THE FOURTH PARTY

チョイ毒エッセイのようなもの。コメント欄でのやりとりはしません。用事がある人のみ書き込んでくだされ。

2008-02-11 19:45:36 | チョイ毒エッセイのようなもの

俺の体内成分の大部分を占めているであろう物質について、特に書いたこと無かったですな。チョコチョコと触れる事はあったが・・・。

世の中には二種類の人間がいる。
酒を飲む奴、飲まない奴。

俺は前者である。
もちろん二種類の間には「飲み会では飲むが、普段は自分からは飲まない奴」とか「ほとんど飲まない奴」といった中間的な存在もアリ。「酒に飲まれる奴」ってのもいるか・・・。

俺が人から良く言われるのが、「いつも飲んでいるイメージがある」って事。オイオイ、ホントにか。
まあ確かに真夏なんかは昼間っからビール飲みながら仕事してたりするからなあ。

こんな俺だが、実は元々はほとんど飲まなかったのだ。

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俺の亡くなった親父は、かなり酒癖の悪い人であった。
俺は小さい頃からその失態を目の当たりにしており、酔った父親が非常に嫌いだった。
小学生の頃はそれほど気にしなかったのだが、中学生の頃にはそれが完全に憎悪に変わっていた。
あまり家には居らず、たまに見ればいつも酒臭い。趣味は全く無く、休日に家に居たとしてもテレビの前で酒を飲むのみ。
外で飲んでくるのはまだ良いのだが、正月や盆など、親戚の集まりの席で飲むと、それをマトモに見る事になるので特にイヤだった。
親戚の叔母さんイコール親父に酒を飲ませる人、という図式が俺の頭の中にできてしまい、親戚の人たち全員が嫌いになってしまったのだ。

そんな俺も友人たちとこっそりと酒を飲むトシゴロになった(いけませんよ)。
この頃は完全に興味本位だったなあ。
んで、遂に俺自身決定的な大失敗をしてしまう事に・・・。内容はここには書けません(爆)。

元々それほど酒に強い体質では無い事もあって、その後はほとんど飲まなくなってしまった。飲み会等で最初のコップ半分位は飲むのだが、それ以上は飲まなかった・・・イヤ、飲めなかったのだ。

最初に勤めた看板屋の社長が、これまた酒の好きな人であった。何度かだらしの無い場面に遭遇した事はあったが、基本的には楽しい飲み方をする人であった。この頃社内には派閥があり、俺は社長のセコンドに付く事となった。結果として社長と飲み歩く事が多くなった。実際コレが彼の営業スタイルでもあったのだが・・・。
最初の内はあまり飲めなかったのだが、時が経つにつれ、ビールを「旨い」と感じる事が多くなってきた。で、遂に家に買い置きするようになってしまった。それでも最初は一日一本。それが徐々に増え、真夏だと3本程度飲むようになった。

当時俺は25歳くらい、社長は40歳チョイのオッサン。ウブだった俺は(笑)様々な世界を知る事になる。
今でも印象的なのは、社長と二人で地元某一流ホテルで日曜日に仕事をし、作業服のまま隣の店で真昼間からビールを飲み始めた事。さらに隣がカラオケBOXで、酔っ払ったままなだれ込むように突入。社長が「イヤ待て。男二人では面白くない。」と妙な事を言い出す。作業服のまま入口で待ち構え、二人組みの女の子が来たら声をかけようというのだ。
当然俺はモーレツに反対。が無常にも女の子二人連れの客はその後1分も経たないウチに来てしまった。
他人のフリをしようとする俺を尻目に、全く普通に声をかけるオッサン。オイオイ・・・。※軽いカンジではなく、かなり神妙な面持ちで声をかけていたw
が・・・! なんと、ナンパ成功(爆)。しかも二人ともかなり可愛かったと記憶している。
社長はバブリーな人で、酒の席での金の使いっぷりは豪快そのもの。当然ここでも飲食代やカラオケ代は全て社長持ち。打ち解けてから話してみると、女の子たちは「一瞬エッと思ったけど、特に抵抗無かった」との事。恐るべし、I社長。
別れ際に社長が俺を指し、「彼は女の子に声をかけるのは嫌がったんだよ」と。そして、女の子二人に名刺を渡せという(笑)。正に営業スタイルそのもの(笑)。この場では俺を売ってやがる。

