まずいことに小雨が振ってきた。雨宿りを兼ねてある旅館で道を尋ねることに。私の呼びかけに対して姿を現したのは意外にもお婆さんだった。
「こんにちは。この辺でそばを食べさせる旅館があると聞いたのですが…何処でしょう?」
「それはここですよ」
「よかった。まだ営業してますか」
「ええ、予約のお客さんの支度があるのでちょっと待ってもらうことになりますけど。どうぞ上がって下さい」
奥の部屋でお茶を飲みながらそばが出来上がるのを待つ。それから15分後、お婆さんが「ざる」を持ってきてくれた。見た目は大雑把な感じであるが、喉越しのよい上品なそばだった。
もり汁は甘さを極力抑えた左党好みの味。薬味は本山葵、白ねぎ、大根おろしの3種。本山葵がついているのは流石長野ならではだ。
後から焼きおむすびをサービスしてもらって非常にありがたかった。野口博士を1枚置いて外に出ると雨は止んでいた。
ひどく寂れた印象の東鶴賀町。ここに華やかな遊廓建築はほとんど残っていないが、東鶴賀公民館(見番・検疫所があった場所)の敷地の角に三神社がある。
神社の隅に「新地」の由来が記された碑がひっそりと立っている。これが無かったら余所者はまず遊廓跡とは気付かないだろう。周辺をぶらつき漸く往時の木造建築を発見した。
西鶴賀町の長野中央病院斜向かいにある傷みの激しい妓楼。その先の街灯を見て驚いた。何と鶴が電球をくわえた格好になっているのだ。
「元遊里らしく凝った作りだな」としきりに感心し、疲れが吹き飛んだ。駅に向かう私をタクシーが猛スピードで追い抜いて行った。運転手の畜生面を見て苦笑した。帽子を被ったおっさんが堅気でないことを悟ったからである。