MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『最後のマイウェイ』

2014-02-12 21:19:33 | goo映画レビュー

原題:『Cloclo』 英題:『My Way』
監督:フローラン=エミリオ・シリ
脚本:ジュリアン・ラプノー
撮影:ジョヴァンニ・フィオーレ・コルテラッチ
出演:ジェレミー・レニエ/ブノワ・マジメル/モニカ・スカッティーニ/サブリナ・セヴク
2012年/フランス

フランク・シナトラの「My Way」の「無関心」について

 伝記映画として出色の出来栄えだと思うのは、まとまりの良さだけではなく、例えば、自宅から出てくる主人公のクロード・フランソワが玄関で待ち構えている多くのファンたちに囲まれながら自家用車に乗って自分で運転し、近くにある事務所に着いて再びファンに取り囲まれながら、気分が悪くなった新入りのファンを介抱するために一緒に事務所に入るまでのシーンを、あるいは自宅から出てくるクロードが庭で催しているパーティーで妻や仲間たちに声をかけながら、再び別の入り口から自宅に戻ると何故かもう一人の息子が一人で遊んでいるシーンをワンカットで撮っているように、撮影にも工夫が見られるからである。
 厳格な父親のエメとギャンブル狂の母親のルチアに育てられたクロードが2人の要素を合わせ持つことが必要なショービジネスで頭角を現したのはごく自然な成り行きだったのかもしれない。既に亡くなっているエメにクロードが、フランク・シナトラが歌っている自分が作った曲を聴かせる幻想シーンは美しく、不慮の事故で亡くなったクロードの死をルチアにどのように知らせればいいのか戸惑う周囲の人たちの葛藤も涙を誘う。
 そのクロードの不慮の事故はクロードの、スタッフにも厳しく、酒にもドラッグにも手を出さない意外と真面目な性格が災いしたような印象を受けるのだが、結局、フランク・シナトラが自身の代表曲であるはずの「My Way」の作曲者に一度も会いに行こうとしなかったは、まさか夭逝するとは想像していなかったからだろうか?


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太宰治「走れメロス」の検証

2014-02-12 00:55:05 | Weblog

「大弦小弦」【沖縄タイムス】(沖縄タイムス) - goo ニュース

 村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」を論じたついでに、太宰治の「走れメロス」にも言及

しておきたい。理数教育研究所の自由研究コンクールで最優秀賞の一つに選ばれた

愛知県の中学2年生の男子の「メロスの全力を検証」はとても興味深い。文章中の時や

場所を表す記述から足取りをデータ化し、全行程をグラフに表し、その結果、往路は

時速3・9キロで、一般男性が歩く速さとほぼ一致することから「歩いていた」と推測し、

友のために死力を振り絞り「沈んでいく太陽の10倍も速く走った」とされるラストスパート

でも時速5・3キロで、フルマラソンを4時間半で走る場合の時速9キロと比べても

「遅すぎる」と結論付けている。学校では「走れメロス」は友情の尊さを学ぶ教材として

扱われているが、ラストにおいてメロスが素っ裸でいることからも分かるように、明らかに

太宰はふざけ半分で「走れメロス」を書いているはずで、だから今回の検証もようやく

自分の意図を読み取ったと太宰本人も思っているはずで、この検証で、歩いていないで

「走れメロス」というタイトルを付けた意図も明白になったと思う。大人のリテラシーは

低下しているが、子供のリテラシーが上がっていることが何より救いである。


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