トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

「勘ぶり屋」改め「道理屋」頓挫…

2020-11-20 | 小人閑居して憮然
 「勘頼み」で三葉様を作ってみたが玩具としての体裁からすると動いた方が好まれる。そこでサリン、いいえ車輪を付ける事にしたのだが高さを押さえたいがために径を小さくすると加工し難い。そこで出来合いの部材を転用できないかと思案したら使わなくなった20φの木球があるではないか。丁度手ごろの大きさなので使うべく加工に入った。

 三葉様の製作もコロナに準じたわけではないのだが三波目になるのだった。そのため少しでも質的向上を図らねばと部品一点ごとに製図して寸法を出し加工したのだった。切り出し後の仮組み立てで全体を観察すれば爺我自賛で良ーく出来ている。これならボール車輪を付けても違和感が無い。そこで加工手順を誤らないようにブロックを切り出し穴開けし、外周を切りだしてから隠し車輪として加工したのだった。
 ところがである。試走させて様子を観ようにも走らないのだった。ボール車輪はスムーズに回転していたから「何事ぞ!」と思案投げ首、隔靴掻痒の結果、ボール車輪の接地摩擦が不足しているのだと理解した。球体なので理論上は点接触である。これでは滑って回転までには至らない。

 回転する車輪を装着するには通常の形体の車輪が必要で、車輪を収める頭部と尾部を新たに加工しなくてはならない。現在の部品を広げるという手立てもあるけれど失敗の痕跡明白のまま完成させるには爺我自賛出来なくなる。爺我自賛が唯一の「褒められる」機会なので「褒められて伸びるタイプ」の小生としては痕跡は残してはいけないのである。見るたびに「あーあ!」ととどめを刺され、結局は爺我自散の事態は避けたい。
 お爺の紅顔には涙がどめどもなく伝わったのだった。まあ、ここまで言うと厚顔無恥に分類される。そこで良い言い訳が浮かんだ。「平べったいのに車輪付きでは足を載せられて転倒、大事故になりかねない」これは一大事だ!。
             机の品物よく見てごらん 考えてごらん ・・・ あーあ…

       胴体節部の関係は図面通りに出来ている      ボール車輪を組み込んだが摩擦力僅少で走行不良


林床のネザサ刈り払い 5段目

2020-11-19 | 今日は真面目に
 拠点、西側の段々は5段連なっているが、フイールドとして入った時はアズマネザサの藪で進入も出来なかった。そこを全稈刈り払ってみたら大樹しか残っていない段々であった。西向きの斜面だけれど南面からの日差しも入るから環境的には良好なのだった。植樹も考えたけれど「ここは自然実生樹の選択的育成地」とすることにしてそれ以来、選択的刈り払いを継続してきた。

 刈り払いの中心は「ネザサ」しかなく半年ほど刈り払わなければシュートは1mは伸びる。さらに放置すれば葉を展開して一段と生育が早まっていく。そんな段々が5段あるから半年ごとに地表を舐めるように、時には勢いの見える株をえぐる様に刈り進めなければならない。すべてが表土だけではなく大石や礫の多い地表もあるから、いきおい刈り刃を左右に振り回す様な操作は出来ず、地表で回している刈り刃を滑らすように移動させないと刃の損傷が激しくなる。
 そんなこんなで、刈り嵩高の割には時間と手間を必要とするのがネザサ刈りだ。晩秋と春先が残す草本や木本への影響が少ないだろうからと実施する時期にしているが、11月でも汗ばんでくる作業でもある。

 この日はいちばん下の5段目を刈り払って時間となった。ネザサの萌芽量が多い事もあるけれど、山萩などの灌木も多く、操作に手間暇を要したためでもある。刈り払い中に1本だけササユリの種子を付けた株を見つけた。既に種子は散布されていたが「良く見つからなかった」と変な感心もある。初夏には10数本確認していたが盗掘に遭っているのだろう。まあ、毎度の事…。