俺は終始その場から逃げたいばかりだったのだが、実は後日、彼女たちの一人から電話が掛かってきた。残念ながらこの当時はまだ携帯が一般的ではなかった。当然社長は持っていたが・・・。
掛かってきたのは会社の電話。上記の派閥の問題のある頃だったので、その電話を取った事務員さん(対極の派閥)曰く「○○さんて人から電話がありましたが、不在ですと言っておきました」・・・と。
なので別にロマンスはございませんでしたよ。

さてさて、どういう運命のいたずらか、それから数年後、多大なる恩を戴いたI社長は俺が結婚直後に亡くなってしまった。
で、お客さんに紹介されて就職する事となった別の看板屋。
ここの会社がまた非常に酒にだらしない所であった。何せ夕方五時になるとどんな状態であれ、酒を飲み始める。仕事が忙しかろうが、作業中であろうが、出先であろうが・・・閉口したのは運転中であっても飲む事だ。四斗樽空けても平気な人もいるので飲酒・酒気帯びの線引きをするのは難しいが、飲みながら運転するってのは言語道断だ。
職人の世界は「酒」という部分でみても独特で、昔は現場に一升瓶持ち込んで仕事していたらしい。今でも現場帰りの1BOXの後部座席では、鮨詰めの職人がチーカマ片手にビールかワンカップを煽っている。俺も飲みながら仕事するように教えられたし(爆)、昼の食事の時にビールを飲むなんてのも珍しくなかった。
先の会社の社長にキツく注意した所、少なくとも俺の前では運転中に飲むのはやめたが(おかげでそれ以来、いまだに仲があまり良くない)、やはりだらしなく飲む人達に囲まれていたせいで俺自身の飲む酒の量も増えてしまった。

この頃までは完全にビール党(発泡酒可)であり、飲むのは夏が基本。冬は寝酒程度に飲むくらいだったのだが、遂にそれが打ち砕かれる時が来た。
そう、日本酒である。

ビールの最大の欠点は、冷えてないと飲めない所である。※一部例外を除く
冬は寒いので、あまりビールが進まない。そして冷蔵庫になければ諦める事も多い。
だが、日本酒はそのまま飲めるのである。
しばらくして今度は日本酒の欠点に気が付いた。次の日に臭いが残るのである。コレはイカン、と焼酎にスイッチ。現在は芋7割、麦3割程度の割合で飲んでいる。ちなみに紙パックの焼酎は、空容器が嵩張らないというメリットも大きい。
現在お気に入りの酒は、「芋の舞」(CGC)、「MDゴールデンドライ」(サントリー)。少し贅沢できるならば「ザ・プレミアム・モルツ」(サントリー)。別にあらゆる酒を飲み比べた結果という訳ではなくて、身近な店で適価にて普通に入手できる事が条件だ。町内会リスペクトな某有名大分麦焼酎は(何のことでしょう)、紙パックが無いので惜しくもランク外。
ワインは基本的に受け付けないみたいだ。ならば何故にそんなネーミングなのか?・・・という事については(さて何のことでしょう)、疑問に感じた方は今度直接聞いてください。
ツマミはあまり食べない。いや、正確には口にするが、食べ出すと食べるばかりとなり、飲み出すと飲むばかりとなってしまうのだ。

酒の量が増えたのは様々な理由があるが、最大の理由は禁煙した事かと思っている。まあ禁煙した事そのものは後悔して無いが、元々喫煙マナーには気をつけていた俺にとっては、少なくとも禁煙した事によって目に見えるメリットは現在の所あまり感じられない。ここまで酒が増えるならば、タバコの方が良いのではとすら思えてしまう。

気をつけているのは、楽しい酒を飲む事。人に迷惑を掛けない事。
まあそれでも、年に数度は爆裂な飲み方をしたいものである。

いまさらではあるが、飲んだくれの我が父とI社長のご冥福をお祈りいたします。俺ぁボチボチやってまっせ。あの世じゃあんまり飲みなさんなよ。

コメント (2)
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