寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

小雨が降る中、忠海八幡神社に参拝する(その6)

2011年09月11日 | 
忠海八幡神社拝殿に手を合わせた時には既に雨は上がっていた。後方に回り本殿の造りなどを観察した私は思い出したかのように時計の針に目をやった。

忠海八幡神社の本殿を拝殿横から眺める

次の電車が到着するまで20分少々。呉線は本数が少なく乗り遅れると1時間足止めを食らう。とにかく急がなければならない。石段のてっぺんから眺める下界は熱気で霞んでいた。

境内から参道を見下ろす

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小雨が降る中、忠海八幡神社に参拝する(その5)

2011年09月11日 | 
木々に囲まれた境内には小さな祠がいくつかあるが、郷賢社(ごうけんしゃ)は独特の存在感を示していた。社の名前は旧忠海村と関係の深い賢人を合祀したという意味であろう。

郷賢社は浦宗勝(※1)、浅野長治(※2)、平賀晋民(※3)、木島晩翠(※4)、池田快堂(※5)、田窪藤平(※6)、山根与三兵衛(※7)の七名を祀る。

著者注
※1 小早川水軍の将で忠海賀儀山(城山)に築城した(跡地は大正公園)。

※2 備後三次支藩5万石の初代藩主で船入堀(内堀)を築調した。

※3 平賀中南(ちゅうなん)は江戸期の儒学者。宝暦の頃順勝寺で塾を開いた。ここで学んだのが頼春水である。

※4 7名の中では最も知名度が低い。そこで忠海八幡神社に問い合わせて資料を調べてもらい次のような回答を得た。祝詞の中のわずかな記述に木島は江戸末期(推定)に庄屋の息子として生まれたとある。(平野部の少ない呉線沿線の)山林を切り開いて棚田を造った人だと判明した。

※5 明治維新の志士・池田徳太郎のこと。

※6 伊予国波止浜出身の塩業者。田窪式製塩法を考案したことで有名。

※7 二窓出身の豪農でマニラ湾での漁業を開拓した。

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