                ➡   

補修すれど補修すれど この水辺もとにならざり じっと耐えたり

2020-11-18 | 水辺環境の保全
 上棚からの落ち込み部を沈泥と分水を兼ねた池を設えてあるが、二つ池と接続してあるパイプの上端面が威之志士様の跋扈蹂躙で崩され、現在では畔の上端が水位と同じになってしまった。このままだと畔の浸食が早まり分水の効果を失ってしまう。ここも凍結期前の作業として行わなければならなかった。

 導水管の上にある巡回路兼畔の両端に丸太を据え杭止めして泥土を盛った。乾いて歩けるまでには一月以上も必要なので両脇の丸太の上に板を渡して通る時の足場にする。これで水見回りの時にジャンプをしスリップ転倒なんて事態は避けられよう。誰のためでも無い自分のための危機管理である。
 言わば簡単に済んで帰宅するには早いから二つ池の護岸作業も行った。前回、行ったのは下手の水域なのだが、既に威之志士様の跋扈蹂躙に遭って掘り崩され、見るも無残な有様を呈している。下の棚への流路も崩され田圃みたいになってしまった。ホント豚熱が入って全滅させて欲しいと切実に思う今日この頃である。

   ➡   沈泥分水池から二つ池への通水管上の畔上端面が失われてしまった。両側に護岸丸太を据えて補修する。泥土ではあるけれど乾燥すれば歩行には差し支えなくなる。しかし、この泥土が威之志士様の跋扈蹂躙を呼ぶ要因でもあって、有機質が多い泥土なだけに、ミミズやオケラが多数生息していると思うのだろう。まず真っ先に崩される。

  ➡   二つ池、上側の護岸も済ませた。用材が細くて頼りないけれど、今までの孟宗竹よりは浮き上がらないし、重さもあるから威之志士様の跋扈蹂躙には多少なりとも抵抗してくれるはずだ。

      補修終わり

     馬鹿シシ死ね死ね今日もまた シャベルで直すの悔しいな ビッチャビッチャドロドロ 乱々々!


君の名は「三葉」。三密三様中

2020-11-17 | 何よりの楽しみ
 小生「勘ぶり屋大爆発」となって小春日和なのにフイールドにも行かず工作三昧だった。それで全て吐き出してさっぱりしたのだったが、まだ頭骨玩具改良型が手つかずである。とりあえずは開催されるかどうか確定できない1月のイベント用に並べる数はそろったから、これからはボチボチ作っていけば良いだろう。

 様々な三葉様を並べ立て爺我自賛しつつ思いついたのは「三密三様」の絵を撮ってみる事だった。まあ、他愛もない手慰みだけれど暇つぶしにはなる。たかだか1分程度だったけれど自己満足の世界なのだった。

 密集はいかんぜよ。マスクをしなされや!。集まる人数の多すぎますで。

 三葉家勢ぞろいだけれど家族間でも密接は避けましょう。

 狭い空間に密閉される事も感染の機会が増え危険です。閉所恐怖症には辛いですしね。

水辺の憂き目、おいらの涙目、弱り目、祟り目

2020-11-16 | 小人閑居して憮然
 古今和歌集(雑)に「水辺の憂き目、見えぬ山ぢへ入らむには…」とあるとかないとか。ホント見たくない。けれど乱視でも老眼でも鮮明にかつ日々新鮮になって見えてくるのだった。見たくないなら苫屋で蟄居しなければならない。そうなった暁には「呆状記」でも著してみよう。
 さて、こんな事態はもう今までの最高!、最上級の評価を下すしかない荒らされようだ。それも軟弱で致命的な部分だけを破壊し続けるのだ。最近はとみに破壊の様相が激しく、補修して数日もしなくても破壊される事態が続く。補修しなければ水域は全壊、トンボもカエルも繁殖は望めない事になるだけに血圧が上がろうとも落胆で意気消沈しようとも手を出さざるを得ない自転車操業、あるいは三途の河原の石積みに等しい日々になってしまった。まっ、自転車操業や三途の河原の石積み状態は変わってはおらなんだけれども。
 そう、「跋扈蹂躙は永遠に不滅です!」。全頭駆除しか解決方法はないが行政が手を打たない以上、個人の手には負えない。

