トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「ギンヤンマ、マルタンヤンマ初見で産卵」

2020-07-23 | 小父のお隣さん
 昨日、池の排水管用にと埋もれている塩ビ管を掘り起こしに行く途中、トンボ池でギンヤンマの産卵に出くわした。ツルハシとスコップは持っていてもカメラは携行していない。慌てて車まで取りに戻ったものの既に姿は無かったのだ。それでも初見日であるし初産卵でもある。 クロスジギンヤンと間違う事があるから胸部の黒筋を確認しようとしても全くない。間違いなくギンヤンマだった。当フイールドはギンヤンマは少ない。郷里ではオニヤンマとギンヤンマしか知らなかったし、初めて見たクロギンをギンヤンマと誤解しても仕方が無いレベルだった。

 マルタンヤンマは帰り間際の水見回りで見た。泥水池5のヒシ池だったのだが気が付いた時は産卵を中止して池の中央に戻る時だったのだ。それで気が付いたのだが逃げることなく、今度はカサスゲに産卵している。カメラを向けるけれど株の中ほどに入り込んで写り難い。
 曇り空で体色も暗い事からカメラを通すと視認しにくい。その上、今度は太腿辺りまで背丈のあるイネ科の草藪に入り込んで産卵を始めた。こうなると姿も隠されてしまうので万事休すだ。

 ここで新たな発見があった。草丈のある草藪の中に入ってまでも産卵した、と言う視認事実である。飛翔の仕方も垂直に体勢を維持しつつ降下して行ったのだ。もう「ヘェー!」と眺めるのみであった。トンボの飛翔能力の高さを如実に見たと言える。
 初見をSさんにメールで知らせておいたのだが、そのためばかりではないだろうけれど午後にフイールドに行き、マルタンを複数観察し一匹は産卵していたというメールが届いた。なかなか視認できないマルタンではあるけれど今日は特出日だったのだろう。下の写真、中央カサスゲの根元に垂直にいるのだが不鮮明だ。PCで拡大し、ようやく存在が判明する程度の質では、掲載に値しないか・・・。

 写真右端に少しばかりイネ科の植物が移っていて背丈はカサスゲより高かったのが密生し畳1枚分ほどを覆っている。この中に後退降下して産卵したのだ。ナンタルチア 産多ルチア・・・。

                      

キムチの旨味が欲しい…

2020-07-23 | 何よりの楽しみ
 辛い物は好きでも無く、カレーは「中辛」より「甘」が好みだが、市販品は「辛み」が僅かに足らない。本場キムチは辛いけれど「旨味」も感じられ時々は購入し容器の中の一切れ程度は好んで食する。辛いけど止められない「ワサビ」の味見に近い。
 三時のお茶時、「えひめAI糠床」で漬けたキュウリを齧っていて「ピピピ!」と来たのは「本場キムチの投入」だった。もしかしたらあの美味しさが加わるかもしれない。すべてが自己責任、小生限定の範疇であるから「有毒」でなければ何を混入させようと「お縄頂戴!」になることはない。悪くて「ピーポ・ピーポ」だろう。貧乏とは「もったいない」の極致である。

 こんな手太楽では「糠味噌」と言えるかどうか怪しくなっているものの「味噌に九素も一緒」と先人は極意を言葉に残しているから倣うまでなのだ。納豆・豆乳ヨーグルト・ドライイースト・植物性乳酸菌飲料・唐辛子・ニンニク・昆布・オリゴ糖・キムチで丁度九素になった。いやいや「レモン糀」を失念していたから十素か…。こだわって九素にするなら当たり前の「唐辛子・昆布・ニンニク」などを抜かせばよく、そうすれば更に二素加えられる。小生ホント、「クズの魔法使い」に思えてきたし近大マグロ、いいえ近代の錬金術師かも。
 ああ人生とはなんとも蒼海、深いものよのう。

 キムチは少々高額だったが本場の輸入品が冷蔵庫にある。小生にとっては「贅沢の極み」なのだが食事以外で「ちょっとつまみ食い」がなんともたまらんのである。そんなことで容器のキムチを微塵にして糠床に混入させた。
 「ぬか床の乳酸菌もキムチの乳酸菌も乳酸菌に違いはある!」のが糠味噌、いいえミソなのだ。さーて、これでどうなるやら、すぐには結果は出ないけれど、しかしまたまた食べ物で遊んでしまった。ご先祖様はご立腹だろうけれど、すべては腹に収めてもらわねばこの世の証が消えてしまいかねないから堪忍堪忍!。おどまかんじんかんじん。

棚田部、オーバーフローの補修

2020-07-23 | 水辺環境の保全
 水見回りの度に気になっていたものの、泥を寄せる程度でお茶を濁していた漏水が待ったなしになった。除伐作業の前に一仕事と相成ったのだった。このオーバーフローは何度か作り替えて、現在の設えは梁材を使い強固に据えたのだったが猪に負けてしまった。猪の通り道として堰の両脇を通るようになってヒズメで削られ続けた結果、ダダ洩れになってしまったのである。こうなると補修に手出しをせざるを得ない。先日に除伐したクワから杭を必要本数削り出して現場へ行った。

 漏水路に土を盛っただけでは用をなさぬので杭列で崩れを押さえ、そこに粘土質の用土を詰め込む。それだけではまた威野志士様の足掛かりにされ崩されるのは必定なので厚材をあて崩れ防止とした。後はオーバーフロー周囲を作り直して終了した。
 棚田の水稲は収穫するわけでも無いから土用干しも水切れも気にする事は無いのだが水生生物には死活問題だ。そう思うと手を出さざるを得ず、根治作業と思っても思わぬ伏兵が破壊工作するから水商売はいつまでも水商売のままなのだった。

 まあ、二度童は三途の河原でなく姥捨て山の漏水で泣きを見ているのだった。ここでハタと気が付いた。正確にはハタでなく田んぼなのだが「御仏は鬼にいじめられる童を何故救わず、鬼を罰しないか?」というテーゼである。それでは「救い」が無いのである。しかし何だ、ここで救ったら物語はつまらん。作業も無くなれば人生も詰まらん、事になっちまう。そう、虚無の世界はトドのつまりで良いのだっち。

                ➡    補修完了