埋(うずみ)橋前から5重6階の大天守を望む。何度見ても美しく、圧倒的な存在感だ。天守は石川数正とその意思を受け継いだ子の康長によって築かれ、完成は文禄3(1594)年頃と推定される。
東国に移った徳川家康を監視する城として鉄砲戦を考慮に入れた造りになっている。採用された漆黒の下見板は耐久性に優れる(※これに対して白漆喰は10年ほどしかもたない)。
軟弱な地盤に石垣が沈まないように筏地形(いかだじぎょう)という特殊な工法が用いられたが、後年土台支持柱が腐って天守が傾き、明治の大修理でコンクリートの基礎に替えられた。
城を後にして大名町通りに出る。旧第一勧業銀行松本支店(昭和12年竣工)は取り壊しを免れてホテルアルモニービアンの一部として利用されていた。