 棚田部の温水田との間の畔は今期補修は2回しているが、既に越流寸前まで崩された。

 二つ池の仕切り部、エコトーンとして設えてある部分は植生もろとも天地返しされてしまった。

   つい数日前に護岸補修をした二つ池、護岸木の整復した盛り土は掘り返され、あるいは腹ばいでヌタ場同様の扱いをしてくれた。まあ、完膚なきまでにやってくれるわい。山荒師や環境破壊教育御一行様が来なくても威之志士様の跋扈蹂躙、罷り通る・・・。あーあ、世に跋扈蹂躙の種は尽きまじ。溢れる悔し涙で鼻水を舐めるから飲料水は必要ないわい。
 「猪が居たんじゃ休みもとれぬ 分っているんだ思うとも… 奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の今日も涙の 陽が落ちる」寅さんの気持ち、良ーく分かるわい。

 小生が少年の頃、農業誌には害獣駆除用のグッズが載っていて、今でも記憶しているのは「膠リングで閉じたスプリング」である。これを芋などに押し込んで食べさせると腸内で膠が解けスプリングが広がる仕掛けなのだ。これが消化器官の内壁に刺さって駆除に繋がるという物だった。効果があったのかどうか知るところでは無いけれど、販売していれば高いお芋様を食べずに食べさせてやろうという気にはなる。まあ、動物愛護の精神に反するなんて世間の抗議かまびすしくなるのは間違いないか。砂防ダムに落ちた威之志士様に餌を供給し逃がしてやるご時世では言うべき言葉が無い。
 以前にも書いた記憶があるが、橋の下で駆除した猪を解体していた時、ご婦人の御一行様から「子どもの教育に悪い!」とすごい剣幕で抗議をしていた場面に出くわした事があった。千載一隅の実地教育の機会ではないか、ホント何を考えているのやら幸せな人たちではある。

アサギマダラ孵化していた

2020-11-15 | 小父のお隣さん


 産卵している様子を見ていたのは二週間ほど前だった。既に孵化しているだろうとキジョランに立ち寄ってみたら食痕が見える。葉の裏側を覗くとそこにいたのだった。葉の表面を丸く傷を付けて食事に入る状況が良く理解できる1枚が取れた。産みつけられた卵の半分ほどは白いまま残っている。孵化しないのかどうか小生には解からないけれど、他の食痕のある葉裏をも撮影して家のPCで拡大したらアサギマダラの幼虫はおらず、代わりに毛足の長い毛虫が写っていた。
 まさか、これでは無いだろうなあ。

            

レモングラス及びヒノキ鉋屑の芳香蒸留水

2020-11-15 | 何よりの楽しみ
 立冬を過ぎた今は既にシャワーの季節ではない。湯に入った一瞬が一番幸福感を感じる時になった。そうなると多少でも入浴剤で楽しみたくなるのだがレモングラスが大量にあって処分しなければならず生葉を浮かべたり芳香蒸留水で加えたりと少々リッチにやってみる事にした。
 ついでに杉の葉の芳香蒸留水をも作ってみる予定だったが持ち帰るのを忘れてしまったから在庫の鉋屑になったのである。レモングラスは新鮮だから、それなりの芳香を楽しめたが鉋屑は一夏を越した事もあって芳香が薄れている。密閉してあったとはいえ、分子レベルでの透過拡散はあるのだろう。

 作っては見たものの、いつも通りの手順で新鮮味もなし、まあ暇つぶしの作法としては健康的であろうぞよ。まあしかしなんだ、レモンやハッカの香りは冬向きでは無いなあ、すっきりし過ぎている。やはり杉の葉を使うべきだった・・・。

             レモングラス蒸留終わり       鉋屑蒸留終わり

上の池のオーバーフロー部

2020-11-14 | 水辺環境の保全
 どの池にとってもオーバーフロー部はアキレス腱でもある。ここがうまく機能していないと湛水そのものが安定しない。これに加えてフイールドの水域は漏水孔多発地帯なので水見回りが欠かせない。
 上の池のオーバーフロー部補修に先立った水見回りで、二つ池からの流下水路に水が流れていないのに気が付いた。送水は順調だし、きっと漏水のせいだろうと確認に降りたらやはり水路の途中で流れが地中に入っている。これでは流路の役割が果たせず、小さな水路でも大きなヤゴが生息しているので水を切らす訳にもいかない。さっそく掘り下げて埋め戻し鎮圧して潰した。

