケストラの演奏を聴いた時のエアーズの感動している様子を画面いっぱいの色の変換で表現していたが、演出として余りにもベタな描写の仕方ではないだろうか? これではこの物語を書いているロペスの勝手な自己満足にしか映らない。
しかしこの中途半端さは仕方が無いことではある。何故なら2人の関係は現在進行形であり、これからまだ一波乱二波乱あるはずであり、その部分こそ感動的なはずなのだから。つまりこの物語は映画化するのが早すぎたのである。
夫婦で女子トイレ盗撮の疑い 川崎の教諭ら逮捕(朝日新聞) - goo ニュース
この話を聞いてほとんどの人はバカな夫婦の愚かな行動とせせら笑うのだと思う。
みのもんたも明らかにバカにしていたが、私が笑えない理由は先日放送された
『人志松本のすべらない話 ザ・ゴールデン』で次長課長の河本準一の話を聞いた
からかもしれない。簡単に言うと怪我で入院していた河本が久しぶりに家に帰った
夜に嫁と“夫婦の営み”をしようとして、布団で寝て待っていた河本が風呂上りの
バスローブを着て髪を下ろした嫁の姿を見て、どうしてもその嫁の姿形が“長州力”
にしか見えなくて完全にやる気を失ったという悲しい話である(勿論“消臭力”にも
見えない)。性癖というものは大抵歪んでいて綺麗なものではないが、見つかった時
は宝も同然であるという事は若い人たちと絶倫の人には理解できない事である。