頼まれて駆り出された、というより気分転換のつもりで出かけたのだ。中学の同級生が冬の出稼ぎでやっていたというのを同級会で聞いていたためもあるし選果外となったミカンを頂いた事もあったので「お返し」程度の感覚だ。朝、6時半に家を出て途中の渋滞でケータイの電源を入れたらメールが入っていた。「夜間の降雨で午前は出来ません。正午から行います」との内容だった。結局、一旦はKターイ、でなくUターンし三葉虫の工作をダラダラ行い時間つぶしだ。
早めの昼飯を食べ待ち合わせ場所まで走る。そこから山道を開けるところまで走ったのだが、お茶摘みの場所もそうだったけれど急傾斜の断崖の農道である。ガードレールがあるところは半分もなく車窓からは遥か下の谷間まで見通せるような場所を上った。小生は高所恐怖症だから運転して高度感を感じると肝が竦む。テレビで崖や高所の窓際などが写るとそれだけで肝が竦み股間がキュンキュンするほどなので、画面とは異なる現実現場では逃げようもない。ただ「南無三」とか「クワバラクワバラ」とかつぶやきつつ先導車に追従していくだけである。
このキュンキュンは黒服大鎌の御仁がいる場所でしか体験が無く、キューピットがいる場所には当たったためしがない。
さてミカン切りは10人ほどが集まって作業となった。着果数の多さにびっくりするが、1個1個の切り取りと言えど多勢に多数でも、切り取りは早く進むのだというのが印象だった。つかみ損ねたりハサミを引っ掛けしたような果実は地面にそのまま放置していたけれど切り取り終わる頃には結構な数になっていて、正直、お持ち帰りしたいくらいだった。小生猫又、いいえ、これまた「お持ち帰り」は体験したことが無い。
そろそろ休憩かと思える頃に驟雨となって作業中止。まあ、1日作業とはならなかったが「ミカン切り」体験はしたのだった。役には立たない体験であろうともだ。
ミカン切りに行ってきた
重いで籠は坂道も
遥かに見えた黒い雲
驟雨となってやってきた
元歌は川田正子の「ミカンの花咲く岡」なのだが、この歌を歌える世代は少数派になってしまったが、子供の頃に歌った世界にようやくお目見え出来たという事だろう。今回はミカン切りで花ではないが、花は「摘花」で今季体験している。しかし歌の内容や歌い方の何と様変わりしたことだろう。今の流行り歌など知る気も無い小生だが、熱中して聞いて歌っている世代は長じて折々に思い出すことなどあるのだろうか。読書から離れデスプレイに見入ってばかりの時間も人生の折々に役立つ要素はあるのだろうか、ちと気になるのはミカンばかりではない。いっぱい気になっている…。
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早めの昼飯を食べ待ち合わせ場所まで走る。そこから山道を開けるところまで走ったのだが、お茶摘みの場所もそうだったけれど急傾斜の断崖の農道である。ガードレールがあるところは半分もなく車窓からは遥か下の谷間まで見通せるような場所を上った。小生は高所恐怖症だから運転して高度感を感じると肝が竦む。テレビで崖や高所の窓際などが写るとそれだけで肝が竦み股間がキュンキュンするほどなので、画面とは異なる現実現場では逃げようもない。ただ「南無三」とか「クワバラクワバラ」とかつぶやきつつ先導車に追従していくだけである。
このキュンキュンは黒服大鎌の御仁がいる場所でしか体験が無く、キューピットがいる場所には当たったためしがない。
さてミカン切りは10人ほどが集まって作業となった。着果数の多さにびっくりするが、1個1個の切り取りと言えど多勢に多数でも、切り取りは早く進むのだというのが印象だった。つかみ損ねたりハサミを引っ掛けしたような果実は地面にそのまま放置していたけれど切り取り終わる頃には結構な数になっていて、正直、お持ち帰りしたいくらいだった。小生猫又、いいえ、これまた「お持ち帰り」は体験したことが無い。
そろそろ休憩かと思える頃に驟雨となって作業中止。まあ、1日作業とはならなかったが「ミカン切り」体験はしたのだった。役には立たない体験であろうともだ。
ミカン切りに行ってきた
重いで籠は坂道も
遥かに見えた黒い雲
驟雨となってやってきた
元歌は川田正子の「ミカンの花咲く岡」なのだが、この歌を歌える世代は少数派になってしまったが、子供の頃に歌った世界にようやくお目見え出来たという事だろう。今回はミカン切りで花ではないが、花は「摘花」で今季体験している。しかし歌の内容や歌い方の何と様変わりしたことだろう。今の流行り歌など知る気も無い小生だが、熱中して聞いて歌っている世代は長じて折々に思い出すことなどあるのだろうか。読書から離れデスプレイに見入ってばかりの時間も人生の折々に役立つ要素はあるのだろうか、ちと気になるのはミカンばかりではない。いっぱい気になっている…。