 上の池のオーバーフロー部は今期も手入れをしたのだが水際線になる護岸まで及ばなかった。水位を上げた事に由る浸水と威之志士様の跋扈蹂躙による破壊が進んだから凍結する前に補修しておかねばならない。先般、傾斜木を伐採した幹を使おうと思ったものの、いかにせん太すぎて運べない。短くして用いるなら運べるのだが、継ぎはぎだと杭が倍必要になるから役に立っていない護岸木を移動させ補修した。

 泥土を浚って覆土しても非力なので山土を削り均した。すぐ近くに斜面が崩れた場所があり採土できるからありがたい。今回の補修で湛水機能は安心なのだが、流れ込む土砂で年々水位が浅くなっている。その度にオーバーフロー部をかさ上げして持ちこたえてきたが、おっつけそれも出来なくなる環境も近い。

         既に左側の護岸木は用をなしおらず、右側はグズグズ  ➡    補修終わり 


今日のトンボ「ミヤマアカネ」

2020-11-13 | 小父のお隣さん
 帰宅しようと車を走らせた横でトンボが動いた感じがした。瞬間的ではあったものの縁紋らしき印象があったから「ミヤマアカネ」かもしれないと車を止めてカメラを持った。
 降りたと思った地点にはいなかったものの、見回すと飛翔体が見える。着地したのを確かめにじり寄ったが見つけられなかった。青空を背景にしている訳でも無いので草地の背景だと迷彩度が高くなる。

        

 それでも諦めきれずフクロウのように首を回していて見つけた。路面上に降りていたのだった。カメラを構え抜き足差し足、クイックな動きは厳禁だと注意を怠らず接近しつつ撮影して近づく。途中で舞い上がって「駄目か!」と思ったのも何回かあったけれど、飛翔を追視しながら動かずに待っていたら、概ね同じ位置に降りてくれる。

 他のトンボもそうだけれど「お気に入りのスポット」と言うのはあるようで驚かさなければ同じ位置に舞い戻ってくる事が見られる。今回もそうだったがラッキーでもあった。車両が来れば万事休すの環境だったから。資料では11月いっぱいは見られると記されているけれど、11月になってミヤマアカネを見ているのは小生には初体験なのだ。至近のY川川辺にまで足を運べば数はいるようなので月の後半には脚を運び、ぜひともフイールドの遅い観察記録を達成したいものだ。

           

勘ぶり屋、大爆発! 2

2020-11-13 | 何よりの楽しみ
 大爆発というより大暴発に近い。午前はフイールドで作業をし、午後は縁台工作のつもりだったが午後になると日陰になってしまう。この時期の日陰での工作は気が重いのであった。ましてや数を作るとなると1体の部品点数10点を切り出さねばならず、都合7体の「三葉」様だから70点の部材を切り出し加工しなくてはならない。これに要する時間と手間を寒い縁台の上で日も傾き気温が下がりつつある午後に行うなんて気も滅入ってしまうだろう。

 そこで工作の主要部分の作業は朝食後からお八つの時間ごろまで連続して行う事にした。一点ものでは無いから連続作業の方が効率が良い。結局フイールド作業は4日間休業した。これで一気に7体の「三葉」様が出来上がる。
 全数、荏胡麻油仕上げの予定で最初の3体をオイルフェニッシュしたが集成材を使った本体の雰囲気が悪い。汚らしく見えてしまうのである。迷ったあげく残り4体は着色剤で着色しオイル仕上げにしようかと思ったものの、着色剤を購入しに走らなければならないし作業に乗っている時に買い物する場合でも無く、ありあわせのアクリル絵の具で塗装した。

