寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

一茶の散歩道

2008年08月16日 | 

「一茶の散歩道を逆から回れば最後が下りになるので楽だよ」と地元の人に教えてもらっていた。

散歩道に設置された平和の鐘

平和の鐘を鳴らして山道を進む。木々や草花が発する爽やかな香りが心地よい。山歩きの楽しさの一つが森林浴だ。

信州柏原出身で湯田中温泉を愛した小林一茶。所々に彼の句碑が立っている。実際に音を出して読むと味わいが一層深くなる。

夕月や 大肌ぬいで かたつぶり

小林一茶の句碑

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平和の丘公園(山ノ内町)

2008年08月15日 | 

時折晴れ間が出て急に暑くなった。湯田中温泉の平和通りを進み、山ノ内町立東小学校の前を通過する。

公園に続く石段

石段を上って「平和の丘公園」に到着。高さ25mの世界平和観音を見上げて深呼吸した。左手が「一茶の散歩道」の入口となっている。

ブロンズ製の巨大な世界平和観音

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湯河原通りの飲み屋街

2008年08月14日 | 

急な石段を下り、山ノ内町民と軽い挨拶を交わす。星川温泉から県道342号線に出る。視界の先に暴れ川の異名を持つ「夜間瀬川」が流れる。

「栄橋」の袂付近まで歩き、湯河原通り有名店ガイド(地図)の前に立った。「湯河原」と「星川」を分けるこの通りは川と山に挟まれた窪地にある。

湯河原通り

古びた小料理屋やスナックが点在する一角で私は足を止めた。窓の下の扇子形の色ガラスに元「色町」の臭いを嗅ぎとったのである。

湯田中温泉に続く坂道で「庚申塔」を目にした。長野には江戸時代に作られた石碑や神社がたくさん残っている。

山ノ内町に残る庚申塔

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湯田中温泉に残る古い建物

2008年08月13日 | 

創業300年余りの「見崎屋」。湯田中温泉の旅館としては最古の木造建築だ。確かに趣きのある造りになっている。これに対して寛政年間創業の老舗「萬屋」はモダンな表玄関である。腹ごなしに崖下の町まで行ってみることにした。

近代的な装いの萬屋

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信州のそばを手繰る

2008年08月12日 | 

まずいことに小雨が振ってきた。雨宿りを兼ねてある旅館で道を尋ねることに。私の呼びかけに対して姿を現したのは意外にもお婆さんだった。

「こんにちは。この辺でそばを食べさせる旅館があると聞いたのですが…何処でしょう?」

「それはここですよ」

「よかった。まだ営業してますか」

「ええ、予約のお客さんの支度があるのでちょっと待ってもらうことになりますけど。どうぞ上がって下さい」

奥の部屋でお茶を飲みながらそばが出来上がるのを待つ。それから15分後、お婆さんが「ざる」を持ってきてくれた。見た目は大雑把な感じであるが、喉越しのよい上品なそばだった。

もり汁は甘さを極力抑えた左党好みの味。薬味は本山葵、白ねぎ、大根おろしの3種。本山葵がついているのは流石長野ならではだ。

後から焼きおむすびをサービスしてもらって非常にありがたかった。野口博士を1枚置いて外に出ると雨は止んでいた。

焼きおにぎりのサービスに感謝

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湯田中温泉かえで通り

2008年08月11日 | 

旧湯田中新地から駅まで引き返して「かえで通り」に入る。これが湯田中温泉のメインストリートである。

かえで通りのスナック街

小さなスナックの並びから土産物屋の様子を窺うが、ひっそりとしている。私は手を加え過ぎてレジャーランド化した温泉地にはまったく興味がない。程よい寂れ具合が気に入った。

湯宮神社に参拝して激しい空腹感をおぼえた。朝は軽く済ませていたからだ。近場で昼ご飯を食べさせてくれる所を探すことにした。

湯宮神社

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湯田中新地跡を歩く(後編)

2008年08月10日 | 

三社神社の隣に朝市広場が建っているが、その対面に湯田中新地の大門があった。旧遊廓通りの両脇で旅館やホテルが現在も営業を続けている。通りの正面入口からは緩やかな下りとなる。

遊廓建築として残っているのは一軒のみ。「清風荘」がかつての「内山楼」を改築したものだ。ここの主人は「遊廓は日本の一つの文化である」という考えで古い建物を保存し公開もしている。

新湯田中温泉の清風荘

遊廓を負の遺産として人々の記憶から抹消しようとする風潮が強い中、こういう人は貴重な存在である。世の中には必要悪というものが多々あることを忘れてはならない。

旧遊廓通りを逆方向から撮影

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湯田中新地跡を歩く(前編)

2008年08月09日 | 

新湯田中温泉の旅館街を示す矢印の方向に進み、古い神社の前に出た。説明板によると、これは三社神社で湯田中新地(遊廓)の守護神として明治二十三(1890)年に創建されたものらしい。

湯田中新地大門そばの三社神社

神社の横の小さな池から太く立派な「男根様」が勃起している。非常に生々しい描写に暫く見入ってしまった。男性のシンボルの窪みに縄を締めてあるところなどはユーモア感覚と受け取るべきなのだろうか。

