トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

イソヒヨドリの相聞歌

2020-07-07 | 感じるままの回り道
 雨の中、家の近くで聞きなれないさえずりが朝から聞こえる。何鳥かもわからず放っていたら庭の縁台に降りた影に気が付いた。そこで盛んに鳴いてて、今度はもう一匹がタイルに降りたのだ。全体に丸い体型ではイソヒヨドリとは気が付かなかった。
 線状降水帯による被害が甚だしいがイソヒヨドリにとっては全く関係ないようで雨の庭で「自戦場のアリア」の最中だ。そのさえずりはオスが屋根の天辺でさえずるメロディーとは全く異なる、やはり相聞歌ならではの華があった。びっくりしたことはメスもさえずっているのだった。さしずめ「お返事」なのだろう。カーテン越しに盗み見しながら、おもわず「へーっ」てなもんや三度笠…。
 映画「草を刈る娘」で小百合ちゃんと浜田なんとやらだったか、歌の掛け合いをしながらの刈り草場面を思い出した。平安のみぎり、和歌を文として交し合っていたのは本能の昇華そのものだったのだろうが、昨今のラインなどのSNSには情緒や知性の片鱗も無い。「早い・易い・便利」なのだろうがネット情報に同じく泡沫に近い。

 それはともかく、雨脚を見たくてカーテンを少し開けてあった間から抜き足差し足、覗くとデスプレイの真っ最中だった。こんな場面は鳩とカワセミしか見ていないし、同じオスでもオスプレイは見たくもない。
 オスは濡れた羽毛を逆立てて、あの鳩が路上でやっているように頭を点頭しながらヒョイヒョイ歩いている。志村けんの「変なおじさん」風情にもみえるが、これは大スクープなのでカメラを構えて写したけれど、網戸に焦点が合って鳥には合わない。結局はボケた写真しか取れなかった。ズームしたカットは網戸の目ばかりシャープになって使い物にはならなかった。だからと言って網戸を開けれる事態ではないのだ。

 結果的には求婚動作は写せなかったけれど、覗き見ながら相聞歌を交わしつつ濡れそぼっているカップル、あの「梅雨じゃあ、濡れて参ろう」「あーい、半平太様!」なんて「どうせ濡れるんだもんな」と妄想した小生だ。こんなことで妄想しているようでは耄碌間違いなしだろうか・・・。でも青島幸雄の「負けてたまるか!」ではないけれど、小生だって燃える蝋燭の火はあるのだ!。大岡越前守ご母堂様も火箸で教示しておったわい。あれは「火遊びはいけませぬ。灰になりますよ。」だったか。
 まあ、灰になりかけの有名人は数多続いているものの、情緒のかけらも無いわい。報道する側も「つまらん!」と思いつつ仕事していてくれれば良いのだが「おもしろー」とやっているようでは世も末である。

                 網戸に合焦してしまい鮮明にはいきませぬ・・・

                 濡れ場覗くに網戸はいらぬ網戸あければただの庭 ハアコリャコリャ

明日葉を定植した

2020-07-07 | 蝶の食草園
 イチゴのパックに蒔いて発芽させた明日葉をS先生から譲ってもらい自宅でポットに移植。それを2回鉢替えしてから食草園脇に定植した。夜間から降雨の予報を確認してからの定植である。定植後にたっぷりと降雨があれば活着も早いのだ。
 残りの10鉢は自宅周りに植えてキアゲハの食草にする一方で小生の食草にもなってくれるはずだ。現在、庭でのキアゲハの食草はミツバとフェンネルだが終齢幼虫と思える個体が3頭確認できている。それぞれミツバとフェンネルを食べているけれど、不思議と蛹化した状態は見たことが無い。

 フイールドの水辺周辺は周囲と溶け込むように有用植物も適宜配置してあるのだが、小生以外で刈り払われると「全草刈り払い」になって、せっかくの環境創出が元の木阿弥になる事、幾たびだった事か。だから努めて自ら選択的刈り払いをするように心がけてはいるものの、水辺のトラブルほどの緊急早急対処する作業でも無いから、後回ししていると泣きたい事態になる。
 これは「刈り払いの」定型みたいなもので「すっきりさせたい」のは環境保全とは無縁の農耕民族の業なのだろう。今回の明日葉も野草に紛れて育つように定植したので、一応は伝えておいても刈り払われてしまう可能性が高い。香港の民草、民主科は刈り払われてしまって根無し草になってしまいそうでも明日葉は宿根草だ。明日の場はあるだろう。

                  10株用意        定植環境