 図面は一種類だけだが部材寸法に余裕があったので切断線を書き込むときに気ままに変更してみた。三葉虫の形態は千変万化、とてつもないバリエーションがあるから、どんな風にデザインしても「あり」に見えてしまうだろう。そのせいもあるのか出来上がりが懸念されたものの色が入っても違和感はなく、かえって玩具らしく見える。さーて、玩具らしく見えても使い方がいま一つ浮かばない。熱に浮かされ作っては見たものの、独りよがりの範疇でしかない工作は手に取る人など居ないのだろうなあ。戦い済んで日が暮れて、寒さと闇とが迫りくる・・・。

 縁台工作の間、結構長い時間アサギマダラが吸蜜していた。ほとんど飛び立つ事も無く手の届く位置で翅を開閉しているのだった。よく見れば下翅の縁は千切れてもいて長旅の疲れが翅にも見える。夕方には飛び立ったが、家のフジバカマで少しは英気を養えたのだろうか。小生は籠って仕上がった事で達成感や到達感は無かったものの気分はすっきりしたのだった。

           

**「慢様集」頃那新参衛門、罷り通る…

2020-11-12 | 温故痴新
世間は 数なきものか 錦秋に 積もるがごとく グラフ高みへ
             世間は 数なきものか 春は名の 散りのまがいに 死ぬべき思へば    大伴家持

外行くと 袖に取りつき 子ら泣けど ステイホームの 職無しの日々
             韓衣 裾に取り付き 泣く子らを 置きて来ぬや 母無しにして      防人

朝床で 聴けば遥けき ジョウビタキ 朝寝しかなし コロナ失職
             朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唄う舟人         大伴家持

秋過ぎて 山目覚めれば 白妙の 衣着た人 眠る暇もなし
             春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香久山        持統天皇

ま葛這う 夏野のごとし コロナ禍に まことこの世は 常ならめやも
             ま葛延う 夏野の繁く かく恋は まこと我が命 常ならめやも      10・1985

ひぐらしは コロナのせいと 知りつつも 手弱女母子は 泣くすべもなし
             ひぐらしは 時と鳴けども 恋しくに 手弱女我は 定まらず泣く     10・1982

ひととせも いまだ経なくに 昨今は 行くべき場所も 振る袖も無し
             年月も いまだ経なくに 明日香川 瀬々ゆ渡しし 石橋もなし      7・1126

我が恋は 失せし事多々 コロナ花は いつ萎むやら 病む時続く
             咲く花は 過ぐる時あれど 我が恋ふる 心のうちは 止む時もなし    11・2785

勘ぶり屋、大爆発!

2020-11-11 | 感じるままの回り道
 「芸術は爆発だ!」といったのは岡本太郎画伯だが「妄想も爆発だ!」と成ったのは小生である。とは言え、さしたる理由はない。「名前はまだ無い」と言った猫みたいなもんであろう。
 朝は晴れ間が見えても昼近くから降雨の予報で雲行きも怪しい。フイールドに出かけ逃げ帰るのも癪だから縁台工作をする事にした。頭骨玩具の材料は持ち帰ってあるが変わり映えしないから気がのらない。頭骨玩具より変化に富む「三葉」を作る事にしたのだ。これも先日に拠点道具小屋で材料を用意しておいた。1月のイベントが開催されるか不明なのだが、とりあえず準備しておくに越したことはない。

 数をこなすには同じ形状部材で作るのが早い。ましてや今回は図面を描いたのだ。しかし切り出し加工が進むたびに「同じではあんまりだ!」という結果になって多少のばらつきを入れた。そもそも端材で作る玩具では、同じ材で揃えられる状態でも無く、まずは使える材を使えるところに廻すしかないのだった。だから「バラツキを入れず」とも材そのものがバラバラである。頭部と尾部は同じ材で作りたかったものの材が不足で、胴体部は集成材だから必要な量はある。
 集成材を使ったのは安い、加工が容易とする面もあるものの、着色剤でカラフル三葉虫を作ってみたいという欲望が渦巻いているからで、「君の名は?」「カラフル三葉!」まあ、ボッチで盛り上がっているだけ…。

