食草園としてチョウの幼虫の食樹や食草を集めた一角は、名前負けしてさほど幼虫の姿を見るのは稀である。それでもめげずに維持管理するのは「爺児の一分」に他ならず、「武士は喰わねど高楊枝」の類だ。
「待った甲斐があったわい」と思わずニタリ笑子となったこの日だった。まずその1、「キハダにアゲハの幼虫が来た」。居たのでなく来たのである。貴重な、いいえ貴蝶な1号様である。
いやあ、まったく美しい。頭部だけが光り輝いて小生の様であった。写真を見ても分かるけれど光線の加減では無い。直射光は当たっていない。しみじみと眺めていたらあのスーパーボランテア尾畠氏を連想してしまった。
それはともかく種を特定するに頭部の鉢巻も大事な要点だという事くらいは承知だが、この際、種の判別は要らない「アゲハ」で問題なし。
気分は「アゲアゲハーッ」なのだから水は注さない。勝手にミヤマカラスアゲハにした。
※Sさんから「カラスアゲハです」との指摘を頂いた。頭部の黄色の鉢巻が一周すればミヤマで、眼状紋あたりで終わればカラスとの判定。小生は黄色も白も区別せず、一周しているかどうかで判断して失敗。予断や思い込みは失敗の元である。ちなみにミヤマはフイールドでは希種。
その2はアワブキの葉を葉巻状にしてその中に入るはずの幼虫である。アオバセセリの幼虫だと「いいなあ!」と期待はしているが剥く訳にはいかず、筒を覗いても確認は出来なかった。
数年前にも幼虫が居た事があったが、その時は綺麗な幼虫を垣間見ている。今回はそれと確認できないまでも、手の届かない高所に葉巻状の巣が6個ほど数えられる。今までにない多産なので、未確認であっても、これは嬉しい。
ただ少々細巻きなのが怪しい感じがするが、ここは好意的希望的判断でよい。誤認や誤解、勝手解釈こじつけ断定であっても個人内差の「うしし、おほほ」の世界だから全ては社会的許容範囲だ。
このような場合でも、小生だって蝶の様に舞う気分になるが、実際は腸が出て縫う羽目になったから翅を得るのは無理だと分かっている。「脱蝶です」という御宣託があって「舞う」から脱して縫うのが「有り」となってはアリの様に動く運命なのである。
この日の作業は三日月池のスゲ抜きで全身泥だらけ、スゲー疲れた。すげー喜ばせて泥だらけ、人生とはスゲないものだがニタリ笑子はたまにはやって来る…。
「待った甲斐があったわい」と思わずニタリ笑子となったこの日だった。まずその1、「キハダにアゲハの幼虫が来た」。居たのでなく来たのである。貴重な、いいえ貴蝶な1号様である。
いやあ、まったく美しい。頭部だけが光り輝いて小生の様であった。写真を見ても分かるけれど光線の加減では無い。直射光は当たっていない。しみじみと眺めていたらあのスーパーボランテア尾畠氏を連想してしまった。
それはともかく種を特定するに頭部の鉢巻も大事な要点だという事くらいは承知だが、この際、種の判別は要らない「アゲハ」で問題なし。
気分は「アゲアゲハーッ」なのだから水は注さない。勝手にミヤマカラスアゲハにした。
※Sさんから「カラスアゲハです」との指摘を頂いた。頭部の黄色の鉢巻が一周すればミヤマで、眼状紋あたりで終わればカラスとの判定。小生は黄色も白も区別せず、一周しているかどうかで判断して失敗。予断や思い込みは失敗の元である。ちなみにミヤマはフイールドでは希種。
その2はアワブキの葉を葉巻状にしてその中に入るはずの幼虫である。アオバセセリの幼虫だと「いいなあ!」と期待はしているが剥く訳にはいかず、筒を覗いても確認は出来なかった。
数年前にも幼虫が居た事があったが、その時は綺麗な幼虫を垣間見ている。今回はそれと確認できないまでも、手の届かない高所に葉巻状の巣が6個ほど数えられる。今までにない多産なので、未確認であっても、これは嬉しい。
ただ少々細巻きなのが怪しい感じがするが、ここは好意的希望的判断でよい。誤認や誤解、勝手解釈こじつけ断定であっても個人内差の「うしし、おほほ」の世界だから全ては社会的許容範囲だ。
このような場合でも、小生だって蝶の様に舞う気分になるが、実際は腸が出て縫う羽目になったから翅を得るのは無理だと分かっている。「脱蝶です」という御宣託があって「舞う」から脱して縫うのが「有り」となってはアリの様に動く運命なのである。
この日の作業は三日月池のスゲ抜きで全身泥だらけ、スゲー疲れた。すげー喜ばせて泥だらけ、人生とはスゲないものだがニタリ笑子はたまにはやって来る…。