三社神社の男根様

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湯田中駅に到着

2008年08月09日 | 

長野電鉄長野駅から終点の湯田中駅までは特急で約50分の旅。山間の鄙びた小さな町に降り立った。いやに蒸し暑い。

長野電鉄の湯田中駅

駅の真ん前がタクシー乗り場で、気だるそうな顔つきの運転手が出番を待っている。しかし、湯治客はそれに目もくれず目的地に散って行く。

昭和二(1927)年竣工の旧駅舎は現在「楓の湯」として利用されている。駅周辺には温泉地が多い。近場では湯田中、新湯田中、星川。そして少し足を延ばせば、穂波、安代、角間、渋、上林などがある。

楓の湯

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長野電鉄の特急ゆけむり

2008年08月08日 | 

長野電鉄長野駅はJR同駅の善光寺口から近い。バス乗り場6番そばの入口から地下に潜り、赤色の特急ゆけむりに乗った。

長く曲がりくねった千曲川に架かる「村山橋」。隣で新橋の建設が進んでいる。列車はゆっくりと橋を通過して須坂市に入る。

村山橋を通過中の特急ゆけむり

千曲川沿いの住民は時に荒れ狂う川の恐怖と闘いながら生きてきた。明治時代までは船による人や物資の運搬が重要であった。

船頭は命がけの仕事と引き換えに高額を手にしたと聞く。やがて鉄道や車の時代が到来し、船乗りの仕事は激減してゆくことになる。

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長野市遊廓跡を探訪する(後編)

2008年08月08日 | 

ひどく寂れた印象の東鶴賀町。ここに華やかな遊廓建築はほとんど残っていないが、東鶴賀公民館(見番・検疫所があった場所)の敷地の角に三神社がある。

東鶴賀町の三神社、奥が公民館

鶴賀新地の由来が記された碑


神社の隅に「新地」の由来が記された碑がひっそりと立っている。これが無かったら余所者はまず遊廓跡とは気付かないだろう。周辺をぶらつき漸く往時の木造建築を発見した。

中央病院のすぐ近くに残る旧妓楼

西鶴賀町の長野中央病院斜向かいにある傷みの激しい妓楼。その先の街灯を見て驚いた。何と鶴が電球をくわえた格好になっているのだ。

旧妓楼(左)と洒落た街灯(右)

「元遊里らしく凝った作りだな」としきりに感心し、疲れが吹き飛んだ。駅に向かう私をタクシーが猛スピードで追い抜いて行った。運転手の畜生面を見て苦笑した。帽子を被ったおっさんが堅気でないことを悟ったからである。

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長野市遊廓跡を探訪する(前編)

2008年08月07日 | 

イトーヨーカドー長野店の東方に、かつて遊里があった。一万坪の敷地を板塀で囲ったと文献にはある。善光寺参りを口実にして悪所通いする者が多かったとか。蜜を吸いに来る虫はいつの時代も絶えないのである。

お上の許可が出て明治十一(1878)年、権堂の水茶屋が東鶴賀町に移転。長野市遊廓(鶴賀新地)が誕生し、梅毒病院を設置する。

西鶴賀町の古い家

西鶴賀町から東鶴賀町へと名が変わる辺りが「長野市遊廓」跡にあたる。両町には遊廓の名残とも言える「連れ込み宿」や「旅館」が集中している。遊廓に向かう、今では人通りの少ない細い道はある交差点を境に太くなる(大門があった場所)

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長野市の悪所

2008年08月07日 | 

街の良い面を集中的に見たとしても全体像を理解することは決してできない。また悪所のみを興味本位で覗き見るのは間抜けであるし、そこで生まれ育った人に極めて失礼である。両面を見た上で考察し独自の言葉で語るべきだろう。

表の顔の善光寺参道に対して「裏町通り」とでも言うべき悪所が存在する。細い路地が入り組んだ、日陰の多い鶴賀田町。

怪しげな風俗店やスナックが密集するエリアで非合法商売の臭いがプンプンしている。鶴賀権堂町と並んでガラの悪い界隈だ。Tシャツから派手な彫り物を露出させた与太者とすれ違い、静かな歓楽街を出た。

鶴賀田町の飲み屋

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善光寺本堂に参拝

2008年08月06日 | 

寛永三(1750)年建立の山門は平成の大修理を経て特別に11月30日まで拝観が認められている。下から見上げると随分と大きい。

遠くとも一度は詣れ善光寺
救け給うぞ弥陀の誓願

国宝の本堂


現在の善光寺本堂は宝永四(1707)年に再建されたものである(国宝指定)。本堂正面から外陣に入る。お賽銭をして「びんずる尊者(撫仏)」に触り、見知らぬ人と談笑した。

仏は大勢の人に撫で回されてテカテカに光っていた。授与品所で交通安全の御護りを買い寺を後にした。

参拝はここから

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善光寺仲見世通りの賑わい

2008年08月06日 | 

仁王門をくぐり頑丈な石畳が敷き詰められた仲見世通りに入る。小さな土産物屋が軒を並べしのぎを削っている。私は人込みから脇に抜け出した。

仲見世通りの土産物屋

右手の奥に六地蔵とぬれ仏(延命地蔵)が見えた。六地蔵とはあの世の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)で苦しむ者を救う各仏のことである。

「煩悩の世界が死後まで続いてはたまらんな」と呟き、重要文化財の山門に向かった。

ぬれ仏と六地蔵

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