トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

水は天からの贈り物、いいえ、点からの送り物

2019-11-09 | 感じるままの回り道
 ➡  泥土で止水 ➡  水が戻った
 仮の手当てなのだが取水堰として設えた梁材に浚渫土をスコップで被せ漏水止めにした。これで漏水が止まりトンボ池に水が戻った。池の底が乾燥する前に気が付いて良かったと思うしかないのだが、粘土で固めても急な出水があればまた流出するのは目に見えている。「水よ水よ きれいな水よ・・・」なんて合唱曲があったような気がするが、何分少年期の頃の記憶なので正真正銘、修正申告しないでも追徴課税は発生しない。先日、だけでなくおおむね毎回「小人は必ず飾る」ものだと今更ながら実感したのだが、よくもイケシャアシャアと答えるものだと放映を眺めて感心した。

 わが身を振り返れば「池ジャアジャア」であるし面の皮と同じに漏水の備えは薄い。心掛けるのは「送水は必ず止まる」で、まして水域の命運はたかだか毎分20リットル程度の送水に託されている。吐水口での水は冷涼で夏場には遊びに来る母子もいるけれど、その下流域に存在する環境こそが水を送り続ける手当の動機に他ならない。いわば小生の税務署も感知できない人知れずの財産みたいなものだろう。
 隣り沢の中では点ほどの取水升につながれた50φ送水管の送水に委ねられた数知れない生命体の存在こそが隠れた趣味でもある。水遊び、ままごと等々、表現はあるけれど本質は爺事なので一代限りの蜃気楼に近い。泣く人はおらずとも殉死せざるを得ない生命体は数えきれないほどいる我が高齢期なのだった。老骨に鞭打つしかない自転車操業の水商売である。

「もっと光を」スミレの群生地

2019-11-09 | 今日は真面目に
 尾根の突端部、アズマネザサの藪を刈り払い低草地に仕立てた後、タチツボスミレの群落が出現した。知られるに従い掘り取る人や踏み付け被害で衰退し始めて堪忍袋の緒が切れ刈り払いを疎遠にしたら訪問者が消えた。当然、スミレの群落も消失したのだった。
 その後、低草地を復活させて突端部の一部に群落とは言えないまでも株数を見る場所が出来たのだった。そこで適期刈り払いだけは忘れないように手入れを怠らずに来たのだけれどコナラの枝と葛のツルが繋がり日陰を作ってしまった。このままでは来春の成長開花に障害となるからコナラの大枝を落とした。斜面の上の横枝だし樹上作業も不可能で、結局は下から高枝切りで落とすことになった。
 これが結構苦しい作業で呼吸は上がるし、度々手を休めての作業の末に切り離しに成功した。

 落ちた場所は斜面に密生しているネザサの上で、引き上げての裁断処理は難しい。手が届く距離だけチェーンソーで切り取って残りは放置する。とはいえ息が上がった後なので作業を続ける意気も意気地も失って早めの退散。明日にまわしても支障は無いのだった。ベストセラーにもあった「頑張らない」…。
 翌日に落とした枝の処理をした。日当たり良好は一目瞭然、その場所に立てば眼下の駐車場の様子も見て取れる。斜面のネザサの上に落ちた枝の重みでネザサが寝た事に由る視界拡大である。思わぬ拾い物・・・。

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