 三葉虫全盛期は「カンブリア紀大爆発」とか言われ、兎煮も角煮も、いいえ、とにもかくにも生物の大繁栄だったとか。姥捨て山ではそこまでの化石も無いから「妄想」で処理しなければならない。「虚実織り混ぜて」というより「虚構バッカリ」なのだが模型でも無く玩具なので許容範囲だろうと独りごちた。そう、工作は耄碌していても「意気に感ず」がエネルギーなのだ。

 朝食もそこそこに昼食はこそこそと済ませ写真の段階まで進めておやつの時間、熱い焙じ茶を入れたが甘いものが無い。根を詰めると甘いもののひとつも食べたくなるのだった。あるかないか探すまでも無く、お出かけバックに夏の残り物「塩飴」があるのを思い出してしゃぶった。雨は落ちてきたし、次の作業は粉塵作業なので室内では出来ず、塩飴しゃぶって戦闘意欲減退。まあ痴れ者は茶菓に疎し、なんちゃって茶化しましたとさ。

            

今日のトンボ「お熱いのにぬくだまり⁈」

2020-11-10 | 小父のお隣さん
 11月ともなると見かけるトンボはほぼマユタテアカネである。連結産卵も至近で見られ易くなるのも寒くなったお蔭である。
マユタテアカネのメスは地味過ぎて盛期でも目に留まる時は少ないものの、寒くなると日向ぼっこしている姿も多くなるから認めやすくなる。
 その上、連結しながら休む姿も容易に眺められるのだが、「お熱い事で…その上日向ぼっこかい⁈」と日向ボッチの小生は言いたくなるのだった。我が若きみぎり、デイトで日向ぼっこした事実はあったかどうだか定かではなくなったものの、温かな感覚が生じるからあったのであろう。まあ、この頃はデイ・イットするだけでも大層なこった・・・。

         

君の名は「三葉!」 2

2020-11-09 | 何よりの楽しみ
 試作品の出来栄えは「まあまあ」と爺我自賛しても不満足な部分がある。そこを改善しないと落ち着かず2作目を作る事にした。全長は接着する時のクランプ最大有効長さ140mmで押さえたかったが、どうしても小振りに見えて、結局は試作品より大きくなってしまった。こうなると接着は2段階で行わなければならずモタモタ感が否めない。

 パーツ切り出し  ➡    粗削り  ➡    パーツ仕上がり

 それでも頭部の後方に流れる尖った部分は表現できたし頭部の曲面も「まあまあ」の出来栄えだ。目玉も動眼でない静止眼である。作ってみたところで玩具として好まれるかどうかは皆目わからず、「プルトイ」仕立てにしてみようかとか、杉材ヒノキ材で作ると木目が美しいかどうかとか、まあ、暇つぶしの種は尽きまじ。

   

              爺爺や暇に任せて作るとも日々妄想の種は尽きまじ

沈泥池の泥浚い

2020-11-08 | 水辺環境の保全
 今期一度は泥浚いした沈泥池だったが、その時は半分だけで終わったため、残っていた半分への砂泥堆積でオーバーフロー部と同じ高さになってしまった。これでは沈泥機能は半減したままである。その上、凍結期になれば氷盤と泥土が密着して泥の中の生物層に悪影響があるかもしれず、思い切って泥浚いを行った。まあ、思い切らずとも行っておかねばならない作業なので言い訳、言い訳、自己欺瞞みたいなものだろう。

 長柄のジョレンですべてを泥上げ場一カ所に集める事は困難で、残った分はスコップで浚い一輪車で埋め立てに運搬しようかと始めたものの、水分が多くてうんざりし、水切り後に搬出し易いよう泥上げ場を増やした。これで数日を経れば扱いやすくなるだろう。
 例年、泥浚いは1回で済んでいたのだが今期、前回、残したとはいえ泥土の量が多かったのは多分に梅雨が長かったせいによる。水切りが済んだ泥土は、上の棚の威之志士様の跋扈蹂躙で痩せた法面に施して補修に使うのである。「子曰わく…糞土の牆は杇るべからず」と伝わるが泥土でも使わねばならないのが姥捨て山なのだった。
 こんな手太楽でも手を止めれば全ては「元の木阿弥」に戻る。この力だけは失われはしない。

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