社長亡き後は如何せん俺と会社との絆は希薄で、事あるごとに権限の無さを痛感する事となった。
というか、既に不渡りを出した後なので、俺が要らない事をしてトラブったら、残った社長の家族に対して責任問題になってしまう。必要以上に手を出すわけにはいかない。
実はこの時点で俺は役員だったのだが、俺は「このまま退職したら、俺はただの人だな~」と、漠然と考えていた。
いずれにしても近いうちに退職する事を心に決めていた俺は、その後でどうするのか・・・という事に頭を悩ませる。
ほとんどの顧客は俺が担当していた状態とはいえ、ここでお客さんを引っ提げて独立などしてしまうと、俺という人間はI社長を踏み台にしてしまう事になる。
そんな時。
お世話になっていた会社のK社長から電話があった。
「話があるから、今度の土曜日にウチに遊びにきなさい」。
このK社長は、I社長自身が若い頃から深い付き合いをしてきた人で、I社長も「この人だけは裏切れない」と、いつも言っていた。(ちなみに俺は現在もお世話になっている)
言われた日に顔を出すと、近所の喫茶店に連れて行かれた。
「何で死んだんだ」。
やっぱり聞かれると思った・・・。
「10年間言わないと心に決めたので、言えません。」
K社長は一瞬意外そうな顔をしたような気がするが、すぐに穏やかな表情に戻り、
「フッ、そうか。まあいいけど。」
その後は他愛の無い会話。そんな中で、「俺が知らないところで何かの問題が起きている可能性」を指摘していたな。結局それが本当の事となったのだが・・・。
「独立するのか?」
「いえ、思案中です」
「もう一件、1年くらい他の看板屋に行くといい」
結局俺は、この一言で独立するのを止め、もう一件他の看板屋に就職する事に決めた。何と単純な、と思われるかもしれないが、K社長はそれくらいのオーラを持った方なのである。
俺は自分としては、キッチリと引継ぎを済ませてから9月一杯で退職すると決めていたのだが、K社長が言ったとおり色々な問題が浮き彫りとなり、急遽7月末での退職となった。
たまたま別のお客さんに紹介されて他の看板屋に就職する事となったが、この会社が非常にチャランポランな会社であった。俺はかなり我慢しながら働き、この頃から道具をせっせと集めはじめた。
とはいえ、ここの会社にも非常に世話になった。俺は以前からのお客さんをフォローしながらも独立の準備をし、独立して暫くもベッタリと頼りきっていた状態だ。
しかも独立時にはココの会社のお客さんの一部も引き継ぐ事となった。
この10年間、俺は誰よりも仕事をしてきた。年間で3日しか休まなかった時もあったし、8日連続で完徹した時もあった。
俺はずっとプレッシャーを感じながら仕事をしてきた。心の中にはいつでも、I社長や二件目の看板屋を踏み台にしたという負い目があるのだ。そしてI社長がこの世から居なくなる、その引き金を引いたという負い目ももっている。
だからこそ逆に、俺はへし折れる訳にはいかない。
技術的な面では既にI社長やその会社を超えたと自負しているが、会社のレベルとしてはまだまだ足元にも及ばない。
I社長は良く言っていた。「この会社を永遠のものにしたい」・・・と。
I社長のその夢は、残念ながら儚く消え去ってしまったが、俺はこの10年間、その言葉を意識して仕事してきた。
「会社の輪を乱すヤツ」とまで言われた俺が、あの会社を最も色濃く受け継いだのである。あの会社を出て独立した人は何人もいるのに、である。
I社長は人から「変わり者」と呼ばれていた。加えて末期の事件によって、さらに評判を落としてしまった。
しかし俺は人に経歴を訊かれると、胸を張ってこう答える。
「○○○○(I社長の会社)出身です」、と。
あの会社とI社長の名前を、栄光のものにしたい。
10年間の封印が解けた俺。
その間に時代も変化したし、俺の置かれた環境も変わった。
まあ、今後も歩調を緩める事はしないつもりだが、色々な意味で発想の転換をする時期は、来た。
おわり